第40話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「フワーラズムシャーとサブザワールの民」1

 

フワーラズムシャーの王ムハンマド・アルプ・ウルグがサブザワールに攻め入った時の話だ。

サブザワールというところは、多くの悪人ども2にとり難を逃れて落ち延びるための都だった。王の軍隊は彼らを追いつめ、次々に殺していった。残党が減りに減ったころ、彼らは王の足元に身を投げ出して命乞いをした。

「お慈悲を!命と引き換えに、奴隷にでも何でもなりますから。税でも貢ぎ物でも、あなたの望みのままに命じて下さい。望まれるよりももっと多くを、季節が巡るごとに納めますから。雄々しき王よ、私達の命はすでにあなたの所有も同然。ただほんの少しの間だけ猶予を下さい。私達の命を私達に預け、この場を立ち去って下さい」。

王は応えた。「では汝ら、私の前にアブー・バクル3を連れて来てみせよ。それが出来ないのなら、汝らの命は無いものと思え。私は所望する、汝らの都に生まれた者のうち、アブー・バクルと名付けられた者を。もしも連れて来ることが出来なければ、悪人どもよ、私は汝らを畑の稲のごとくなぎ倒して刈り取るだろう。私は賛辞も、巧言も受け入れぬ」。

彼らは黄金の詰まった袋を山と積んで差し出して言った、「王よ、このような都にアブー・バクルを求めようなどとはなさらないで下さい。ここはサブザワール、干上がって乾いた川底のごとき場所。どうしてアブー・バクルが見つかるでしょうか」。

王は黄金から目を背けて言った。「不埒な者どもめ、私はアブー・バクルを連れて来いと言ったのだ。このようなもの、何の役にも立たぬと心得よ。私は子供ではない。金や銀を見せつけられたところで、我を忘れて呆然とするはずが無いではないか」。

おお、哀れな者どもよ。

マスジドというマスジドを、どれほど巡り巡ったところで無駄なことだ。

自分自身がひれ伏して祈らぬ限り、何の足しにもなりはしない。4

 

彼らは大慌てで都中に使者を送り込んだ。神に見捨てられたこの場所で、右往左往しつつアブー・バクルを探し求めた。三日三晩、あちらこちらを奔走した後に、ようやくアブー・バクルという名の男を見つけた。

男はかつて旅人であったが、今や病を患い衰弱し切っていた。彼らが男を見出した時、男は荒れ果てたあばら家の一隅で死にかけていたのだった。「起きろ、起きてくれ!」、彼らは叫んだ。「スルタンがおまえを所望している。私達の仲間を虐殺から救い出すことが出来るのも、今となってはおまえだけなのだ」。

彼は答えた。「足を動かせるものならば、私は自ら目的の場所へと赴いたことだろう。誰が好き好んで、敵共のまっただ中になど居残るものか。喜んで、友のいる都へと旅立ったことだろう」。

彼らは棺架を運び入れ、わが愛するアブー・バクルを担ぎ上げた。そして彼をフワーラズムシャーの許へと連れて行った - 『王よ、これがあなたの求めたしるしで御座います』と言わんばかりに。

 

譬えるならば、現世とはサブザワールのごとき場所だ。

そこでは神の人は見捨てられ、死ぬがままに打ち捨てられる。

そして神は、フワーラズムシャーのごとき働きをする。

不正を為す者どもに、純正な心を差し出すように求めるのだ。

 


*1 5巻845行目より。ムハンマド・フワーラズムシャー(1199-1220 A.D.)は中央アジアの広大な帝国を支配したスルタン(君主)の一人(「ホラズムシャー」とも表記される)。モンゴルの襲来に遭って逃げ延びたものの、逃亡先で命を落とした。サブザワールはニシャープールの西方、バイハク地方に位置する都。

*2 都の住人の大多数が、シーア派のうちとりわけ熱狂的な部類に属していた。

*3 正統派教義の否定それ自体を信条とする集団の温床にあっては、アブー・バクルという初代正統カリフの名を持つ者など、それだけで誰彼構わず憎悪の対象とされることを指摘している。

*4 この一文は、詩人(メヴラーナ)本人の意見として加えられている。