無花果

安楽椅子解釈 – I

 

いちじくとオリーブにおいて。
シナイの山において。
やすらかなこの地において。
われらは、人間を最も美しい姿に創った。
それからわれらは、人間を最も低く堕した。
(コーラン 無花果の章1節-5節)

 

いちじくは最も古くから人間の手によって記録された歴史に登場してきた植物のひとつです。アラビア南部の原産で、紀元前3000年ごろにはすでに栽培もはじまり、実際に「いちじく」の名で呼ばれた都市が、現在シリアと呼ばれている地域にありました。

聖書のなかで最初に登場する植物もいちじくです。アダムとイヴが楽園の木の実を食べ、裸であることの意味を学び(創世記3:6-7) 、身体の腰の部分を覆ったのもやはりいちじくの葉でした。

日本では、唐の国から長崎へと伝えられたのが17世紀ごろ。一本の樹についた実のうち、一日にひとつづつ熟すから、「一熟=いちじく」と呼ばれるようになった、と言われます。漢字では「無花果」と書くこともありますが、実際に花が無いのではありません。花は果皮の内側に隠れていて、その花の部分を食べるのです。果実の先が少し割れて、内側の小さな花がのぞいているぐらいが食べごろです。 果実だけではなく葉も薬効と栄養価に優れていますが、熟れていないものを食べると逆に胃を荒らしてしまうので気を付けて。

冒頭で引用したコーランに出て来る、もうひとつの植物はオリーブです。こちらの歴史も非常に古く、ヌーフ(ノア)が方舟から放った鳩が、くわえて持ち帰ったのはオリーブの小枝だったとも言われます。また、イーサー(イエス)はオリーブの樹の下でその教えを説いたとも言われ、パレスチナの町は別名Zaitune:ザイトゥーンとも呼ばれました。Zaituneとは、アラビア語でオリーブを意味します。

続く二つの地名のうち、シナイの山はムーサー(モーセ)が律法を預かった場所。「やすらかなこの地」と呼ばれているのは、イスラムの預言者ムハンマドの生地でもあるマッカの地。

さて、人間の創造とその尊厳について謳われたこの章のなかで、冒頭に登場する4つの象徴、いちじく、オリーブ、シナイの山、マッカの地、それぞれが暗示しているものについて。

無花果の章に関しては、さまざまな解釈がありますが、ここではそれぞれが世界の諸宗教を象徴するものであるという解釈を採ってみましょう。「オリーブ」とは、すなわちキリスト教とその伝え手である預言者イーサー(イエス)。また「シナイの山」が象徴しているのは、ユダヤ教とその預言者ムーサー(モーセ)であり、「やすらかなこの地」が象徴しているのがイスラム、そしてイスラムの預言者ムハンマドである、という解釈です。

ではコーランにただ一度だけ登場し、それが章の名ともなっているいちじくは?

インドでは、いちじくはヴィシュヌの樹とも呼ばれます。ヒンドゥーの教えのなかでは、破壊の神シヴァ、創造の神ヴラフマーと並んで、最高神の相のひとつされるヴィシュヌは、世界の存続と維持を受け持つと言われます。

シャカ国の王子、ゴータマ・シッタルダが悟りを得たのは、アシュバッタの樹の下でのことでした。悟りを得たゴータマ・シッタルダは、「目覚めたひと」「悟りを得たひと」を意味するブッダの名で呼ばれるようになり、その後アシュバッタの樹は、「悟りを提供した樹=菩提樹」と呼ばれるようになりました。

日本で菩提樹と呼ばれているものは、西洋菩提樹(Linde)のことです。名付け方が少し紛らわしいのですが、これはシナノキの一種で、本来ブッダが悟りを開いたとされている菩提樹とは別の種類の樹です。ブッダに悟りを与えたアシュバッタの樹は、インドイチジクと呼ばれるいちじくの一種でした。

そういうわけでコーランに登場する、花であると同時に果実でもあるいちじくが象徴している宗教とは仏教である。と、インド出身のあるムスリムはそのように解釈を締めくくっています。

 

おまけ:いちじくを食べる