五. たばこ

『真理の天秤』
著 キャーティプ・チェレビー
訳と解説 G. L. ルイス

 

五. たばこ

私は以前、今や全人類の習慣となった喫煙に関する随筆の草案を書いたことがある。しかしその清書を作成することはしなかった。以下はその時の随筆の趣旨をおおまかに記したものである。問題に分け入る前に、この習慣が現れた原因とは何であったのか?まずは教科書的な説明から始めよう。

事実。ヒジュラ暦九世紀後半のできごとである。何隻かのスペイン船が新世界を発見した後に、ポルトガル人やイギリス人たちは東から大西洋への航路を探して湾岸を探検して回っていた。彼らは、Atlas によれば「ギネヤ」と呼ばれる、大陸に近い島にやって来た。元々の体質と海風の影響でリンパ性の不調にやられていた船医者は、症状とは正反対の物質を処方するという治療法に基づいて、熱性の乾燥した物質を摂取して治すことに決めた。船が島に到着したとき、彼は何かの葉の一種が燃えているのに気づいた。匂いを嗅ぐと、それは熱性の香りを持っていた。そこで彼はパイプに似た道具を使ってそれを吸い込んだ。それは彼には効き目があった。そこで彼はその葉を大量に採取して、滞在中は終始これを使用していた。それを見た船乗りたちも、これは有益な薬なのだろうと考え、医者の例に従い自分たちでも葉を大量に船に持ち込んだ。お互いに見よう見まねで始めるうちに全員が煙を吸うようになった。船がイギリスに到着すると、この習慣はフランスやその他の土地にまで広まった。人々はこれを試したが、その起源も知らなかったし、またそれが深刻な治療という目的のために吸引されたことなど考えも及ばなかった。多くの人々が中毒者になり、それは興奮剤の一種として分類されるようになった。東においても西においても共通のものとなり、これを抑制し得た者は誰ひとりとしていなかった。

これがはじめてトルコにもたらされたのは、およそ一〇一〇年(1601年)頃のことである。それから現在に至るまで、様々な説教師たちがめいめいこれに反対の説を唱え、また多くのウレマーがこれを憂いて冊子をしたためた。ある者はこれは禁じられていると主張し、またある者はこれを許容されていないと主張した。対する中毒者たちは、これは許可されているという趣旨の返答をし続けた。それから少しばかり時を経て、著名な外科医であるイブラヒム・エフェンディがこの問題に並みならぬ関心と注意を払い、イスラムボル1のスルタンの宮廷で大御前会議を開催した。スルタン・メフメト・モスクでは異例の市民集会を参集し、警告のための講演を行ない、壁にはフェトワの写しを何枚も貼りつけた。彼の努力は全くの無駄に終わった。彼が話せば話すほど、人々は喫煙に執着した。努力が何の実も結ばないのを見て、彼はすっかりあきらめてしまった。その後、故スルタン・ムラド四世が在位の終わり間際になって、「邪悪な行為の門を閉ざすため」との理由でコーヒー・ハウスの営業を禁じたが、それと同時に、ある不審火の発生原因となったという理由で喫煙も禁じられることになった。2人々を阻止できないことに、帝国は激怒していたのである。帝国の禁令に反逆する喫煙者たちに、懲罰を加える必要があった。陛下の弾圧が厳しさを増せば、比例して人々の喫煙欲も増した。「人は禁じられたものを欲する」と言われている通りである。何千もの人々が、空っぽの小部屋送りとなった。

スルタンがバグダード遠征に出ていた時のこと、ある野営地において、十五から二十名の陸軍将校たちが喫煙の咎めを受けて逮捕された。彼らは、帝国の定める中でも最も厳しい拷問によって処刑された。兵士たちのうちある者は袖に、またある者はポケットにパイプを隠し、拷問を受けている間でさえ隙あらば喫煙の機会をうかがっていた。イスタンブルでは、持ち場を離れ兵舎に戻っては便所に隠れて喫煙する兵士の枚挙に暇がなかった。これほどまでに厳格な禁止令が敷かれていた間でさえ、喫煙者の数は非喫煙者を上回っていたのである。

そのスルタンが逝去した後、この習慣はある時は禁じられたりまたある時は許されたりしていたが、シェイヒュル・イスラムを務めた故バハーイー・エフェンディが(喫煙は)許されている、と決定づけるフェトワを発令すると、この習慣は新たな人気を博して世の人々の間に広まった。時折、君主が発する喫煙者に対する非難は、ほとんどの場合において無視された。かくして喫煙は、今や地上において人類が居住可能なあらゆる地域で実践されている。以上が、たばこにまつわる有為転変である。さて、本件について考えられるいくつかの事柄について簡単に述べてゆこう。

(1) 第一の可能性として、効果的な対策さえあれば人類は禁煙できるかもしれない、という見方がある。この可能性は却下されねばならない。なぜなら習慣とは第二の天性である。中毒者を阻止することはできない。彼らに対しなされるべきは、何らかの提案である。もしも彼らが「で、禁煙の目的とは何なのか?」などと言おうものならどうするべきか。 –– 「統治者たるもの、大衆の背中を杖で打つのを惜しんではならない」。これが偉人たちの推奨するところである。結論から言えば、公的に禁じて厳しく罰するのが統治者の義務である。それが彼らの果たすべき役割である。一方で大衆たる人々の義務とは、このようなものの中毒者であるなら、通りのど真ん中でこれを使用し、公然と善良な命令に違反するようなふるまいは慎むべきである。しかし自宅では、誰もが自分の好きなようにすればよろしい。その上で、統治者が介入しようとするならそれはやり過ぎというものであって、彼らも必要以上のことはすべきではない。「他人の自宅を検閲して、それがいったい何になる?」。

(2) このたばこなるもの、その良し悪しを知性によって証明できるだろうか?中毒者たちがこれを良いものと考えているという事実は脇に置いて、常識的には、これは悪いものと判断される。長所と短所の判断基準とは、知性または聖法のいずれかであろう。どちらの基準においても、これ(たばこ)は悪い。聖法において不承認とすべき根拠はじゅうぶんに示されており、知性によって承認するには必要な条件が不足している。とは言え、不足している条件が若干なりとも満たされれば、良いものとされるようになるかもしれない。たとえば、医薬として使用される場合などがそれである。法廷、会合、モスクやその他の崇拝の場においては、法の判断者たちは喫煙をしない。この事実それ自体が、知性の基準に照らしてこれが悪である、と判断されたがゆえの結果である。

(3) 効果の良し悪しについて。これがもたらす有害な影響には疑う余地がない。有害な影響について考慮しないうかつな者を、最終的には常習的な中毒者にしてしまう。有害な身体的影響があることも判明している。大気の本質を汚染するという点において、たばこは医学的にも有害である。これの使用に慣れ親しみ、その習慣を第二の天性とした者も、やがてはその有害な影響を寄せつけまいとし始める。中毒物質への渇望と、いまや天性となった習慣をもって喫煙に向かう際に、その防禦的な特徴が観察できる。心臓に影響を及ぼさないよう、濁った煙の混じった空気を上部に向かって吹き上げる、などがそれである。ある種の病人が有害な食べものをしきりと欲しがり、与えてみるとさほど害されることもなく、一時的には回復すらすることがある。渇望や欲望は、病気を克服する力を与えるのである。こうしたものが身体に及ぼす影響は、天性の気質や嫌忌にもよる。ある非喫煙者がいるとする。たばこは有害であると断言し、嫌悪感しかわいてこない。こうした者にとり、たばこの煙を吸い込むことの害はより甚大であり、その影響は計り知れない。

大気の本質にもたらす悪影響は別として、喫煙者は二つの種類のいずれかに属している。つまり湿潤の気質、あるいは乾燥の気質のいずれかである。どちらの場合においても、気質的に健康な場合と不健康な場合とがある。湿潤の気質を持つ健康な者であれば、喫煙は彼にとって適切かつ見合っている。もちろん、彼に限らずほとんど全ての人が、若干の乾燥を必要とするのも事実ではある。体調が悪く、その原因が湿潤過多であるなら、喫煙は治療として効果があるだろう。しかしながらこれは、乾燥の気質の者にとっては賢い選択とはいえない。喫煙が体内の乾燥を増やし、肺の湿潤が絶えず奪われてしまうからである。喫煙は壊血病に有効であると主張する人々がいるが、これには全く根拠がない。これは無駄な与太話に過ぎず、医療に関する学問集団とは何の接点も持たない。

(4) 喫煙は「逸脱」だろうか?聖法の視点からすれば逸脱と認めうるかもしれない。これが出現したのは最近のことであるし、またこれは「良い逸脱」に分類可能なものでもない。知性に照らせば、確実に「逸脱」である。なぜならアダムの時代以来、これが知性によって見聞されてきた話は皆無だからである。はじめてこれが出現したのは、ウマル(神の御満悦あれ)が統治する黄金時代のことであり、またこれのために何千もの人が殺された、という物語がある。が、これは狂信者たちによる根拠なき作り話に過ぎない。

(5) 喫煙は忌避されるべきか?理性によっても法によっても、これ(たばこ)を正当化する言葉はただのひとつも存在しない。この見解こそは、大多数の人々の認めるところである。何かが不快とされる段階に到達するには、それの過剰な使用が大前提となる。本来、たばこの煙の香りや葉の香りは不快なものではない。たばこを燃やした煙には、吸入治療としての使用法もある点をここで指摘したとしても、おそらく無関係にはあたらないだろう。しかし非喫煙者の鼻孔にとり口臭とは、沈香か竜涎香であってしかるべきだが、対する重度の喫煙者の口腔からは、邪悪な臭気が立ちのぼる。

要するに、生タマネギやニンニクやニラといった、口腔内の不快な悪臭を必然的に生じさせるものの食用が忌避されるのとまったく同様で、重度の喫煙は口臭、体臭、衣類の悪臭を発生させるがゆえに承認を得られないのである。理由としては、どちらの場合も不快であることに議論の余地はない。たとえば月経時の性行為もこれとまったく同様で、まさしくそれが不衛生で不快な性質を持つがゆえに禁止されたのであり、やがてそれが男色に対する類似の禁止をも生じさせるに至っているのである。上述のような食べ物や、たばこの使用に対する一般の承認が得られないのもそれと同様である。

結論としては、忌避を推奨する、というところに落ち着かざるをえない。匂いゆえに承認されないという事実を中毒者が認めない、という事実はこの際重要ではないので考慮するにはあたらない。他人の口臭を承認するかしないかは、各個人の自由に委ねられる。

ここでの目的のすべては諸事実の論証にある。中毒者に対する干渉は当然にある。干渉を避けようとしたところで現実的な公算は皆無であるし、また干渉したところで、それが馬耳東風の範疇であることも一般に合意されている。

(6) これは宗教規範的に禁じられるか?法学の指南書には、聖法上の決定的な判決が存在しない問題については、それかいかなるものであろうと法学者が自由裁量を行使するように、と記されている。あらゆる関連する状況を、ひとつの見解に照らし合わせて集約し、考慮した上で自らの推論を導き出すという方法も、それはそれでありうるだろう。それでもなお、以下の方法論に従うことが望ましい。すなわちいかなる場合も禁止は宣言せず、むしろ常に許容を宣言することである。そしてそのためには、あらゆる法的根拠を総動員し、ものごとの正当化をはかるべきである。そうすることで、人々に罪を負わせたり、人々が禁止されたものに執着したりするのを防ぐべきである。

(7) これは宗教規範的に可も不可もないのか?喫煙の隆盛は最近の出来事であり、法学の指南書にも明白な対処法や言及は存在しない。そのためある者は、「許容こそが標準であり基本である」の原則に従い、明白な禁止令が不在のものごとは許されている、すなわち喫煙は許されており合法である、と述べる。

過去の偉大な法学者たちは許容されていないと述べたし、また地方のムフティーたちによっては、これは禁止されていると述べたりもしている。最近では、故バハーイー・エフェンディがこれを合法であると発言したが、それは彼自身の中毒とは関わりがない。人々にとって何が最適な状態であるかを考慮し、また「許容こそが標準であり基本である」という原則を固持すべしとの信念を貫いたがゆえである。四大法学の祖のうち、誰か一人の伝統に基礎を求めるのがフェトワ発令の規則ではあるが、このような伝統不在のものごとについては、それ以前の原則そのものに立ち戻ることが不可欠である。

喫煙の隆盛は、それに付随するあらゆる状況を含めたとしても、それでもいずれも許容の範疇に入れるに値するものではない。にも関わらず、喫煙にまつわるあらゆる好ましからざる諸性質を度外視して、禁止や不承認の発言に対する異議が巻き起こる。ではこの異議が意味するところとは何であろうか。人間とは、破滅的な結果も含めて禁じられたものの使用に執着する生きものなのだ、それが人間なのだということである。だがしかしそれ以上に、それを合法と定めることは公益に適っている。それは中毒者に対する恩情であり、人民を罪から守る行為である。こうした理由で、喫煙の許容を宣言することが採択されたのである。大部分のムスリムが喫煙中毒者であり、この習慣とほぼ分かち難く結びついており、それを阻むものもなければ捨て去ることもないだろう状況にある。そしてそれが全世界的な傾向なのである。この種の問題においては裁判官もムフティーも、人々が罪に追いやられることのないよう、聖法のあるがままに自らの判断と裁決を導き出さねばならない。「現代の権威者が禁じたり、不承認としたものを習慣として継続することについては、聖法上では許可の範疇である」というフェトワが発令されているが、これは聖法が明白に禁じたものを習慣として継続することとはわけが違う。後者は災禍でしかないが、前者には害がない。

「二つの害悪のうち、より小さい方を選ぶ」という法の原則に基づいて判定を下す法学者は、自らも罪を犯さず、また信仰者をも罪から救うという善行によって、おそらく報奨を得るだろう。

今は亡きバハーイー・エフェンディは、健全なる精神と堅固たる感覚の持ち主であった。彼が「qanun に従い、」熱心に勉学に励んでいたならば、また麻薬に耽溺することがなかったならば、彼はトルコにおける最も著名な学者の一人になっていたはずである。本当に、彼には推論の才能があった。そしてその天性の才能をもって、あらゆる所でその聡明さを見せつけてくれたものだった。そして議論のまっただ中にある問題においては、彼は人間の置かれた状況をこそ第一に考える温情を持っていた。神よ、彼に温情をお示しあれ。故アブドゥッラヒーム・エフェンディ3よりこの方、彼のようなムフティーはいなかった。

注意。こう尋ねる者があるかもしれない。ある一つのものが同時に許可されたり、忌避されたり、あるいは禁止されたりすることがありうるのか?これは自己矛盾ではないか?視点や角度を変えることによりこれはありうる、というのが回答である。たとえばバクラヴァを食することは許可されている。だが飽きるほどうんざりしている者には、有害であるため禁止される。

今後、ムスリムの統治者が行なうべき最も必要かつ有用な対策は以下の通りである。すなわち、たばこの葉の取り扱いに関しては、帝国全域のあらゆる領土に排他的特権を設けて管理人を任命する。たばこ一オッカにつき二十ピアストルの財務省への定額寄付を課す。あらゆる都市に一カ所、たばこの指定販売所を設置し、それ以外の一般の市場では売買を禁じる。これで年間一億アスパーが国庫に入る。

今は亡きガーズィー、スルタン・ムラト四世が施行した苛烈な禁令下においては、敢えてパイプを用いて喫煙することはせず、葉を砕いて鼻から吸引することでたばこへの渇望を斥けた人々があった。しかしその後になって、彼らはこうした愚行を捨てた。怖れることなく喫煙できるようになったためである。次に、神を畏れる人々の存在がある。彼らは信仰あつく、自らは手を出さないが、喫煙者に干渉もしない立派な人々である。そしてその次に、自分には合わないということが分かったため、喫煙をやめた者たちがいる。たとえば現在の筆者がこれである。

愚か者が干渉することはあり得る。たとえば以下の通りである。

「そうやって、剛胆ぶって煙草を吸う愚をまき散らすがいい、
心に太陽の昇らぬのを、煙草の熱で補うがいい」

中毒者は答える。

「煙草のもたらす喜びも風味も、砂糖や蜂蜜では購えぬ」

それから全く臆さずに、ぷかぷかとたばこをくゆらし続ける。最良の道とは、誰に対してもこのような干渉をしないことである。そしてそれこそが全てである。

 


1. Islambol イスラムボル、イスランボルとはトルコ語で「たっぷりのイスラム」「十全のイスラム」というほどの意味であり、オスマンの大都市を名指す際の、数多くの言葉遊びのひとつである。

2. ムラト四世はわずか十二歳で即位した。ほぼ無政府状態といっていい時代、反抗的なテュルクの兵たちには、冷酷な処置を取らざるをえなかった。彼はコーヒー・ハウスを閉鎖し、喫煙に対しては死罪をもって禁じた。1633年9月16日、イスタンブルの1/5を破壊した大火事から二週間後のことである。コーヒー・ハウスは退廃の温床ではあったが、しかしスルタンが喫煙を禁じた理由はほとんど不明である。カディザーデ・メフメド・エフェンディ(第二十一章を参照)が、煙草は罪深い革新であるとの考えから、非合法化するようスルタンを説得したのだとする意見もある。歴史家たちによれば、大火事は喫煙者の不注意によるものではなく、水もれを防ぐためのかしめ作業を行なっていた船着場が原因であったという。

3. ハッジ・アブドゥッラヒーム・エフェンディとは、バハーイー・エフェンディの前任者として1647-49年にシェイヒュル・イスラムを務めていた人物。(バハーイー・エフェンディに対する)賛辞は、あながち空疎な追従というわけでもなさそうである。バハーイー・エフェンディが一度めに職を解かれたのが1651年であり、1656年11月に『真理の天秤』が脱稿するまでの間に、他に6名がこの職に就任しては解雇されている。