第3話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「インドへ逃げた男」1

 

ある日の昼前のこと。高貴な身なりをした自由民らしき男がやって来て、スライマーン2の法廷へ駆け込んだ。彼の顔色は苦悶のために血の色も薄く、唇は青ざめていた。そこでスライマーンは彼に話しかけた、「よろしい。何があったのだ?」。男は答えた、「今しがた、死の天使アズラーイール3に出逢いました。彼は怒りと憎しみに満ちた目で私を睨みました」。

「こちらへ」、スライマーンは言った。「それで、貴殿の望まれることは?何でも言ってみるが良い!」。「ああ、我が命の守護者よ」、彼は答えた。「どうか風に命じて下さい、私をインドまで運ぶように。王よ、貴方のしもべを助けると思って、どうか願いを聞いて下さい。インドまで離れてしまえば、私も死を逃れて生き存えることが出来ましょう」。

人間は欠乏に耐えられぬ。人間は不足に耐えられぬ。それゆえに、不足からの逃亡を試みる。そしてそれゆえに、見よ、貪欲と、過剰な期待とに一口で丸呑みにされる。欠乏への不安とは、すなわちこの男の抱える恐怖のようなものだ。はるか遠く、インドへ赴いてまでも死から逃れようとする。これを貪欲と呼ばずして何と呼ぼうか。

スライマーンは風を呼び出した。そしてこの男と共に水上を越え、インドの、最も奥深い地へ連れ去るように命じた。

明くる日の同じ時刻に、スライマーンは彼の法廷で死の天使アズラーイールと会っていた。スライマーンはアズラーイールに言った、「昨日、あるムスリム4と貴殿の話をした。貴殿は彼を怒りもて睨みつけたと聞いた。何故だ?彼がおとなしく家で貴殿を待たずに、逃亡を企てると知ってのことか?」。アズラーイールは答えた、「私が彼を怒りもて睨みつけた、だと?まさか」。

「確かに昨日、彼と通りですれ違いざまに目が合った。怒ってなどいない、ただ驚いただけだ。何故なら、私は神にこう命じられていたからだ - 『汝、今日はインドの奥深くへ行きあの男の魂を得よ』とな。それで私は不思議に思ったのだ、『はて、この男、何故にインドではなく此処にいるのか?百の翼があったとて、今日中にインドに辿り着きはすまいだろうに』とな」。

世界で起こる出来事の全てはかくの如しだ。目を開け、目を開いて良く見るがいい!

一体、何から逃げようというのか - 我ら自身から?何たる不合理!

一体、何から逃げようというのか - 神という存在から?何たる茶番!

 


*1 1巻956行から。

*2 旧約聖書の登場人物であるソロモン。イスラム教における預言者の一人。

*3 第1話・註10を参照。(以降、当該用語については註を省略する)

*4 イスラム教徒。