I-V. アブラハム、「神の友」

『聖地の民間伝承:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ』
著 J. E. ハナウアー

 

I-V. アブラハム、「神の友」

ハリール=アッラー、イル=ハリール。「神の友」もしくは「友」の呼び名を持つイブラヒムは、彫刻家のアザル(もしくはテラとも呼ばれる)の息子として生まれた。父はまた、クーサの王、巨人ニムロードの宰相でもあった。巨人ニムロードは不信仰もははなはだしく、自らを神として崇拝するよう民に強制するほどであった。

彼は夢を見た。それは非常に不愉快な夢だったので、占い師たちに夢判断をさせたところ、偶像崇拝を滅ぼし、ニムロードの転落の因となる偉大な預言者が間もなく生誕するだろうとのことだった。これを防ごうとした巨人は、すべての男たちを広大な軍営地に集めると、自分の領土の男の子たちを皆殺しにさせた。また近々、子を産みそうな女をよく見張り、生まれたのが男児であれば、その場で殺すようにとも命じた。

こうして用心に用心を重ねたにも関わらず、アザルの妻は、自分の他は誰にも知られることなくイブラヒムを産んだ。彼女の陣痛が始まると、天使たちはひそかに彼女を、十分に調度の整えられた秘密の洞窟へ連れて行った。アッラーのお優しさのおかげで、彼女は痛みを感じることもなく試練をくぐり抜けた。そして生まれたばかりの彼女の赤ん坊を、天に仕える者たちの守護の下に預け、何ごともなかったかのように完璧な健やかさと活力に満ちて家に帰った。

他の男たちと同様に、アザルも絶えずニムロードに伺候しており家にはほとんど戻らなかったから、自分が留守の間に何が起きているのか、長いことまったく知らないままでいた。彼の妻は数日おきに自分の子に会いに出かけてゆき、そしてそのたびにわが子の成長ぶりと、たぐいまれな美しさに驚くばかりだった。何しろこの子はたった一日で、ふつうの子どもの一カ月分も育つのである。そしてたった一カ月で、ふつうの子どもの一年分も育つのだった。赤ん坊はまた、とても不思議な方法で滋養を取った。ある日、洞窟へやってきた母は、わが子が腰を下ろし、とてもうれしそうに指をしゃぶっているのを見た。どうしてそんなことを、と彼女がわが子の指を調べてみると、ある指からは乳が、また別の指からは蜜が、そして他の指からもバターや水が流れ出すようになっているのが分かった。これほど便利なものがあろうか。彼女はわが子の目覚ましい成長ぶりに、この先はもう決して驚くまいと心にきめた。

生後十五カ月めにして、彼はすでに流暢に話せるようになっており、そして知識欲も旺盛で、親に向かって次のような鋭い問いを発したりもした。「お母さん、私の主は誰でしょうか」。「私よ」、と彼女。「ではあなたの主は?」「あなたの父よ」「では私の父の主は?」「ニムロード様よ」「では、ニムロード様の主は?」。「おだまりなさい!」、母はそう答え、わが子の口のあたりをひっぱたいた。しかしそうは言いながら、もうこれ以上はアザルにも、わが子の存在を隠しきれなくなったことを、彼女はとても喜んでもいた。こうして宰相アザルが家に呼び戻され、洞窟へと連れて行かれることになった。彼はイブラヒムに、本当に自分の息子なのかと尋ね、いまだ赤んぼうの族長はうなずいた。そして自分の母にしたのと同じ質問を父にもしてはみたものの、得られた結果も母の時と同じで、再び口のあたりをひっぱたかれた。

ある夜、イブラヒムは、洞窟の外へ出るのを許してくれるよう母に頼んだ。彼の望みはかなえられ、創造の不思議を目の当たりにした彼は大いに驚嘆し、驚くべきことに以下の通りの告白をした。「私を造り、必要なものをすべて授け、養い、飲み物を与えてくださった者こそが私の主だ。きっとそうに違いない」。それから空を仰ぐと、日没の空に宵の明星が輝いているのが見えた。彼は言った、「きっと、あれが私の主に違いない!」。しかしよく観察していると、星は西方に沈んで消えてしまった。それを見てイブラヒムは言った。「私は、変わりゆくものは好きではない。あれが私の主であるはずがない」。

そうしているうちに満月が昇り、あたり一面におだやかな光を投げかけた。それを見てイブラヒム少年は言った。「きっと、これが私の主に違いない!」。それから一晩じゅう、彼は月を見つめていた。やがて月も沈んでしまうと、イブラヒムはひどく悲しんで叫んだ。「本当に、私は間違っていた。月が私の主であるはずがない。だって私は、変わりゆくものは好きじゃないんだもの」。

そのすぐ後で空全体が、日の出の素晴らしい色で染まり、それから太陽が目一杯に輝きながら空を昇ると、人間や鳥、虫たちが目を覚まし、世界は活力に満ち、何もかもが金色の栄光に浴した。その輝きを前にして、少年のイブラヒムは叫んだ。「これこそ、私の主に違いない!」。しかしそれから何時間かが経過すると、太陽も西方に沈みはじめ、ものの影は長くなり、最後には地上の全てが、再び夜の闇に覆われた。激しく失望して少年は言った、「何ということだ、またしても私は間違ってしまった。星も月も太陽も、私の主であるはずがない。私は、変わりゆくものは好きじゃないんだもの」。心痛のあまり、魂の底から彼は祈った。「おお、アッラーよ。偉大なお方、目に見えず、変わることのないお方、どうかあなたのしもべに、あなたのお姿をお示しください。私を導いてください、過ちから私をお守りください」。

嘆願は聞き届けられ、真理を求める誠実な者への導きとして、ガブリエルが遣わされた。十歳の少年の時分から、イブラヒムは、すでに人々に対してアッラーのみを崇拝するよう説法を行ない始めていた。ある日のこと、偶像がまつられている寺院へ入ってみると、あたりには誰もいなかった。そこで彼は、像をすべて斧でたたき壊すと、一体だけ壊さずにおいた、一番大きな像の膝に斧を置いた。あとから寺院にやって来た神官たちは、この有り様を前にしてたいそう怒り、そしてイブラヒムがいるのを見つけるなり「おまえがやったのか」「何という冒涜か」と彼を非難した。神々がお互いに大げんかをしたのだ、と彼は言った。そして一番大きな像が、自分に逆らう像を片っぱしから破壊してしまったのだ、とも。神官たちは、「馬鹿げたことを言うな。そんなこと、起きるはずがないだろう」と答えた。こうしてイブラヒムのおかげで、自分の口から偶像崇拝の無意味さを告白させられる羽目に陥った神官たちは、ニムロードに訴えに出たのである。

ニムロードは大きな炉を作らせると、その中を燃料でいっぱいにしてから火を放たせた。それからイブラヒムを、火の中に投げ入れるように命じた。ところが火があまりにも激しく燃え盛ったため、怖がって誰も命令通りには炉のそばまで近づこうともしない。するとイブリースが現れて、手足をがんじがらめに縛られたうら若い殉教者を、火の中に放り込むための機械仕掛けの作り方をニムロードに教えた。しかしアッラーが彼をお守りになったので、炉の中は彼にとり、噴水でうるおう薔薇園のように涼しく心地よかった。彼は無傷で炎の中から出てきた。

そこでニムロードは、何としてでもイブラヒムの神とやらをこの目で見ねば気が済まぬ、それができないなら彼を殺すまでだと布告し、高くそびえ立つ塔を建てさせた。塔が完成した暁には、その最上階から天国に忍び込もうともくろんだのである。一階ごとに高さが七十ドラーアもある塔が、ついに七十階の高さにまで達したとき、アッラーは職人たちの言葉をばらばらに違えて混乱に陥れた。突如として七十三種類の言語が、同時にひとつの場所で話されるようになると、意味の通じないやり取りばかりがおそろしく増えてゆき、こうして塔はバベル(混乱)と呼ばれるようになった。モスルとバグダードからやってきた巡礼者たちの話によれば、彼らの国にはこの塔の遺跡が、今もなお残っているという。

このたくらみにもしくじったニムロードは、今度は飛行機を作ることを思い立った。四角い箱の形をした枠組みに、ふたと底の部分だけがついているという単純さではあったが、しかしそれでも巧妙な出来栄えといえた。このために特に訓練された、すっかり育ちきって力強い四羽のワシが、箱の四隅に一羽づつくくりつけられた。それからワシの胸にも、まっすぐに伸びた棒がくくりつけられたが、棒の先には生肉がしっかりと結わえられていた。肉を欲しがって鳥が飛べば、くくり付けられた箱も空に向かって運ばれるという寸法である。

その箱の中に、ニムロードと従者が乗り込んだ。つながれたワシたちは、飛んでも飛んでも肉に届くことかなわず、その間にも空飛ぶ箱は、上へ上へと高く昇っていった。地上がほとんど見えないくらいの高さにまで昇ったとき、巨人は連れてきた従者に、天に向かって矢を放つよう命じた。実を明かせば空の上まで飛んでくるより前に、ニムロードはあらかじめ矢の先を血にひたしておいたのである。矢に次ぐ矢が天めがけて放たれ、とうとう矢筒が空っぽになると、今度は肉をぶら下げた棒を降ろされ、箱の底に空けた穴を通して地上に向かって垂らされた。餌につられて空の高くまで飛ばされていたことに気づくと、すっかり疲れきっていたワシたちも、向きを変えて地上へと帰路をとった。地上に戻るとニムロードは、空から落ちた矢を指さして、アッラーに傷をつけてやった、これが証拠だと言った。

本当のところアッラーは、ニムロードが自慢してみせたようには、傷ひとつつけられてはいなかった。しかしこの冒涜に、人々はすっかりだまされてしまった。激しく燃える炉から、イブラヒムが無傷で脱出したのを見て、ニムロードに対する盲信が激しくぐらついていた人々も、再びこのずる賢い巨人を崇拝するようになった。しかしながらアッラーは、彼の邪悪さを見過ごしたり、罰さずにおいたりはなさらなかった。神の力の偉大さを知らしめるためにも、ご自分がお造りになったものの中でも最も小さきものを遣わすことで、傲慢なこの巨人に、謙虚さをお命じになったのである。そうしたわけで、一匹のスナバエが巨人の許へ遣わされた。スナバエはブンブンと羽音をたてつつ、巨人の鼻の穴から入り込んで脳に達した。それ以降、ニムロードは二百年もの長い間、昼となく夜となく、頭の中を飛ぶ小さなちいさなスナバエに苦しみながら死んでいった。その苦しみのすさまじさといったら、晩年の彼は、そのためだけに雇い入れた使用人たちに、絶えず自分の頭を鉄製の金づちでたたかせ続けていないことには、おちおち安らぐこともできないといった有り様であった。

その一方で、どうやらニムロードはイブラヒムに手も足も出せないらしい、というのが知られるようになると、多くの人々がイブラヒムの側につき、彼の信仰にくら替えするようになった。ニムロードは、この預言者を領土から放逐しようと試みた。しかしそれも口惜しいことだと思い直し、兵士たちを一隊ぶん、例の炉に燃料を運ぶのに使ったラバに騎乗させて差し向けた。ちょうどその時、族長はロバに乗ってのんびりと出かけているところだったのだが、遠くの方からこちらへやって来る兵士たちの姿を見て、ニムラードのたくらみに気づいた。乗っているけものをその場に捨てて、どこか隠れる場所を探さないことには、助かる見込みはなさそうだと悟った彼は、すぐさまロバから降りて走って逃げた。

しばらくの間、こうして走っていたところ、彼はヤギの群れに出会った。そこで彼はヤギたちに、かくまってくれるよう頼んだ。しかしヤギたちはそれを拒み、イブラヒムはまだまだ走り続けねばならないことになった。するとようやく、今度は羊たちの群れを見つけた。そこで彼が同じように頼んでみると、羊たちはすぐさまこれを請け負って、彼をかくまってくれた。羊たちはイブラヒムを地面に横たわるように言い、それから彼を取り囲むようにして自分たちもうずくまった。おかげで追っ手たちは、イブラヒムにはまったく気づかず素通りしていったのである。羊たちへの褒美として、イブラヒムがアッラーに願い出ると、アッラーは彼らにたっぷりとした幅広の、それはそれはみごとで立派な尻尾を授けたもうた。これが今でも東洋産として名高い、脂尾羊の尻尾の由縁である。それにひきかえヤギたちは、罰としてちょこんと突っ立った、人並みというにはあまりにも短く不格好な尻尾に変えられてしまった。ラバもラバで、炉に燃料を運んだり、イル=ハリール討伐のためにニムロードの兵士たちを背に載せて疾走したりしたことをとがめられ、それまでは他の動物と同様に子孫を持つこともできたのが、以来まったく仔を持てないようになった。

その後のイブラヒムは、エジプトとビル・エッ=セバア1の両方で、いろいろな冒険を繰り広げることになる。以下もそうした冒険の物語で、これを話してくれたのはヘブロンの大モスクのシェイフたちなのだが、彼らのようにうまく伝えることができるかどうか、私にはできる気がしないが、ともかく話を続けよう。

ニムロードから逃れたイル=ハリールは、メッカに赴いてそこに「ハラーム」、聖域を造るよう命ぜられた。目的の地にたどりつこうというところで、その前に彼の愛しい息子イスマイン(イシュマエル)を、ジェベル=アラファト、あのアダムがハッワとの再会を果たしたと伝えられる山の頂上で、犠牲としてささげるようにとのお告げを受けた。「神の友」たる族長と、その「友」とを仲たがいさせてやろうともくろんだイブリースは、われらが敬愛すべき御婦人ハガル –– 彼女の上に平安あれ –– の許へ行き、そんな残酷なことは思いとどまってくれるよう、自分の夫を説得してはどうかと持ちかけた。気丈にも、彼女はその場にあった石を拾い、誘惑者めがけて投げつけた。石のつぶてはイブリースには当たらなかったものの、その代わりに当たった柱は今もなお、巡礼者たちの目にするところである。この一件からのち、彼は「エッ=シャイターン・エッ=ラジーム」、すなわち「石礫の悪魔」もしくは「石もて打たれし者」の名で呼ばれるようになった。

カアバを造り終えたイブラヒムは、もうひとつの「ハラーム」を造るためにエル=クドゥスへ向かった。これを終えると、三つめとしてヘブロンを造るよう命じられた。夜になり、その場が降り注ぐ不思議な光に照らされるのを見てイブラヒムは、これが最後の聖域となることを知らされた。伝説のひとつは以上の通りである。

もうひとつ、別の伝説によれば、人間の姿をした三人の天使が族長の前に現れた。人間だと思い、彼は三人を自分の天幕へ招き入れ、勘違いしたまま客人たちに食事をふるまおうと家畜を一頭、ほふりに外へ出た。ところがどうしたことか、仔牛が一頭、イブラヒムの手を避けて逃げていってしまった。イブラヒムが仔牛の後を追いかけてゆくと、やがてある洞窟にたどりついた。仔牛に続いてイブラヒムが洞窟の中へ入ると、奥の房から誰とも知れぬ声が聞こえてきた。それはイブラヒムがいま立っているこの場所が、われらが父祖アダムの墓所であるのを知らせ、ここに聖域を造るようにと命じるものだった。

三つめの伝説では、見慣れぬラクダがやって来てイル=ハリールをこの場所まで導いたということになっている。この時のイブリースは、信仰者たちの父をだますことに成功している。彼はそこが聖域だと思い込んで、ヘブロンから一時間ほど離れたところにラモト・イル=ハリールを造ったが、今でも残っている通り、いくつかの道を敷いた後で、アッラーが彼の思い違いを知らせ、こうして彼はやっと正しくヘブロンへと連れて行かれることとなったという。

それ以来、ヘブロン2はユダヤとクリスチャンの民の住まう土地となった。彼らの族長の名をハブルーンといい、ある日、イブラヒムは彼を訪れ、土地を買いたいと申し入れた。彼は自分の羽織っている「ファールワ」、羊の皮の長衣を見せ、これを切り裂いて囲めるくらいの広さを売ってくれれば十分だと言った。ハブルーンは笑いながら、「よろしいですとも、その程度の広さであれば喜んでお売りしましょう。代価は金貨で四百ディナール。それも百ディナールごとに、異なったスルタンの刻印があるものでお支払い願いましょう」。すると時がちょうどアスル3にさしかかり、イブラヒムは礼拝のために少しばかり外させてくれと頼んだ。彼はファールワを脱いで地面にひろげると、それを礼拝用の敷物とした。それから定められた通りの作法に従って礼拝を済ませると、土地の代価を授けてくれるようにと乞い願った。嘆願を終えて立ち上がり、敷物としていたファールワをめくると、そこには四つの袋が置いてあり、中にはひとつの袋ごとに百ディナールづつ、それも異なるスルタンの刻印のあるものが詰まっていた。

それから彼は、四十人の立会者の前でハブルーンの手に金貨を引き渡し、買う分だけの土地を囲むため、ファールワを細かくこまかく切り裂き始めた。ファールワが思いのほか細かく裂け、大量の羊の皮の糸の山ができあがりつつあるのを見て、これでは約束が違うとハブルーンは抗ったが、イブラヒムは立会者たちに向かって、ファールワを切り裂くのは約束のうちに含まれているし、どれくらいの細さに切り裂くか、あるいは何本に切り裂くかは定めなかったはずだと言い、立会者たちもこれを認めた。

これに激怒したハブルーンは、四十人の立会者たちを、町の南西にある、今でもデイル・エル=アルバイン4の遺跡が残されている高い丘の上まで連れて行き、そこで次々に首をはねてしまった。ところがそれでも彼らを黙らせておくことはできず、丘の上から坂道を転がり落ちながらも、四十人の首はめいめいに「ファールワを切り裂くのは約束のうちだ」と叫んだ。イル=ハリールはそれぞれの亡骸を、首がころころ転がって、やがて止まったところまで運び、その場に手厚く葬った。

イブラヒムといえば、アッラーの定めに対する絶対の信仰で知られているが、それに次いで有名なのが、彼のもてなしの素晴らしさである。彼はしょっちゅう、こう口にしていたものだった。「私はかつて一文無しの追放者で逃亡者だった。それをアッラーがあわれんでくださり、こうして富ませてくださった。だから今度は私がその御礼に、私の仲間たちに親切にしない理由があるだろうか?」。 彼は館を建てて食卓を並べ、腹を空かせた旅人たちが疲れをいやせるようにと食事を用意しておいた。その館にはぼろをまとった者たちのために、ま新しい衣類も置いてあった。食事の前にはいつでも自分の天幕を後にして、彼の客人になってくれる者はいないかと、一マイルでも二マイルでも歩いて探した。これほどまでに寛大にふるまっても、彼は貧することもなく、かえってアッラーの祝福によりますます富んでゆくのだった。

ある年、あたり一体の土地がひどい飢饉に襲われた。族長は、自分の使用人たちをエジプトに住む友人の許へ行かせ、穀物を届けてくれるよう頼んだ。ところがこの友人というのがくせ者で、この機会にアッラーの友を破滅させてやろうと考えた。そしてはるばるやって来た使用人に、「イブラヒムとその家族のためにだけなら、喜んでいくらでも穀物をくれてやろう。しかし今年はどこでも食物が不足しておる。貴重な食物が、イブラヒムの妙な趣味のせいで放浪者だの、物乞いだのに食われてしまったのではとんでもない無駄だ、そんなところへは一粒も分けてやることはできぬ、間違いを犯すわけにはゆかぬのでな」と言って援助を断った。

使用人たちは、自分たちの主人であるいブラヒムにとても忠実だったので、何も入っていない空っぽの袋を持って引き返すのも忍びなく、袋に白く細かな砂を詰め、それからイブラヒムの許へ帰ってくると、経緯を語った。族長は友人の裏切りを深く悲しみ、物思いにふけっているうちにいつしか眠りについた。彼が眠っているところへ、何が起きたのかも知らないサラがやってきて、転がっている袋のひとつを開けてみると、上質の小麦粉がぎっしりと詰まっていた。サラは大喜びでパンを焼いた。このように、地上の友人に裏切られた時には、アッラーがイル=ハリールを助けたもうたのである。

自分自身が相当に寛大なものだから、他人がどれほど自分とは正反対の考え方をしているか、イブラヒムには分かっていないところがあった。ある日のこと、彼は天幕を出て遠方まで出かけてゆくことになった。彼の使用人たちが、羊飼いと羊の群れを連れて放牧させているのを見回りに行かねばならなかったのである。しばらく歩いて、確かこの辺りで放牧させているはずだが、というところへやって北とき、一人のベダウィがやって来て、羊の群れなら、ここよりもずっと離れたところに行ったと告げた。それなら、というわけで、彼はこのアラブの招きに従って彼の天幕に入り、しばらくの間もてなしを受けることにした。仔ヤギが一匹、食事のためにほふられた。

それから数週間の後、イル=ハリールが再び同じ道を歩いていると、あの時と同じベダウィに出会った。羊の群れがどこにいるのかを尋ねてみると、「私があんたのために仔ヤギをほふった場所から、だいぶ北の方へ離れたところへ行っているよ」と答えた。イブラヒムは何も言わず、そのまま通り過ぎた。その後まもなく、彼は三度めの旅に出ねばならなくなった。今度もあの時のベダウィに出会った。そしてイブラヒムの羊の群れは、「私があんたのために仔ヤギをほふった場所から」、だいぶ南の方へ離れたところにいると告げた。次にイル・ハリールがこの男と出会った時には、尋ねてもいないのに、羊の群れは自分が「だいじなだいじな仔ヤギをほふった場所から」、だいぶ東の方へ離れたところにいると告げてよこした。

「ヤー・ラッブ!」、さすがに我慢がならなくなったイブラヒムは言った。「おお、わが主よ。どれほど私が、分けへだてせずに誰にでも気前良くふるまうかを主は御存知のはず。主よ、お助け下さい。この男は私に出会うたび、たった一度ほふった仔ヤギを何度も繰り返し持ち出しては、私の歯をこじ開けて食べさせようとするのです。食べてから、ずいぶんと時間が経ってしまってはおりますが、かなうものならたった今すぐに、この場で吐き出してしまいたい」。すると祈りはまたたく間に聞き届けられた。イブラヒムの口から、かつてほふられた仔ヤギが生きたままぴょん、と飛び出し、無作法な持ち主の手元に返されたのである。

これの他に、ムスリムの伝統として今も残る、イブラヒムによって始められたとされる三つの習慣について述べておこう。一つめは割礼の儀式であり、これは戦場で戦死したムスリムの遺体を、不信仰者のそれと区別し、正しい葬儀をしてやれるようにと定められたものだと伝えられている。

二つめは「サルワール」と呼ばれる、東洋風の幅広のトラウザーである。イブラヒムの時代が来る前は、衣類といえば、メッカへの巡礼者が、目的地に近づいた頃に着替えねばならないとされているもののみだった。それは「イフラーム」と呼ばれるウールでできた腰巻きと、もう一枚、これもウールでできた布を肩越しに掛けるという出で立ちである。この格好では、慎み深くあれとのご命令に十分に従っているとは言えないと考えた族長が、何かこれを補える衣類はないかとアッラーに尋ねると、ひと巻きの布地を携えたガブリエルが、楽園から遣わされてやって来た。この布から、地上で最初のサルワールが裁断され、その縫い方がサラに伝授された。彼女はイドリース以来の、地上において針を手にした初めての人物となった。

ところがこれを盗み見していたイブリースは、天使のみごとな仕立てぶりにいたく嫉妬し、自分の方が上手に縫えるし、第一あんな布の使い方があるものか、もっと経済的な裁断の仕方を教えてやろうと異教の者たちに自らを売り込んだ。そうしたわけで、その証拠にフランクたちのトラウザーはあのような格好をしている。しかしながら、かくも堕落して退廃した昨今では、フランクのそれを好んで履く東洋人たちもちらほらと見かける。

三つめが白髪で、これもイル=ハリールの時に始まった。彼より以前の時代には、若者と老人の見分けは全くつかなかった。しかし族長がアッラーに、何か違いを見分けるための目印を授けてくれるよう願ってみたところ、彼自身の顎ひげが雪のように真っ白になった。サンダルを発明したのも彼である。それまでの人々は、そろいもそろってまったくの裸足で出歩いていたものだった。

イブラヒムとアッラーの間にはある約束があった。それは彼がはっきりと自らの意思でそう望まない限り、彼は決して死なないだろうというものだった。しかしそうは言っても定めの日というものがあるにはあって、ついにその日がやって来ると、アッラーは彼に恩恵を施すことにした。なぜなら主の「友人」は、未だはっきりとはそれを望んでおらず、何とかしてそう望むよう仕向ける必要があったのである。

すでに語った通り、イブラヒムはとても寛大であった。ある日、かなり年を取っているとおぼしき老人が、よろめきながら彼の野営地の方へやって来るのを見たイブラヒムは、自分の使用人とロバを一頭、老人を助け手やるために差し向けた。老人がイブラヒムのところへたどりつくと、彼はこの見知らぬ客人を大いに歓迎して、目の前に食べ物を並べてやった。客人は礼を述べて食べ始めたが、しかし食べれば食べるほどますます弱ってゆき、とうとう食べ物を自分の口に運ぶことすらおぼつかなくなってしまった。

驚き、あわれみながら彼を見ていたイル=ハリールも、とうとう口を出さずにおれなくなり、「おお、シェイフよ。どうされたのですか、どこが苦しいのですか」と声をかけた。「どこがどうというのではなく、何もかも年を取ったせいなのですよ」というのがその返答だった。「一体、おいくつになったのですか」とイブラヒムは尋ねたが、その答えを聞いて「ええっ?!」と叫んだ。「つまりあなたは、私よりたったの二歳だけ年上であるに過ぎないと、そう仰るのですか」。老人が答えた。「間違いなく、その通りです」。「おお、主よ、神よ、こんな弱り果てた体になってしまう前に、どうか私の魂を御許へお連れください!」。すると老シェイフは素早く立ち上がってイブラヒムに飛びかかり、あっというアッラーの友の魂を召し上げてしまった。死の天使アズラエルの変装だったのである。

イブラヒムはヘブロンにあるマクペラの洞穴の、彼の妻サラのとなりに埋葬された。息子のイサクや孫のヤコブもまた、時が流れるに従い同じ場所に葬られた。しかし彼らが墓の中で死んでいると言うのは誤りであって、実は彼らは死んではおらず、生きているというのが本当のところである。彼らに限らずダヴィデやエリヤといった預言者たちは今でもしばしば、困難や災厄に襲われた神のしもべたちを助けるために現れる。以下はヘブロンに住まう、あるユダヤのラビの長老が聞かせてくれた話である。

およそ二百年ばかり前のこと、パレスティナの税を取り立てるため、パシャがはるばるヘブロンまでやって来た。そしてユダヤの民たちに向かって、三日以内に莫大な額にのぼる税を納めないと、彼らの住まう区画を取りつぶして略奪するぞと告げた。

ヘブロンのユダヤたちは非常に貧しく、そんな大金を用意できるはずもなかった。できることといったら断食と祈りを通じて、ひたすら救いを求める他はなく、それほどまでにひどく追い詰められていた。税を納めねばならない期限の日の前夜、彼らは皆シナゴーグに集まり、絶えず懸命の祈りをささげて過ごした。すると真夜中になって、彼らの区画の門を音高くたたくのが聞こえた。何人かが門のところまで行き、震えながらどなたですかと尋ねると、こう答えるのが聞こえた。「友人だ」。これを聞いても恐ろしくて、とてもではないが門を開ける勇気などわいて来なかった。すると何という不思議、開けてもいない門の、木製の固く分厚い扉から一本の腕がぬっと差し出され、握っていた大きな袋を壁龕(へきがん)のくぼみに置くと、腕は扉の向こう側に引っ込んでしまい、再び何もかもが元通りに静まった。大きな袋の中には、パシャが支払うよう命じた税とちょうど同じだけの金貨が詰まっていた。

翌朝、ユダヤの民たちは連れ立ってかの抑圧者の許へ出かけてゆき、彼の足元に金貨の詰まった袋を置いた。その袋を一目見るなり、パシャは彼らがどこでその袋を手に入れたのかと尋ねた。彼らが語って聞かせるとパシャは、袋もその中身も、ゆうべの真夜中までは自分の所有だったのだと告白した。護衛の兵士たちが番に立ち、彼の天幕を厳しく見張っていたにも関わらず、突如として明るく輝く衣をまとった一人のシェイフが入ってきて、動いたり、一言でもしゃべったりしたらおまえの命を奪うぞと告げて、袋と金貨を持ち去ったのだという。パシャには、それがユダヤの民を救うために現れたイル=ハリールに違いないことがとっさに分かった。彼はユダヤの民に頭を下げて平謝りに謝り、自分のしたむごい仕打ちを許してくれるよう乞うた。

ヘブロンに行けば今でもユダヤたちが、イブラヒムが金貨の入った袋を置いたという壁龕の前まで案内してくれる。

 


原注1. ベエルシェバ。
原注2. この後に続く物語のディティールは、幾分かカルタゴの国起こしの物語にも通ずるものがある。
原注3. 午後の礼拝の時刻。正午と日没の中間に相当する。
原注4. 「四十人(の殉教者)の修道院」の意。