耳の遠い男と、隣の病人

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

耳の遠い男と、隣の病人

「おい、お前の隣に住んでいるあの男、ひどい病気にかかったそうだぞ」と、耳の遠い男に告げる者があった。耳の遠い男はしばし考え込んだ。「やれやれ、耳の遠い私に、どうしたらあの若い者の話し言葉が分かるだろうか。しかも病気だというからには、彼の声もさぞかし弱って聞こえにくいに違いない。

とは言え、隣同士のよしみだ、見舞に行かねばなるまい。ともかく、彼の唇の動きをよく見て、何を言っているのか読み取るようにしよう。『友よ、具合はどうかね』と私が言えば、彼もこういう時は『おかげさまで』だの『だいぶ良くなったよ』などと答えるだろう。

そこで私は言う、『神に賞讃あれ!ちゃんと飲んだり、食べたりしているかね』。彼が答える、『シャーベット』だとか『豆のスープ』だとか。そこで私は言う、『病気の時にはそれが一番だ。どこの医者に診てもらっているんだね?』。彼が答える、『どこそこの、誰それだよ』。

『あいつは良い医者だ、私が保証するよ。あいつに診てもらっているなら間違いなく君は回復するだろう、幸福を運んでくれる医者だからね。私も一度あいつに診てもらったことがあるよ。どこへ行こうが、誰の病気だろうが、たちまち治してしまうのさ』。よしよし、これで大丈夫だろう」。善良なこの男は、あらかじめこうした見舞の言葉を用意して、それから隣の病人を訪ねた。

「友よ、具合はどうかね」、男が尋ねると、「そろそろ死にそうだ」、病人が答えた。「神に賞讃あれ!」、耳の遠い男は用意した通りの言葉を声高く叫んだ。これを聞いて、病人はむらむらと怒りが湧いてきた。「神を賞讃するっていうのはどういう了見だ?こいつめ、おれが死ぬのを待っていたのか」。

耳の遠い男が、あれこれ工夫し準備してきたことが、どうやら裏目に出たようだ。それに気付かず、耳の遠い男は何か飲んでいるのかと尋ねた。「さっき毒を飲み干したところだ」、病人が答えた。「病気の時にはそれが一番だ!」、耳の遠い男が言った。病人の怒りはますます収まりがつかなくなってきた。

男は更に続けて言った、「どこかの医者に診てもらっているんだね?」。病人は答えた、「決まっているだろう、アズラエル(※死を司る天使)だよ。さあ、とっとと帰ってくれ!」。「あいつは良い医者だ、私が保証するよ」、耳の遠い男は言った、「幸福を運んでくれる医者だからね!」。

さあ、言いたいことを言ってしまえば見舞も終わりだ。「そろそろ失礼するよ、神に賞讃あれ、神に賞讃あれ!」。病人は言った、「これで決まった、間違いなくあいつはおれの不倶戴天の敵だ。あんなにひどい男がすぐ隣にいたとは、夢にも思わなかった!」。

病人の心に、百も二百もの罵りの言葉が浮かんだ。そしてあたかも悪い食べ物を食べた後で、胃袋がひっくり返って吐き出そうとするかのように出口を求めて暴れ回った。 - しかし待て。これぞ「怒りを抑え、すすんで人を赦す(コーラン3章134節)」好機ではないか。

しかし、彼にはとても我慢できそうになかった。だが忍耐が無ければ、苦しむことになるのは彼自身であった。彼は叫んだ、「この怒りをどうすれば良いのか。あいつめ、同じような目に合わせてやりたい!あいつがおれにしたのと同じようにように、おれも言い返してやれば良かったのだ。

だがさっきまでは思案もうまくまとまらず、おれはあいつの相手をするだけで精一杯だった。病人を見舞うことの意味が、あいつには分かっているのだろうか。見舞うというのは、病人をなぐさめるためにすることだろうが。あいつのしたことは見舞などではないぞ、何しろおれはちっともなぐさめられていない。

これが病人にする仕打ちか?要するに、あいつの目的は自分が満足することだったのだ。おれの満足などどうでもよかったのだ。何ということだ、病人のおれが、あいつの心の平穏を購ってやらねばならないとは」。多くの人がこれと同じ過ちを犯す - 自分の献身、自分の奉仕に対する、同等の承認、同等の返報を求めるということ。

実に、こうしたところにこそ罪が潜んでいる。敬虔とされる人々のうち、自分には悪意はない、ただ純粋に善意のみである、と思う人がいるのなら、その人は本当に、本当に汚れている。件の耳の遠い男にしても、自分では親切に振る舞っていると思い込んでいた。しかし結果としてそれは親切でも何でもなかった。

彼は自分の家に帰って悠々と椅子に腰かけて言う、「今日の私は上出来だった。病気の隣人をお見舞いし、きちんと敬意を払ったのだから」。しかし実際には、彼は病人の心に火をつけ大やけどを負わせたのだ。自らの持つ火に不注意であってはならない。あちらこちらに火をつけてまわることになる。それは本当に、本当に罪深いことだ。

預言者は砂漠のアラブに言いたもう、祈れ、あなた方は真には祈っていない(コーラン49章14節)、と。神よ、お守り下さい、私の祈りを。過ちを犯す偽善者の一人に、どうぞ私をならしめないで下さい -

耳の遠い男は自分を恃みとし、自分の類推を恃みとし、自分の推論を正しいものと思い込んだ。しかしそのために友情は粉々に砕けた、十年かけても修復出来そうにないほどに。憶測で判断するのは危険だ - ましてやそれが啓示であったならばどうか。

世の中の学者方よ、あなた方の知識にも限界がある。啓示の言葉を、あなた方の感覚にまで引きずり降ろし、その上で類推に耽ることは断じて避けねばならぬ。あなた方の勝手な憶測が、あなた方の肉の耳に心地よく響き、すっかり理解出来たと思い込むとき、

- 知れ、あなた方の魂の耳はすっかり塞がれているということを。真の意味の語るところなど、何ひとつ聞こえなくなっているということを。