ライオン、オオカミとキツネの物語

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

ライオン、オオカミとキツネの物語

ライオン、オオカミ、それからキツネが、食べるものを求めて狩りをしようと連れ立って山に分け入った。三人揃えば、山の奥深くまで潜り込み、大きな獲物を仕留められるだろうと考えたのだった。ライオンは、彼ら、すなわちオオカミとキツネについては好ましく思ってはいなかった。それでも彼らに義理を立て、彼らの申し出を聞き入れ、彼らと歩くことを受け入れた。

ライオンのような王者にとり、取巻きの兵士というのはとかく不快な存在でしかなかった。しかしそれでもライオンは、ともかくも彼らを許すことにした。異なる質を持つもの同士が連帯出来るとするならば、それはまことに神のお慈悲に他ならぬ。月は取巻きの星々を好まない。しかしそれでも月は、ただ寛容のみをもって星々の上に君臨し統治するのである。

預言者が、教えを友にする同胞達に助言を求めたのも、ただ神がそうせよと命じたもうたからだ。実際には、預言者自身の助言にまさる助言など、誰ひとりとして出来ようはずもなかった。天秤の、こちらに大麦、こちらに黄金を載せる。それで釣り合ったからと言って、大麦が黄金になったわけではない。精神は、肉体の旅の道連れとなり、犬は宮殿の門の護衛となる。だからと言って、精神は肉体と同質ではない、犬と宮殿もまた同様に。

- さて、オオカミとキツネの二人は、威風堂々たるライオンの、それぞれ両脇について山に分け入った。彼らの目の前に現れたのは、野牛、山羊、それにまるまると太った兎であった。邪魔するものは何もなく、三人組はやるべきことをやり遂げた。全てが順調だった。それもそのはず。戦いを知るライオンの仲間となれば誰であれ、ただライオンの後をついて行きさえすれば良い。そうすれば、決して期待を裏切られることにはならないだろう - 昼となく夜となく、獲物の肉にありつけるだろうという期待を。

やがて彼らは山を降りた。傷つき、血まみれになって殺された獲物を引き摺りながらジャングルへ帰ってきた。オオカミもキツネも、正義という名の皇帝による裁きを、獲物が公平に分配されることを激しく熱望していた。二人の思惑がその場に反射し、弥が上にも高まるのがライオンにも見て取れた。彼らの期待が何に根ざしているのか、ライオンは承知していた -

- 私には私の価値観があり、私には私の判断がある。

私の価値観、私の判断を分かち合える友人達に向けて、私は語ろう -
このライオンのごとく、神秘を知り抜く貴公子がこの世には存在する。
相手が誰であれ、彼らはその本心の、底の底まで見抜く力を持っている。
用心せよ!彼らではない、あなた方自身の心を用心せよ。
彼らの前では、あなた方は丸裸も同然だ。
どんなに些細な出来心であっても、心に浮かぶもの全てを彼らは見抜く。
そしてそれと知りつつ、黙って静かに馬を進め、
心の底で何を感じ何を考えているのかについては、微笑の仮面で巧みに覆い隠す。

- オオカミとキツネの、見当違いな思惑にライオンが気付いたとき、彼はそれについて意思表示することをひとまず避けた。そしてあくまでも丁寧に、礼儀正しく振る舞った。だが心の中で、彼はひとりごちた、「貧相な小悪党どもめ!見ていろ。このおれが、貴様らにふさわしい罰を与えてくれよう。裁きを望むなら、このおれが裁いてくれよう - 貴様らにはそれで十分だ。

おれにはおれの価値観があり、おれにはおれの判断がある。それと知りつつおれに近づいておきながら、後になって欲を出し、同意出来ぬ、承服出来ぬとは言わせぬぞ。画家の思案と知識から生まれた絵画が、画家に感謝するならばいざ知らず、画家を批評出来るとでも思うのか。

あさましい奴らめ、世界の面汚しめ。よくも見くびってくれたものだ、このおれに意見しようとは。貴様らの頭の中にあるものと言えば、神に関する無知と邪悪な思案だけだ。貴様らの偽善まみれの頭を、このおれが打ち砕いてくれよう。心配するな。貴様らを、罪と不名誉から解放してやろう。そして世界の時の終わりまで、貴様らの物語を教訓として残してやろう」。

- このような思案を抱きつつ、ライオンは穏やかな微笑を絶やさずにいた。用心せよ、ライオンの微笑を信じるな!比するならば、現世の富とは神の微笑だ。それは我らを酔わせて前後不覚に陥れる。虚栄心は膨れ上がるが、救いの綱は擦り切れて使いものにならなくなる。我ら平々凡々たる者には、貧窮と苦悩が富よりも似合っている。少なくとも、貧窮と苦悩の微笑には、何の嘘も偽りもないのだから。

ライオンは言った、「オオカミよ、この獲物を分配してみてくれ。正義とはいかなるものか、年長者として手本を見せてくれ。そして正義に、新たな命を吹き込んでくれ。おまえに任せよう、問屋になったつもりでやってみてくれ。おまえの腕の見せどころだぞ」。

「それなら、大将」、彼は言った、「野牛はあんたの取り分だ。こいつは大きな獲物だが、あんたも負けず劣らず大きいし、何と言ってもめっぽう強くて大活躍だったからな。山羊はおれの取り分だ、何故って、山羊はちょうど中くらいの大きさだし、残りの二つの真ん中くらいだ。そしてキツネよ、おまえは兎を取っておけ。間違っても変な気を起こすなよ!どうだい、これで公平だろう」。

ライオンは言った、「オオカミよ、貴様は自分が言ったことの意味を分かっているのか?おれという者を目の前にしながら、『我』の『汝』のとほざいたな!貴様など、オオカミではなくただの野良犬だ。無類無敵のライオンであるこのおれの目の前で、おれから目を逸らし『我が、我が』とわめくとは」。

それから彼はこうも言った、「前へ出ろ、うぬぼれ屋の阿呆め!」。そしてオオカミの方へ近寄ると、ライオンは彼を乱暴に取り押さえ、その爪で切り裂いた。ライオンは、オオカミの分配に正義を認めなかった。それでその罰として、オオカミの頭の皮を剥いだのだった。彼は言った、「身の程知らずめ、その性根を叩き直してやったぞ。おれの視界で『我が、我が』とわめくからこうなる。おれに首を刎ねられたことを光栄に思え、貴様には過ぎた治療だ」。

- 「全ては滅びゆく、ただ神のお顔を除いては(コーラン28章88節)」。神のお顔に、根源の根源に背を向けようというのでも無い限り、「でも」だの「けど」だのはもっての他だ、そこに在り続けようなどと夢にも思うな。そもそも、御方のお顔に背いた者が「在り続ける」ことなど出来ようもない。「在り続ける」のは神のお顔だけ。御方のお顔に、根源の根源にその存在を消滅せしめた者達のみが、滅びゆく全てとは裏腹に「在り続ける」のだ。

「私」「私達」と繰り返す者に、神の法廷はその扉を開かず追い返す。扉の中に入らぬ限り、その者は「在る」ということから除外され続ける。 - ここでひとつ、ある男の話をしよう。恋しいひとの住まう館を訪ねたものの、追い返されてしまった男の物語だ。