続)砂漠のベドウィンと、その妻の物語

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

続)砂漠のベドウィンと、その妻の物語

「わが妻よ。おまえは私が傲慢だと言う。何故おまえという女は、そんなにも疑り深いのか。どうして世間のあれこれに、未練がましく関わるのをきっぱりと辞めることが出来ないのか。おまえは、私を貪欲な蛇使いだと言う。なるほど私の在りようは、おまえにはそう見えているのだろう。だが実際のところ、これが情けだ、これが慈しみというものだ。御方が私に与えるのと同じものだ。貪欲の入り込む隙間など、一体どこにあるものか。

ともかくも、貧しさを受け入れてみろ、一日、二日だけでも構わないから。
そうすれば、おまえも貧しさの中に二倍の富を見出すだろう。
耐えてみろ。貧しさを嫌って、貧しさを避けようと、
悪あがきするのをほんの少しだけでもやめてみろ。

主の栄光とは、貧困の中にこそ見出されるものなのだよ。
ねえ、おまえ。そんなふうに酢を飲んだようなしかめ面をするものじゃない。
おまえには、この海が見えないのか。
数え切れぬほど多くの人が、平穏を得ようと飛び込んだ蜜の海だ。

見てごらん。傷つき、苦しんだ多くの魂も、今やすっかり蜜に染まって、
ふわりふわりと、まるでシロップの中を行ったり来たりする薔薇の花びらのよう。
ああ、ああ。おまえに、それが理解出来たならいいのに!

今まさに私の心の扉が開かれようとしている。
聞こえないか、私の魂が、おまえの魂に何かを伝えようとしている。
それは魂の胸から流れる乳のようだ -

赤ん坊が欲しがらぬ限り、乳は胸から勝手に流れ出はしない。
だが喉がからからに乾いて、水を欲する者がある限り、
たとえ墓の下の死者となっていたとしても、語り手たる者、
聞き手が欲する限り、雄弁に語り始めるだろう -

聞き手が力を失い、どんよりと疲れ切っているのでもない限り、
みずみずしい力に満ちている限りにおいては、
たとえ口もきけず耳も聞こえぬ者であっても、
百の舌を何としてでも探し出し、語るべきことを語るだろう。

見知らぬ赤の他人が扉の前に立てば、
女達はヴェイルを被ってハレムの奥へ逃げ隠れる。
だが害を及ぼさぬ縁者なら、女達はヴェイルを外して彼らを迎え入れる。

何であれ、美しく愛らしく、素敵な全てのものは、
それを見る眼のためにこそ造られている。
美しく甘く流れる調べ、高音と低音をつらねた旋律も、
それを聞く耳のためにこそ造られている。

麝香が放つかぐわしい香気も、楽しむためだけにあるのではない。
匂いを嗅ぎ分ける感覚のためにこそ、神はそのように造りたもうたのだ。
芳香と悪臭の別も弁えぬ者のためにあるのではない。

陸も空も、神はそのように造りたまい、
またそのどちらにも、多くの炎と光を標として添えたもうた。
陸は土から造られた者達のため、空は炎から造られた者達のため。

低きに流れる者達は、高きを目指す者達の敵にしかなれない。
各々の行為を見れば一目瞭然、明らかに見てとれるだろう。
低い処、高い処、誰がどちらを買い取ったのか、
全ては天の帳簿に記録されている。

- おまえは無垢な女だ、わが妻よ。
教えておくれ、女というものは、
眼の見えぬ男のために着飾ったり、化粧したりするものなのか?

世界中に散らばった、隠された知恵の真珠を集めて、
首飾りを作ってやろうか - おまえに見せてやりたいよ!
けれどおまえにそれが見えないと言うのなら、
これ以上、私は何をしてやれるだろう?

諍いはもう沢山だ、わが妻よ。
私は互いに互いの敵となって争いたくないのだ。
それでも争いを避けられないのなら、私を避けろ - 私から去って行け!

物事を、善と悪のふたいろに分けて、
どちらが正しく、どちらが間違っていると争うのは御免だ。
穏やかに、静かに過ごしていたいのだ。

- 「これで最後だ、わが妻よ。おまえが穏やかに、静かに過ごしていてくれるならそれで良い。だがそれがどうしても出来ないと言うのなら、おまえが立ち去るか、あるいは私が立ち去るかだ」。

そんな激しい言葉を夫が口にしたのはこれが初めてだ。妻は、夫が自分の手に負えなくなったことを悟った。悟った次の瞬間、妻はしくしくと泣き出していた - 女の流す嘘いつわりのない涙ほど魅惑的なものはない、それが罠だと分かっていても。妻は言った、「あんたの口からそんな言葉を聞くなんて考えてもみなかったよ、もう少し違う何かをくれるだろうと思ってたのに」。妻は控えめに、へりくだった様子で夫ににじり寄った。

「ねえ、あんた。私はあんたにくっついた埃みたいなものだね」、 - 彼女は言った。

あんたの妻、この家の女主人と呼べるほどの価値など私にはないさ。
それでもこの体だって心だって、私はまるごとあんたのものなんだよ。
だからあんたは、何だって好きなように命令したらいいのさ、
あんたが今そうしているようにね。

それが夫と妻だって言うなら、そうするが良いさ。
けれどそれならそれで、妻が貧しさに耐えきれなくなっても、
それは妻のせいじゃなく、夫のあんたのせいじゃないのかい。
妻の私が病なら、夫のあんたが薬だろう。

自分の思う通りに命令できる夫のあんたが、
あんたの命令に従うしかない妻の、私の面倒を、
まともに見られなくてどうするんだい - だからこそ私は、
あんたがこれ以上文無しでい続けることに反対しているんだよ。

まだ分からないのかい?私の魂、私の良心に誓って言うよ。
私は自分のために言ってるんじゃない。
私が泣いたりわめいたりするのは、
あんたに掛け売りしてるようなものなんだよ。

神かけて、あんたのためだったら私はいつでも喜んで死ねるよ。
魂の一番深いところで、私はいつだってそう考えているよ。
けれどあんたの魂は、そんな私の魂のことを、
ちょっぴりでも気にかけてくれているんだろうか。

あんたが私をばかにして見下すたびに、
心を広くしよう、広くしようと、私は自分に言い聞かせ続けてきたのさ。
そのおかげで、あんたのためなら、
命も惜しくないとさえ思えるようになってしまった。

これで全部だ、私はもう何も言わないよ、銀貨も金貨も要らないよ。
あんたが全てだ、あんたさえいてくれるんなら、私は他に何も望まないよ。
私の心も魂も、あんたのものにしておいて、
ほんの少し気に食わないことがあったからと言って、
あんたは私を捨ててしまえるのかい - やめておくれよ!

それが夫の権利だと言うんなら、今度こそ本当におしまいだ。
あんたは妻の私よりも、夫としての権利の方を選ぶって言うんだね。
- ああ、魂がはり裂けてしまいそうだ!

あんたはもう忘れちまったのかい - それはそれはきれいな偶像と、
きれいな偶像を熱心に崇拝する異教の男がいた頃のことを。
- ああ、あの頃に戻れるものなら戻りたいよ!

偶像だった私は、あれ以来あんたの言うことは、
何だってひとつ残らず聞きもらさぬようにと、
自分の心は台所の火にくべて燃やしたのさ。

いつどんな時だって、ひとこと、あんたが『おい』とだけ言えば、
私は『はい』と答えて皿を差し出してきたんだ。
煮るなり焼くなりあんたの好きにしたら良いのさ、
私はあんたのほうれん草なんだから。
酸っぱいスープに入れようが、刻んでまるめて揚げようが、
全部あんたが食べたら良いんだ。

ー ずいぶん罰当たりなことを口にしたけれど、もう二度と言わないよ。
あんたの言っていることは良く分かったよ、あんたは正しいよ。
あんたを信じるよ、何でも命令しておくれ、その通りにするから。

知らなかったんだよ、あんたが本当の王様だってことをさ。
私ときたら、王様の前でみっともなく取り乱してしまって。
許しておくれよ、もう二度とあんたに逆らったりしないから。

私の後悔のランプに、あんたの容赦の火を灯しておくれ。
罰すると言うのなら罰しておくれ、そら、私の首はここだよ。
討ち取るっていうなら討ち取っておくれよ、殴りたければ、殴っておくれよ!

それでもあんたは私を捨てるのかい。
ああ、他のことなら何でもするから、それだけはやめておくれよ!
あんたの良心は何と言っているんだい。
私はあんたの良心に従うよ、他に仲裁してくれる者もいないんだもの。

あんたにとっても私にとってもそれが一番正しい答えさ。
私じゃ駄目だよ、私は罪深くて、あら捜しばかりしてしまうから。

- 「ねえ、もう怒らないでおくれ、優しいあんたでいておくれ。樽にいっぱいの蜂蜜よりも、あんたの方がよっぽど素敵だと思っているんだよ」。彼女は、こんなふうに切々と訴えた。合間には、切れ切れに彼女のすすり泣きがしおりのように挟まれ、その様子はいかにもいじらしく見えた。いつしか涙も、嗚咽もどこか遠くの方へと通り過ぎていった。

涙など流さずとも、今の彼女は夫を惚れ直させるのに十分な存在感を放っていたが - 妻の涙が、心と心を隔てる国境の線を超えたその瞬間、夫の心に雷光が走った。続いて大粒の雨が、落雷がまき散らした火の粉の上に激しく降り注ぎ始めた。ふと見れば、そこにあるのは長年連れ添った妻の顔だ。

かつて夫はその顔を飽きず眺め、奴隷のように彼女にかしずいた。その彼女が、自分に対して奴隷のように振る舞おうとしている。かつて夫は彼女の自尊心に、彼女のつれない素振りに何度でも心を震わせた。その彼女が、今やこんなにも弱々しげに、今にも倒れそうな様子を見せている。

自分の心、自分の魂をあれほどまでに打ちのめし、痛めつけていたのは彼女の方だったのに。気付けば息も絶え絶えに、自分に懇願しているのは彼女の方だ。一体、どうしろというのか。何が出来るだろうか。かつて彼女らの罠に、我らは幾度となく陥れられた。その彼女らが、膝を屈して願いごとをする。我らにとって、これ以上の打撃があるだろうか -

「何であれ、美しく愛らしく、素敵な全てのものは、それを見る眼のためにこそ造られている」。

神がそのように造りたまい、そのように配したもうたのだ。逃げ道などありはしない。神がそのように造りたもうたのなら、どうしてアダムが、イブから離れて生きてなどいけるだろうか。得ようとしている平穏そのものもまた、愛する者の許にこそあるというのに。たとえ夫の勇気がロスタムの子ザッルやハムザに優ろうとも、長年連れ添った妻の前では捕虜も同然、何の力もありはしない。