I-IV. ヨブとその一族

『聖地の民間伝承:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ』
著 J. E. ハナウアー

 

I-IV. ヨブとその一族

アイユーブ –– 彼の上に平安あれ –– はとても裕福で、大家族を抱えていた。彼の信仰がうわべだけのものか否か、真実を明かすために、アッラーは現世における彼の財産や子どもたちばかりか、彼の健やかさまで奪いたもうた。彼は忌むべき皮膚病に悩まされ、できものが発する悪臭のせいで、彼の妻をのぞいては、誰ひとりとして彼の周囲五十ヤード以内には近づこうともしなくなった。こうした不幸にも関わらず、族長アイユーブはアッラーを崇拝し続け、日々の恩恵に感謝を捧げた。

彼の忍耐も偉大ではあるが、しかし彼の妻の忍耐づよさは、その比ではない。彼女はヨセフの子エフライム、もしくはマナセの娘で、大いなる献身をもって自分の夫を看病したばかりではなく、夫婦の生計を支えもした。仕事にあぶれた時には彼をアバーヤに包み、背負って歩きまわり、扉から扉を叩いて物乞いをした。彼女は七年もの間、一言も愚痴をこぼさずにこうして過ごしていたのである。

ある日、彼女がどうしても夫の傍を離れなくてはならなかったほんの短い合間に、イブリースが目の前に現れた。そしてもしも自分を崇拝するならば、夫の病を治してやりもするし、彼が失った財産も取り戻してやろうと約束した。すっかり誘い込まれてしまった彼女は、アイユーブにいとまを乞うた。あえて悪魔と交渉しようという彼女に激怒したアイユーブは、彼の健やかさを回復してくれるなら、彼女に百回の鞭打ちを加えるとアッラーに誓った。それから彼はこう祈った。「おお、わが主よ。邪悪が私を苦しめています。しかし主よ、あなたこそは最も慈悲深く、われらに慈悲をお示し下さいます」。

ここに至って、アッラーがガブリエルを遣わすと、ガブリエルはアイユーブの手を取り彼を引き上げた。その瞬間、族長の足許から泉が噴き出した。これがイェルサレムの下に位置する谷、ビル・アイユーブの水源である。天使の指示に従って、さっそく言われた通りにアイユーブがその水を飲むと、傷にたかっていたウジ虫もたちまちにして彼の体からぽろぽろと落ちた。それからアッラーは、彼の子どもたちの命を元通りに返してやり、またその妻もたいそう若く美しくしてやったため、彼女は夫との間に二十六人の息子を産むことになった。族長が大家族を養っていけるよう、また失われてしまった彼の財産の補償にと、ビル・アイユーブ近くにある彼の脱穀場は、送り届けられた二つの雲から降り注ぐ金貨と銀貨でいっぱいになった。全能の主によるこれらの慈悲の証拠を目にして、心もほぐれたアイユーブは、自らの軽率な誓いを悔やみ始めた。

しかしどうすればそれを行なわずにすむものか、彼には見当もつかない。この難題を前に、再びガブリエルが彼を助けにやってきた。天使の勧めに従い、族長は百枚の葉をつけた椰子の枝を一本、取ってきた。これで彼の妻を一度だけはたけば、それで誓い通りに彼女を打ったものということになる。

献身的な妻の他にもアイユーブには、尋ねれば誰しもが、これまでに生きた人々の中でも最も一目を置くべき人物だと答えるであろう縁者がいた。彼は一般には「エル=ハキーム・ロクマーン」と呼ばれているが、私は彼が「エル=ハキーム・リスト」の名で呼ばれているのを聞いたことがある。1

この人物はバウラの息子で、アイユーブの姉妹または伯母の、息子ないし孫にあたる。彼は数百年もの間、ダビデの時代に至るまで生きた。そしてダビデによって、その名を知られることとなった。彼はどす黒く醜い顔つきをしており、唇は垂れ下がり、脚は不格好ながに股だったが、しかしアッラーは、そうした容姿の醜さを補ってあまりある知恵と雄弁さを、彼にお与えになった。預言者になるか知恵を授かるか、どちらの祝福を取るかと尋ねられた彼は、後者の方を選んだのである。預言者ダビデは、彼がイスラエルの王となることを望んだ。しかし彼はそうした面倒な立場2を引き受けるのを断り、単なるハキームのままでいることに満足した。

ハイルーンを急襲し、アイユーブの家畜を簒奪したベドゥたちに連れ去られ、奴隷として売られてしまった彼が、いかにして自由を取り戻したかの話は知っておくに値する。ある日のこと、彼の主人が、彼に苦いメロンを与え、食べるようにと命じた。彼がすべて食べ尽くしたのを見て、主人はたいそう驚き、どうしたらこんなにも不快な果実を食べることができるのかと尋ねた。するとロクマーンは、常日頃から多くの恩恵を与えてくれている者から、たった一度だけ下された悪を受け入れたからといって、何も驚くにはあたらない、と応じた。これを聞いた主人はすっかり気を良くして、彼を自由の身にしてやった。

よく知られている逸話の他にも、以下はこの賢者にまつわる話として、あちらこちらでしばしば語られているものである。

ある金持ちの男が重い病気になった。医者たちもさじを投げ、彼は死ぬ他はないだろうと言う。彼の体の中に、何やら生きものが入り込んで、彼の心臓をわしづかみにしている、というのが医者たちの見立てだった。この生きものというのは多分ヘビであろうとのこと。黄色いメロンの育つ畑でうたた寝をする者があると、その口から育ちざかりの仔ヘビが這い込んで腹の中に居座り、宿主の食べたものの滋養で大きく育つというのはままあることで、これは誰もがよく承知するところである。

最後の頼みの綱として、エル=ハキーム・ロクマーンが呼ばれた。彼は、病人を救う手立てとして、たったひとつだけ、手術をするというのがあるが、しかしそれはとても危険な手術なのだと言った。病気の男は、どうせこのままでも死ぬかもしれないのだからと、命がけのその手術を受けさせてくれと言った。彼はカーディーやムフティー、それに学者や名士たち全員に使いをやって呼び寄せ、彼らの目の前で、たとえこの手術で命を落とすことになったとしても、ロクマーンはいかなる非難も免れるべしとする書状に署名し、しっかりと封をした。それから、自分の友人や親類縁者に、立ち去るように告げた。

ロクマーンは、町じゅうの医者を招いて手術を手伝ってくれるよう頼んだ。ただし最初に、手術をしている間は、ねたみ心から指し図がましいことを言って、邪魔をしたりしないようにと誓わせた。

しかし一人だけ、招かれなかった者がいた。ロクマーンの妹の息子にあたる若者3で、これもまた非常に嫉妬深い男であったが、しかし最後にはロクマーンその人よりも、はるかにすぐれた医術の技を身につけることになる。それはさておきこの甥っ子、招かれはしなかったものの、どうしてもこの大手術を見ておきたくてたまらず、そこで館の屋根によじのぼり、病室がどこかを探り当てると、そこで何が起きているのか、小窓からこっそり覗くことにした。

その一方でロクマーンは、苦しむ患者に麻酔の薬を与えた。そしてこれが効いてくるなり、たちまち手早くその腹を切り開いた。すると腹の中にいたのはたいそう大きな一匹のカニだった。それが両のハサミで心臓をぐいと挟んでいる。

この様子を目にして、さすがのロクマーンもすっかり弱ってしまい、自分でも具合がわるくなってきた。「これが病気の原因であることには違いない。しかし一体どうすれば、この怪物を取り除くことができようか。アッラーよ、この場にいる誰でも構わぬ、もしもこれを取り除くすべを知る者がいるのなら、どうか私に教えてくれ」。医者たちは口をそろえて言った。「私たちにはこのカニを、どうすることもできません。力づくで無理矢理ひっぺがそうとすれば、カニは離れまいとしてますます強く心臓を掴むでしょう。そんなことになったら、患者が死んでしまいます」。医者たちがそう言い終えるか終えないかのうちに、驚き恥じいるロクマーンに向かって、屋根の上に隠れていたあの若者がさけんだ。「イルハク・ビン=ナール、ヤー・ホマール!」。

病室の中にいる者たちには、どこからともなく唐突に響いた「火を使え、このロバめ!」の意味はさっぱり分からなかったが、しかしそこはロクマーン、たちまちこれを理解して、医者たちに、肉屋の並ぶ通りに行き、最初に見かけたケバブ屋の店番から、鉄の焼き串を借りてくるよう頼んだ。それから他の者には火鉢を用意するよう言いつけ、また他の者には綿を持ってくるよう言いつけた。こうして準備が全て整うと、偉大なるハキームは、鉄の焼き串の片端を濡らした綿でくるんで持ち手にし、もう片端を火鉢の中に差し入れた。そうして炎で焼き串を熱している間にも、医者の一人に命じて、綿を引き伸ばして二枚の小さな布を作らせた。

焼き串が真っ赤に焼けたとき、ロクマーンは火鉢から取り出して、カニのハサミに押し当てた。突然の痛みに驚いたカニが、思わずハサミを心臓から離すと、待ってましたとばかりに別の医者が、用意しておいた小さな布でハサミをくるくると巻いてしまった。同じ方法でもう一方のハサミもうまく外すことができ、こうして患者を危ない目に合わせることなく、カニを取り除くことができたのである。

それからロクマーンは、すっかり安心して銀のさじで患者の傷口を浄めようとした。すると屋根の上からまた声が聞こえてきた。「用心せよ!人間の心臓を、金属で触れてはならぬ」。そこでロクマーンもはっと気を引きしめて、手近に転がっていた木切れを削ってさじの形にし、傷口を浄めるのに使い、それから患者の腹を再び縫い合わせた。息を吹き返したこの男、その後はすっかり病気も癒えて、十分すぎるほど長生きをして人生を楽しんだと伝えられている。

 


原注1. 後者の、「エル=ハキーム・リスト(賢者リスト)」の方はごくまれに、それもクリスチャンたちの間でのみ使われている。リストというとアリストテレスを連想させるが、彼(ロクマーン)と言えばギリシャのイソップにより似ている。イソップのものとして知られる寓話は、ここパレスティナにも伝わっており、すべてロクマーンの逸話として語り継がれている。
原注2. 筆者はこれを、あるムスリムの学者から聞いた。
原注3. こうした身内どうしの敵愾心はごく自然に見受けられるもので、男性にとり、姉妹の子こそは最悪の敵であるというのは一般にもよく知られている。そうしたところから、以下のような言い伝えも生じている。「姉妹に子がないなら、そのままにしておくこと。姉妹に子が生まれてほしいと願うような愚か者は、ひとつかみの粘土でもって自分用に自分の好むように作るのがよい。そして出来上がったら、その首をはねておくのがよい。さもないと本当に命を授かって、危害を与えにやってくる」。