終)吟遊詩人の物語

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

終)吟遊詩人の物語

しまった、この辺で道を引き返そう。早く吟遊詩人のところへ戻らねば。必死になって口をつぐみ、こちらの長話に付き合いつつ出番を待っておったようだが、そろそろ限界だ。顔色も青ざめぐったりとしている。これはいけない。急いで物語の仕上げに取りかかろう。どこまで話しただろうか?そう、御方の声がウマルに届いたところまでであった -

「ウマルよ、ウマルよ。われらのしもべを一人、貧窮から救ってやってはくれまいか。われらにとり、あれは大切なしもべだ。あれの言葉も意図も、われらは長いことこよなく愛でた。それなのに、現世にあって生きながら墓場の他に身を寄せるところも無いとは。あれは貴重な者、価値ある者。尊敬されるべき者が、自らを貶めるようなことがあってはならぬ。ウマルよ、急げ。

万人の公庫を用いよ。七百ディナルもあれば事足りる。その金を持って、墓場にいるあの者の許へ行け。そしてこう伝えよ、『あなたは神に選ばれた者。あなたは神から我らへの贈り物。あなたが我らに与えたものに比べれば、代価としてはほど遠いが、どうかこれを受け取って下さい。この金を納めて下さい。あなたの竪琴の、絹糸を購って下さい。そして再び、我らの許へ戻って下さい』、と」。

ウマルは畏怖の念を抱いてそれを聞いた。そして声が止むなり飛び起き、命じられた通りに行なおうと、急いで身支度を整えた。声が伝える通りに、金を入れた袋を脇に抱えて、ウマルは墓場へと急いだ。そして「大切なしもべ」と呼ばれた人物を探して、墓石のあちらからこちらを見てまわった。

長い時間をかけて、彼は墓場を巡りめぐったが、それらしい人物は見当たらない。そこには、ただ貧しくみすぼらしい老人が一人いるだけだった。ウマルはひとりごちた。「まさかこの老人ではあるまい」。それからもう一巡、彼は墓場の中を歩いた。だんだんと疲れてきた。しかしそれでも、そこにはあの老人以外に誰もいなかった。

彼は考えた。「神は確かに『大切なしもべ』と申された。『貴重な者、価値ある者、尊敬されるべき者』とも。だがここにいるのは、老いて尾羽打ち枯らした吟遊詩人だ。まさか彼が、神に選ばれたしもべだということなのだろうか?そんな馬鹿な!考えられぬ。信じられぬ。しかしここには、確かに彼しかいないのだ。御方よ、これは一体どういうことか。あなたの謎かけには、いつもいつも驚かされるばかりだ!」。

砂漠で狩りをするライオンのように、もう一度、もう一度、と、彼は墓場の中をうろついて探した。そしてとうとう、墓場には彼と、あの老人以外には誰もいないことを認めざるをえなくなった。彼は言った、「明るく照り映えるろうそくも、暗闇の中にあってこそ。惑いの中にあってこそ、心の眼を以て見極めねば」。彼はそっと老人の傍へと近づいた。そしておそるおそる、彼の隣に座った。

静かに、注意深くふるまうつもりが、ウマルはついつい大きなくしゃみをひとつ飛ばしてしまった。墓石にもたれかかって眠っていた老人が、驚いて眼を覚ました。老人はウマルの姿を見て、更に驚いて息をのんだ。今すぐにここから立ち去らねば。そうは思うのだが、恐怖のあまり体はふるえるばかりで思う通りにならぬ。「ああ、神様!どうかあなたのご加護を!」彼は心の中で祈った。「立派な身なりの屈強なお役人が、私を引っ立てにやって来ました。どうか憐れんでください、この年老いた吟遊詩人を、どうかどうかお助け下さい、神よ!」。

ウマルには、もちろん吟遊詩人の心の祈りなど聞こえはしない。だが彼は、老人の表情に狼狽を見た。それから、その顔に深く刻まれた羞恥と、畏怖とを見た。またその顔色が、ひどく悪いことも見てとれた。ウマルは言った。「大丈夫ですから、どうか落ち着いて下さい。恐がらせてしまったのなら謝ります。逃げないで下さい、私は神に命じられて、吉報を届けるためにあなたの許へ来たのです。

あなたについての褒め言葉を、神から聞かされましたよ。それはもう、沢山の褒め言葉を。こうして正面からあなたを見て、このウマルにもやっと合点がいきました。素晴らしきお方よ、私の隣に座っていて下さい、どうか離れないで下さい。言ったでしょう、神に命じられてここへ来たのだと。あなたに伝えなくてはならないことがあるのです。どうか耳を貸して下さい。

神からお預かりした伝言です。今のあなたの尽きない苦悩を、果てない不幸を取り除かなくてはならぬ、との仰せです。そのために、ここに少しばかりの金を用意しました。これで竪琴の絹糸を買い、それが済んだら再びここへ戻るように、と」。年老いた吟遊詩人はこれを聞くと、体の震えはますます激しく、止まらなくなってしまった。震えを押さえようと、彼は自分自身を抱きしめようとしたものの、震えるその手は、身につけていた衣をたちまち引き裂いてしまった。

彼は号泣した。「神よ!比類なき御方よ!」、今や吟遊詩人は、羞恥と悲哀のあまり溶けて流れ出さんばかりだった。「この期に及んで、地上の王の施しを受けよと仰るか。これ以上の辱めがあろうか」。彼はそれから長いこと泣いていた。涙も枯れ果てた頃に、悲しみの全ても枯れ果てた。彼は立ち上がり、やおら竪琴を振り上げると、勢いよく地面に投げつけた。竪琴はばらばらに砕けて飛び散った。

彼は言った。「竪琴よ。おまえは長い間、私と神を隔てる垂れ幕であった。王のすまう頂上へと至る山道で、おまえは山賊のように私を生け捕った。以来七十年、おまえは私の血をすすり飲み続けた。私の顔がこのようにどす黒いのもそのため。落ちぶれて恥多いこの顔を、完璧なる御方の前にさらさねばならなくなったのだ」。

御方よ、お慈悲を!お守り下さい、あなたを信ずる者を!
罪深いままに一生を終えるこの身に、どうかご加護を!
神よ、あなたは私に生を与えたもうた。
しかし生など、あなた無しには何の価値もない - 私の一生とは何だったのか?

息を吸っては吐き、吐いては吸ううちに過ぎた日々。
ある時は高く、またある時は低く、音階から音階へと流され移りゆく日々。
旋律と拍子に気を取られ、どこまででも追いかけた日々。
自分自身の心については、ウルク(イラク)よりもはるか彼方に置き去りにして -

ああ、水のように軽やかに流れてゆくあの響き、あれは短調のジラフガンド。
あれは私の心臓に植え付けられた一粒の種、
私の心臓から全てを吸い上げて、私は死体も同然のようになった。
ああ、二十と四の音の連なりからなる旋律の数々に、
私はのめり込んで離れなかった。

カラヴァンは、日々を積んで私の目の前を過ぎ去って行った。
神よ、私をお守り下さい。
助けて下さい、私があなたから目を逸らさぬように。
つなぎ止めていて下さい、私が、あなた以外の何ものにも頼らないように。

公正も正義も、あなたにのみ求めます。
私を、私自身の手に委ねないで下さい。
私は私を、あなたの御手にのみ委ねたいのです。
私自身よりも、はるかに私に近く、
私自身よりも、はるかに私を知るあなたに。

この『私』ですら、一瞬また一瞬ごとに、
あなたの許から送り届けられて初めてこうしてここに在るもの。
こうして落ちぶれているこの『私』もまた、
あなたの許から送り届けられてここに在る -
ならばあなた以外の助けは望まぬ、あなた以外の財も望まぬ。

誰かが自分のための金貨を数えている時に、
視線を逸らす者などあるだろうか?
視線は、金貨を数える者の手元に注がれるだろう、
それを受け取る自分ではなく。

「ちょっと待って下さい」、ウマルが口を挟んだ。「どうやらあなたの視線は、未だご自分に注がれているようだ。今のあなたの嘆きは、あなたの自意識の為せる業ではないだろうか? - 御方へと至る道において真っ先に求められるのは、まさしくその自意識を捨て去ることなのですよ。

あなたは真面目な方だ。だが真面目さも、行き過ぎれば罪の上にもうひとつの罪を重ねることになってしまう。何故ならそのような真面目さは、過去を思い詰めることから生じるものだから。以前に何が起きたのか、記憶を掘り起こし固執することから生じるものだから」。

過去や未来というものは、非常にやっかいなしろものです。
ひとたび、それらについて考え始めると、
たちまち神と私達を隔てる幕となってしまう -
過去と未来を、二つながらに火にくべて燃やしてしまわねば。

ご覧なさい、あなたときたらまるで葦の固い節のよう、
すっかり身動きが取れなくなっている。
過去だの未来だの、思い詰めても詮無いことに自分を縛りつけているせいだ。

葦笛をご覧なさい、節を取り除いて作られているでしょう?
固い節は、旋律の秘密を分かち合うのにふさわしくない。
葦笛を奏でる者の、唇と触れ合うのにふさわしくない。

神を探し求めようというまさにその時、
人はしばしば『神を探し求めよう』というおのれの自意識に、
がんじがらめに絡めとられてしまう。

だがそのような状態で旅に出たところで、一体何のための旅だろうか。
旅から帰って来た時に、旅に出る前と同じであっては、一体何のための旅だろうか。

自意識を捨ててしまいなさい。
あなたは、すでに知識の半分まではお持ちなのだ。
あなたの祈りは美しい、だが知識を与えたもうた御方に悔悟するのに、
知識をお持ちのあなたがそのようであっては、
知識を持たぬ者、悔悟せぬ者よりも罪深い。

赦しを与えられてなお過去に囚われ、
くどくどと嘆き続けるのは金輪際およしなさい。
今、目の前に与えられた赦しに全身全霊ですがりつきなさい、
ご自分の過去にすがりつくのではなく -

あなたの悔悟は聞き届けられたのだ。
塩辛い涙に別れを告げる時が来たのだ。
さあ、もう泣かないで下さい - 今、ここ、この瞬間に、
あなたの耳に響いているはずの旋律を聞き逃さないためにも。

ファルーク12は、奥義を解き明かして聞かせた。それは神の光を反射する鏡のよう、暗い夜の闇に眠り続けていた老人の、魂を目覚めさせるのには十分な明かりだった。吟遊詩人はもはや、それ以上泣き続けることはしなかった。かと言って、笑い転げるというのでもない。魂が目覚めるとは、そういう事だった。

古い殻を脱ぎ捨てて、彼はすっかり新しく生まれ変わったかのようだ。地から天へ、そして再び地へ戻ってきた吟遊詩人の、混乱の時が終わったのである。探して、探して、探し求めた果ての更にその先に、ついに辿り着いたのだ -

探求の果てには、一体何があるのだろう?それを語る言葉を私は持たない。あなた方の中に、もしもそれを語れる者があるなら、誰でも構わぬ、遠慮は無用だ、ここへ座って、さあ、私の替わりに語ってくれ!

全ての感覚と言語を超越した、更にその先の感覚と言語とはどのようなものだろうか。かの吟遊詩人はそれを味わった。それに没入した。ひとつに統べる御方の美に、今こそ恍惚となって溺れ切った。真に溺れ切った人というのは、救いを求めることすらしない。彼を捉える海以外に、知られたいとも望まない。と、言うよりも、彼と海とを分かつものすら既にない。今や彼は、海そのものになったのである。

一人ひとりの知性などたかが知れている。全てを知ることなど不可能だ。だがそれでも、欲するところを訴え続けることには意味がある。繰り返し、繰り返し、何度でも問い続けることだ。繰り返し、繰り返し、何度でも願い乞い続けることだ。そうしているうちに、やがて知の海の方から、こちらに迎えの波を差し向けてくるだろう。

- さあ、吟遊詩人の物語はここまで。この先、彼が何を見て何を聞き、そして何を味わったのかは、あちら側に隠して幕引きとしよう。紡ぎ出された言葉の数々も、幕が引かれれば再び散り散りになって消える。こうして立ち上がり、衣の裾をさっと払えば、これこの通り。食事の後の、パン屑のよう。払い落とされなかったパンの半分、語られなかった物語の続きは、私達の口の中、というわけだ。

勿体ぶるな、全てを語れ、とな?いやいや。楽しみや喜びを手に入れたいのなら、ただ待っているだけでは駄目だ。賭場に出向いて、身銭を切らずに儲けようなどというのは駄目だ。かの吟遊詩人のように、一度は全てを失うくらいのことはせねばならぬ。霊的な森に分け入るのなら、鷹になって獲物を追い求めねばならぬ。餌をくれ、とねだる雛には到底無理だ。けちけちと小銭を賭けるな、己の魂を賭けろ。そしてひとたび賭けたなら、ためらわずに賽を投げろ!

そろそろ、夜も明けて太陽が昇る。あなた方も私も、太陽のようにありたいものだ。空っぽになってはまた満ちる。刻一刻と、たゆまずに昇り続ける。

存在を照らす太陽よ。我らが魂を照らしてくれ。古ぼけたこの世界に、新しい生を与えてくれ。

我らが魂よ、我らが精神よ。不可視の領域より出よ。古ぼけたこの世界を、水のように流れて清めてくれ。

 


*12 ファルーク 「善悪、正誤を区別する者」の意。ウマルに贈られた称号、呼び名。