試訳:赤い知性

「赤い知性」
スフラワルディー

愛あまねく慈しみ深い神の御名において。

(1) 二つの世界を司る王に称賛あれ。過去においても現在においても、また未来においても、存在のすべてはかれの存在によるものである。 「最初にして最後なるお方、あらわすお方、秘めるお方、万事を知りたもうお方である(コーラン57章3節)」。また生けるもののためにかれが遣わしたもう御使いたちに祈りと敬意あれ。中でもとりわけ選ばれし者ムハンマド、預言の封印たる者に。また彼の朋友たち、宗教を学ぶ者たちにも。彼らすべての上に神の御満悦あれ。

(2) わたしはわが愛すべき友の一人に、鳥たちは互いの言葉を理解しているのだろうかと問われた。

「そうとも、彼らは理解し合っている」、わたしは答えた。

「どうしてそんなことを知っている?」、彼は言った。

「最初に」、わたしは言った、「創造者がわたしを実在の領域に連れ出そうと望み、その際にかれはわたしを鷹の群れの一羽たらしめたもうたのだ。わたしたちは共に会話し、互いの言葉を理解してもいた」。

「ではきみはどのようにして、今のきみになったのか?」、彼は言った。わたしは答えた。あるとき宿命と運命の狩猟者たちが天命の罠をしかけ、意志の麦粒でそれを満たした。このようにして彼らはわたしを捕えたのである。それからわたしは、わたしたちの巣であった領域とはまた別の領域へと連れ去られた。その領域で彼らはわたしの目を縫い合わせて閉ざし、四種類の異なる拘束を施し、それから十名の監視者にわたしを見張るよう命じた。そのうち五名は外界に背を向けてわたしの方を見ており、他の五名はわたしに背を向けて外界の方を見ていた。こうしてわたしは自分の巣を忘れ、わたしの領域についても、わたしがそれまで知っていたこともすべて忘れた。ずっと前からこうだったと思うようになり、これがわたしなのだと思うようになった。

(3) このようにして時が経ち、やがてわたしの目はほんのわずかながら開くようになった。そのような具合の自分の目を通して、これまで見たこともなかったものをわたしは見た。ただ驚くばかりであった。毎日、わたしの目はゆっくりと少しづつ開いてゆき、未知なる不思議なものをわたしに見せた。ようやくわたしの目が完全に開ききったとき、わたしは世界のあるがままを見た。わたしは自分に施された拘束具を見た。それからわたしを取り囲む監視者たちを見た。「耐えがたいこの束縛から解き放たれるすべはないものか?」、わたしは自らに問うた。「彼ら監視者たちを追い払うすべはないものか?わたしの翼はどうなる?わたしをつなぐこの束縛から自由になり、 あの空を再び飛べる日はやってくるのだろうか?」。

(4) それからしばらくが過ぎたある日、わたしは監視者たちの注意がわたしから逸れていることに気づいた。こんな機会はまたとないと自らに言い聞かせ、わたしはそっと片隅に隠れた。そしてこの通り手枷、足枷もそのままに、足を引きずりながら荒野へと逃れた。

そこでわたしは誰かが近づいてくるのを見た。わたしは進んでゆき、彼に挨拶した。これ以上はないという礼儀正しさで、彼はわたしに返礼した。見れば見るほどその人物は、姿かたちもその顔も赤一色だった。若いのだろうと考えて、わたしは言った、「若者よ、どこから来たのか」。

「息子よ」、彼は答えた、「おまえはわしを見誤っておる。わしは創造の初子であるぞ。そのわしに向って『若者』だと?!」。

「では何故あなたの姿かたちは白くないのですか」、わたしは尋ねた。

「この通り、わしの姿かたちは真っ白ではないか」、彼は言った。「わしは光り輝ける老人なのだ。だがおまえを捕え、おまえに耐えがたい拘束を施し、おまえに監視者たちをつけたのと同じ者が、遠い昔にわたしを黒い洞穴に突き落とした。わしの、おまえには赤く見えているこの色はそのせいだ。でなければわしは白く明るく輝いている。光に連なる白いものはすべて、黒と混ざると赤くなる。たとえば夕暮れに沈みはじめるとき、朝焼けに昇りはじめるときの太陽の色がそれだ。そうしたときの太陽の光に照らされる白いものを見よ。一方は光の方を向いており、そちら側は白い。もう一方は夜の方を向いており、そちら側は黒い。それ故にそれは赤く見えるのだ。三日月が昇るとき、その光は借りものに過ぎない。にも関わらず、それは光と呼ばれている。三日月の片側は昼の方を向いており、もう片側は夜の方を向いている。それで赤く見える。炎にも同じことが言える。炎の下の方は白いが、上に立ちのぼる煙は黒い。そして炎と煙の中間は赤く見える。こうした事例は数多くある」。

(5) そこでわたしは言った。「ご老人、どちらからいらっしゃったのですか?」。

彼は答えた。「カーフの山1のあちら側から。そこにわしの住処がある。おまえの巣もそこにあったのだが、しかしそのことをおまえは忘れてしまったのだな」。

「ここで何をしているのですか?」、わたしは尋ねた。

「わしは旅人なのだ」、彼は言った。「絶えず世界をぶらついては、素晴らしいものを見てまわっている」。

「この世界で、どのような素晴らしいものをご覧になったのでしょう」、わたしは尋ねた。

「七つのものを」、彼は答えた。「一つめはカーフの山、つまりわれらの属する領域。二つめは夜光玉。三つめはトゥーバの樹。四つめは十二の工房。五つめはダーウードの鎖帷子(くさりかたびら)。六つめはバララークの剣。七つめは生命の泉」。

「教えてください、それらについて」、わたしは言った。

「まず最初に」、彼は語りはじめた。「カーフとは、世界を取り囲む十一の山から成る山脈である。束縛から解き放たれたとき、おまえはそこへ行くことになろう、何故ならおまえはそこから連れてこられたのだから。そして存在するものはすべて最後を迎えるときには、最初の姿に戻されるのだから」。

わたしは、どうすればそこに行けるのかを尋ねた。

「道はけわしい」、彼は言った。「まずは二つの山を越えなくてはならぬ。一つは熱く、もう一つは冷たい。その熱さも冷たさも、二つながら計り知れないほどなのだ」。

「それなら簡単だ」、わたしは言った。「冬の間に熱い山を渡り、夏になったら冷たい山を渡ればいいでしょう」。

「それは間違っている」、彼は言った。「何故ならあちらの領域には、季節の移り変わりというものがない」。

「その山までの距離は?」、わたしは尋ねた。

「行き方にもよる」、彼は答えた。「おまえにできるのは第一の階梯に辿りつくことだけだ。コンパスのように片方の足を円の中心に置き、もう一方の足で円の周辺に沿って進んだところで、何回転しようが元いた場所に戻るだけだろう」。

(6) 「その山々に穴を掘り、穴から通り抜けることはできないでしょうか?」、わたしは尋ねた。

「穴を掘ることはできぬ」、彼は言った。「だが素質ある者なら、穴を掘らずともあっという間に渡ることができよう。松脂を手にとり太陽の光でじゅうぶんに温めると、それは手の平から手の甲へにじんでしみ出す。それと同じで、特別な素質を持つ者はその徳目によってものごとを可能にする。もしもおまえにも山々を渡る素質があったなら、何をせずとも山々を渡れよう」。

「そうした素質を身につけるにはどうすれば?」、わたしは尋ねた。

「話してやろう、今そうしているように –– もしもおまえに理解できるものなら」。

「二つの山々を渡ってしまえば」、わたしは尋ねた。「あとは簡単なのでしょうか?」。

「簡単だ、ただしやり方を分かっている場合に限るが。ある者はこの二つの山に永遠の囚人として取り残される。ある者は第三の山に辿りつき、それ以上は進めなくなる。ある者は第四の山に、またある者は第五の山に。以下、第十一の山まで同じことが起こる。賢いのは鳥だ、彼らならばより遠くへ渡っていける」。

(7) 「カーフの山の話はわかりました。今度は夜光玉について教えてください」、わたしは言った。

「夜光玉もカーフの山にある」、彼は言った。「ただし、それは第三の山にある。おかげで夜の最も暗い時刻でも明るく照らされているが、ずっと同じ状態が続くというわけではない。その輝きはトゥーバの樹によってもたらされている。それがトゥーバの樹の反対側にあるなら、おまえに面した方の側が燃える硫黄石のように明るく輝く。それがトゥーバの樹に近づくと、残りの部分は明るいままでも表面にほんの少しばかり黒い影が見える。 それがトゥーバの樹に近づけば近づくほど、おまえのいる側からはその明かりはますます黒い影になって見える。しかしそれはおまえのいる側からはそう見えるというだけで、トゥーバの樹に面している側は常に明るく輝いている。それが完全にトゥーバの樹と重なってしまうと、おまえのいる側からは完全に黒い影しか見えない。もちろんトゥーバの樹の側からは、明るく輝いているのだが。それが再びトゥーバの樹から離れると、少しづつ明るく輝いて見えるようになる。トゥーバの樹から離れれば離れるほど、おまえのいる側からはますます明るく輝いて見えるようになる。光が増えたためではなく、より多くの光に照らされたために黒い影になる部分が減るのである。全体が光に照らされているときというのは、繰り返しになるが(光源となるトゥーバの樹の)真反対に(夜光玉が)位置しているときこそ、それの全体が光に照らされることになる。

何故そうなるのか、例をあげよう。ここに球があるとしよう。この球の中心に穴を開け、その穴に何か通してやる。それから鉢を用意して水で満たし、そこへ例の球を入れ、球の半分を水の中に沈める。さて球を十回ほど転がして、球の表面全体を水に触れさせたとしよう。それでも水の下から見ている者は常に球の半分、水の中に沈んでいる部分のみを見るだろう。もしも誰かが鉢の上から見れば、片方の側からほんの少しを見るだろう。球の、水の中に沈んでいる半分を見ることはできないだろう。 何故なら(その視線は)球を中央から端に向ってとらえているからであり、球のその他の部分については観察者の視界にじかに入らないからだ。そのかわりに球の、水の外に出ているわずかな部分を見ることはできる。観察者が鉢の周縁から離れれば離れるほど、球の、水の中に沈んでいる部分も水の外に出ている部分も見ることができるようになる。鉢のちょうど周縁に平行して観察すれば、半分が水の中に、半分が水の外にあるのを見るだろう。鉢の周縁の上から見れば、水の中にある部分はより小さく、水の外にある部分はより大きく見える。そのようにして鉢の上へ上へと移動すると、最終的に鉢のちょうど真上から見たときには球の全体が水の外にあるように見える。

鉢の下からでは水も球も見えるはずがないと言う者があるかも知れぬ。その場合は、水晶もしくは何か透明なものでできた鉢を用いれば確実に観察できると答えよう。

その上で、観察者に球と鉢の周囲を先ほど述べた通りに回らせればよい。夜光玉とトゥーバの樹も、これと同じように観察者の周囲を回っているのである。

(8) 「トゥーバの樹2とは何ですか。どこにあるのですか」、私は尋ねた。

「トゥーバの樹は巨大な樹だ」、彼は言った。「聖なる人々であれば誰でも、楽園に入ったときにそれを見ることができよう。わしが語って聞かせた十一の山脈の中心に山がある。(トゥーバの樹は)その山にある」。

「果実がみのる樹ですか?」、わたしは尋ねた。

「その樹はおまえがここ、この世で見られるあらゆる種類の果実をみのらせる樹だ。おまえがここで手にする果実は、すべてその樹から生じている。その樹がなければおまえは果実も木々も、香草も植物も口にすることはできなかったろう」。

「その樹とこちら側の果実や木々や香草との間に、どのようなつながりがあるのですか?」、わたしは尋ねた。

「トゥーバのてっぺんにはシームルグ3の巣がある。夜明けになるとシームルグは巣を去り、その翼を地上に向って広げる。その翼のおかげで、地上の木々や植物に果実がみのる」。

(9) わたしは老人に言った。「ザールがシームルグに育てられた話や、シームルグの助けを借りてイスファンディヤールを成敗した話なら聞いたことがあります」。

「そうだ」、老人は言った。「それは本当の話だ」。

「詳しく教えてください」、わたしは言った。

「ザールは生まれながらにして顔も髪も白かった。彼の父サームは彼を荒野に捨てるよう命じた。産みの痛みに人一倍苦しんだ彼の母も、彼女の息子をひと目見るなり恐ろしくなり(サームの命令に)同意した。それでザールは荒野に捨てられた。寒い冬の出来ごとであったので、誰もが彼は長くは生きられないだろうと思っていた。しかし二、三日も過ぎると彼の母も痛みから回復し、自分の息子に対する愛着がわき始めた。彼女は言った、『一度だけ荒野へ行かせてください。わたしのぼうやの様子が見たいのです』。こうして彼女は荒野を訪れ、シームルグの翼の庇護の下で自分の息子が生きているのを見つけた。彼は自分の母親を見てにっこりと笑い、彼女もまた自分の息子を腕の中に抱き上げて乳を与えた。彼女は息子を連れて帰るつもりでいたが、ふと思いとどまり『けれどこの二、三日の間、この子がどうして生き延びていられたのかを知ることなしには帰れない』と言った。そこで彼女は息子を元の通りシームルグの翼の下へそっと返し、自分はその近くに身を隠した。夜になるとシームルグは荒野を飛び去った。すると入れ替わりに、一頭のガゼルがやってきてザールに乳を与えた。そして乳を飲み終えたザールを、彼に危害が及ばぬようにとガゼルは自らの体をもって彼をかくまった。ザールの母は立ち上がり、ガゼルから息子を受け取り帰っていった」。

「この話に隠された秘密とは何なのですか?」、私は尋ねた。

「わしも同じことをシームルグに尋ねたよ」、老人は言った。「シームルグはこう言った –– 『ザールはトゥーバが見守る中で生まれた。故にわれらはザールを死なせるわけにはいかなかった。そこで狩人にガゼルの仔を与え、ガゼルの心にはザールへの情を与えた。そうして昼の間はわが翼の下で彼を守り、夜の間はガゼルが彼の世話をした』と」。

(10) 「ロスタムとイスファンディヤールについては?」、わたしは尋ねた。

「ロスタムにはイスファンディヤールをうち破れなんだ」、彼は答えた。「彼が傷を負って帰ったとき、父のザールはシームルグの前にかしこまって助けを求めた。実はシームルグの姿かたちには、鏡やそれに似たものに映し出されると、誰であれそれを見る者の目を眩ませるという特質がある。そこでザールは鉄で作った胸当てを磨き上げた。これをロスタムに使わせ、また彼の頭にこれもよく磨いた兜をかぶせた。それからロスタムを、シームルグの真正面に立つよう戦場へ赴かせた。こうしてイスファンディヤールは、ロスタムと差し向かいの位置に立つよう仕向けられたのである。彼はロスタムに近づき、その胸当てを映し出されたシームルグの姿を鏡越しに見る羽目になった。シームルグの姿が反射してイスファンディヤールの目を貫き、彼は何も見えなくなってしまった。こんなことは彼にとり初めての経験であったから、彼は自分は両目を負傷したものと思い込み馬から転げ落ちた。そしてロスタムの手によって討ち取られたのである。そういうわけで巷間に言われる二つ鏃(やじり)の矢または二つ羽の矢というのは、実際にはシームルグの両翼であった」。

(11) わたしは老人に、シームルグは世界にたった一羽きりしかいないと思うか、と尋ねた。

「知らぬ者はそのように考える」、彼は言った。「別の考えでは、シームルグはあらゆる瞬間ごとにトゥーバの樹を去り地上に向かっているに違いないとする。そして地上に着いたと同時に、それまで地上にいた一羽が消失する。瞬間ごとにやって来ては、瞬間ごとにここから去る。一羽が地上へ向かうとき、他はトゥーバの樹から十二の工房へ向かうのだよ」。

(12) 「ご老人」、わたしは尋ねた。「その、十二の工房というのは何なのですか?」。

「まずはじめに」、彼は答えた、「われらの王は王国の繁栄を望まれた。そこでかれはまず王国の領域を繁栄させることにした。それから、かれはわれらに仕事を命じた。十二の工房の基礎作りである。各々の工房には職人見習いが数名づつ配され、彼らは十二の工房の基礎からそれぞれの工房を作るよう命じられた。工房には師匠が配された。かれはこの師匠に一つめの工房を任せ、ここで別の工房を作らせた。二つめの工房が完成すると二人めの師匠が配され、ここで別の工房を作らせた。別の工房が出来上がるとまた別の師匠が配された。このようにして、それぞれ一人の師匠がいる七つの工房が完成した。

それからかれは、十二の工房で働く職人見習いたちに名誉の外套を与えた。一人めの師匠にも与えられた。そして十二の工房のうち二つが、彼の監督の下に置かれることになった。二人めの師匠も名誉の外套を与えられ、十二の工房のうち二つが彼の手に委ねられることになった。三人め、四人めの師匠も同様に名誉の外套を与えられたが、四人めの師匠が与えられた外套は他のどれよりも美しい錦の織物でできていた。十二ある工房のうち彼に任されたのはひとつのみであったが、同時に工房全体を監督するようにも命じられた。五人め、六人めの親方は一人め、二人め、そして三人めと同じ待遇が与えられた。

七人めの師匠の順番がまわってきたとき、工房は十二あるうちのひとつしか残っていなかった。彼にはこの工房が与えられたが、名誉の外套は与えられなかった。七人めの師匠は叫んだ、「他の皆は工房を二つ持っているのに、わたしにはたった一つしかない。誰もが名誉の外套を持っているのに、わたしには何もない」。そこで王は更にもう二つの工房を作らせ、これを七人めの師匠の工房の下に配することとした。

全工房の下には『場』が作られ、この『場』については七人めの師匠に任されることになった。また、四人めの師匠に与えられた外套の錦からはその半分が、七人めの師匠への心づけとして途切れることなく下されることにもなった。他の師匠たちには、ちょうどわれらが先ほど話したシームルグのように、瞬間ごとに新たな外套が下された」。

「ご老人」、わたしは言った、「工房では何が作られているのですか?」。

「ほとんどは織物だよ」、彼は言った。「それから、一体それが何なのかが誰にも理解できないようなものも。ダーウードの鎖帷子(くさりかたびら)も、この工房で彼らの手によって編まれたものだ」。

(13) 「ダーウードの鎖帷子とは何なのですか?」、私は尋ねた。

「そら、おまえに施されているいろいろな類いの手枷、足枷。それがダーウードの鎖帷子だ」、彼は言った。

「どうやって作られたのでしょう?」、わたしは尋ねた。

「先ほどの十二の工房が、三工房づつ一緒にひとつの輪を作る。すると十二の工房全体で、未完成の輪が四つできあがる。各々、自分の工房で仕上げた後で七人めの師匠にそれを見せる。七人めの師匠の手元に四つの輪が集まると、彼はそれを『場』に送り出す。こうして四つの輪は未完成のまま、時が来るまでしばらくそのままで過ごす。やがて四つの輪が片翼の上に投げられると、すべての輪がしかるべき処に貫き通される。貫き通された輪は鷹 –– おまえのような –– を捕え、その首に嵌められてその工程を終える。鎖帷子はこうして完成する」。

「それで、鎖帷子ひとつにどれだけの輪が使われているのでしょう?」、わたしは尋ねた。

「海にどれだけのしずくがあるのかおまえが数えてくれるなら、わしも鎖帷子にどれだけの輪が使われているのか数えてやらんこともない」。

「この鎖帷子を外すにはどうすればいいのですか?」、わたしは尋ねた。

「バララークの剣を使え」、彼は言った。

「どこに行けばバララークの剣が見つかりますか?」、わたしは尋ねた。

「われらの領域に死刑執行人がいてな」、彼は答えた。「剣はその者の手にある。定められた時が経ち各々の鎖帷子がその勤めを終えると、死刑執行人がその剣で鎖帷子を叩き斬る。するとすべての輪のつなぎ目が外れ、散り散りになる」。

「叩き斬られるとき、鎖帷子を着ている者はどうなるのですか?」、わたしは尋ねた。

「それはまあ」、彼は言った。「中にはひどく痛がる者もいる。しかし例えば百年の命数を与えられた者がいたとして、生きている間じゅう他には何もせず、ただひたすらに『最悪の痛み』のことばかり考えて過ごしたとしても、そういう者にはバララークの剣によって与えられる痛みは想像すらできないだろう。そういう者以外には、よりたやすく済むことだ」。

(14) 「痛みを和らげるには、わたしの場合はどうすればいいでしょう?」、わたしは尋ねた。

「生命の泉を探せ」、彼は答えた。「そして泉の水をおまえの頭の上から注げば、おまえのからだから鎖帷子がすべり落ちてくれるかも知れぬ。そうすれば、おまえは剣の一撃を免れるかも知れぬ。その泉の水は鎖帷子をゆるめてくれる。ゆるめられた鎖帷子に対しては、剣の一撃もゆるやかになる」。

「その生命の泉はどこにあるのですか?」、わたしは尋ねた。

「暗闇の中にある」、彼は言った。「もしもおまえが探しに行くつもりなら、ハディルのように履物の紐をきつく結んで確信の道を歩め。そうすれば暗闇に辿り着けるだろう」。

「どの方角の道ですか?」、わたしは尋ねた。

「おまえが行くならどの方角でも」、彼は言った。「行けば辿りつくだろう」。

「暗闇には何か道しるべはありますか」、わたしは尋ねた。

「漆黒が道しるべとなる」、彼は言った。「それにおまえ、おまえ自身すでに暗闇にいるではないか。しかしおまえはそれを知らない。行く者というのは暗闇で自分に出会う者だ。そして以前から自分が暗闇にいたのを知り、自分が光を見たことがなかったのを知る者だ。そのようなわけで、これが行く者の第一の段階である。そしてここから、ひとは歩みを進められるようになる。さて、この段階に辿り着いた者なら誰でもその先へ進めるようになる。生命の泉を探す者の場合は、より多くを暗闇の中で模索せねばなるまい。しかし泉にふさわしい者ならば最終的には、暗闇の後に光を見るだろう。そうなればもう光を追う必要はない。何故ならその光は天からのものであり、生命の泉を司るのもこの光だからだ。旅を経て泉の水に浴した者ならば、バララークの剣の一撃から守られよう。

愛の剣に殺されよ、愛の剣ならば永遠の生を得られもしようが
アブー・ヤフヤの剣に殺されたのでは、生のしるしも見出せぬ4

誰であれあの泉の水に浴した者ならば、二度と汚されることもなくなろう。誰であれ実在の意味を見出した者ならば、その泉に辿りつくだろう。松脂の素質を身につけるだろう、太陽の光に手の平をかざし、ひとしずく垂らせばそれは手の平から手の甲へにじんでしみ出す –– もしもおまえがハディルになれば、カーフの山々もやすやすと渡れるだろう」。

(15) –– わたしが例のわが愛すべき友の一人にこの冒険を語り終えると、彼は言った、「ではきみは捕えられたその鷹で、今はあの狩猟者というわけかい?だったらほら、ぼくを捕えてくれ。きみの鞍に繋いで連れて行ってくれ。だってぼくなら、獲物としてはわるくないだろう?」。

わたしは鷹だ。ありとあらゆる瞬間、世界じゅうの狩人たちがわたしを狙って追い回す。わたしの獲物は黒い瞳のガゼルたち、両の目から涙のように知恵の雨を降らせるあのガゼルたち。

あれらがわたしと共にあるとき、語られた言葉の殻は遠くへ追い払われる。あれらがわたしの近くにあるとき、残るのはただその意味のみである。

 


Mystical and Visionary Treatises of Shihabuddin Yahya Suhrawardi


註1 「カーフの山」 地球を囲っているとされる伝説上の山脈。(例:米国議会図書館, 画像)スフラワルディーにとり「カーフの山」は、身体感覚上の世界/物質世界の境界線を意味する。

註2 「トゥーバの樹」 この樹の名となったトゥーバという語はコーラン13章29節「信じて諸善を行う者には祝福とすばらしい住まいとがある」に由来する。ここで「祝福」と訳された語tuba(幸福、目に心地良いもの、目を洗うような鮮やかなもの)が、のちに楽園の樹と解釈されるようになる。この解釈の歴史は長く、さかのぼればタバリーによる『ジャーミウ(集書)』にもアブー・フライラとイブン・アッバースの言を根拠とした解釈を見出せる。

註3 「シームルグ」 ペルシャ神話に起源を持つ一種の霊鳥。

註4 「アブー・ヤフヤ」 ヤフヤ=ヨハネ。(11世紀-12世紀当時には、「アブー・ヤフヤ」とは第12代イマームを指す一種のあだ名もしくは隠語として使用されてもいた。)

※ザール、ロスタム、イスファンディヤールといった登場人物については『シャー・ナーメ』を参照。日本語で読めるものには二種の抄訳がある:

王書(シャー・ナーメ)―ペルシア英雄叙事詩 (東洋文庫 (150))


王書―古代ペルシャの神話・伝説 (岩波文庫)