如何にして預言者はアンサールたちの間の敵意と反目を取り除いたか

『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

 如何にして預言者はアンサールたちの間の敵意と反目を取り除いたか

かつてアウスと、ハズラージュと呼ばれた部族が互いの血に飢えるがごとく憎み合っていた。彼らの仲を執り成したのは、ムスタファ(ムハンマド)の説諭であった。彼らの古くからの軋轢は、イスラームと、(心の)純正さが放つ光の中へと消え去った。

3715. 最初に、お互いに敵であった者たちは、庭にみのる一房の葡萄の粒のようにむつまじい兄弟となった。それから「信じる者は互いに兄弟である(コーラン49章10節)」の御言葉通り、ひとつの身体となったのである。葡萄の姿かたちは、まるで兄弟のそれである。絞れば、分け隔てなくひとつの果汁になる。未熟な葡萄と、すっかり熟した葡萄は対立するが、未熟な葡萄が成熟すれば彼らは互いに良き友となる。中には、石のごとく硬いままで熟さぬ葡萄もある。永遠の神は、それを「信じぬ者」と呼びたもう。

3720. 兄弟に非ず、魂においてひとつに非ず。悪しき星を持つ者、苦悩の階梯をさまよう漂泊者。彼が心に隠し持つものをここで語れば、人の心は誘惑へと傾くだろう ー 世界のあちらこちらに、悲嘆を生じさせるだろう誘惑へと。故にもの見ぬ不信の者たちが心に隠し持つ秘密は、暴かずにおいた方が良い。火獄の煙は、(円柱の並び立つ)イラムの都(コーラン89章7節)にたなびくがままにしておくのが良い。未熟ではあっても良き葡萄、熟すにふさわしい葡萄なら、心を導く師の吐息によりやがてはひとつの魂を得る。成熟の階梯を駆け足で昇り、二元論や、憎悪や対立から離れ去るようになる。

3725. やがて葡萄の常として、彼らを覆う果皮を脱ぎ捨て、分離から合一へと至る時が訪れる。合一こそが彼らの天与の属性、ここに至って彼らは<ひとつ>の実在となる。「友」では不十分だ、「友」はいつでも「敵」となり得る、何故ならそれは未だ<ふたつ>の状態だからだ。人は時として自分自身とさえ争う。無数に散らばった破片を<ひとつ>へと導く師の、普遍の愛に祝福あらんことを!路上にまき散らされた塵のごときそれを集めて、<ひとつ>の壺を造るその手に祝福あらんことを。 ー いや、「壺」では比喩として不完全だ。水と土とで造ったものでは、魂について語るのに適さない。

3730. 体は水と土とで出来ている。そして体は不完全だ、故に体の結びつきも不完全だ。だが魂と魂の結びつきは決してそのようなものではない。かといって、魂の結びつきを何になぞらえることが出来ようか。どのような比喩をもってしても、語れるものではないだろう。まこと比喩とは難しいもの、下手をすれば理解の妨げとなってしまう ー 私はそれが恐ろしい。今の世であってさえスライマーンは確かに存在する。しかし我らは、狭き視野に溺れることの快楽に弱いときている。狭き視野は人を盲目にする。我らは、窓も扉も締めきった館で眠りこける者のごとくである。そうして取るにも足らぬ些細なことで、延々と議論し続ける。問題を解決することに熱心で ー と言うよりも、「問題を解決することに熱心である」という姿を演じることに熱心である。結び目を解く者になるためなら、自ら結び目を作り出しもする。要らぬ困難を生じさせ、それから解決のためと称するありとあらゆる規則を並べ立てる。当然、疑問や質問がわき起こる。

3735. それらはまるで罠にかかった鳥のようなものだ。結び目を用意した者たちは、ここぞとばかり解きにかかる ー これで自らの有能さが証明されただろうと言わんばかりに。彼らゆえに鳥たちは元いた場所を離れ、平野を離れて、結び目と格闘しつつ生涯を終える羽目に陥る。結び目は、それのみでは何もかもを破壊するほどの力を持たない。しかし罠であることに変わりはない。ひとつ、またひとつとひっかかるたびに、鳥たちの翼は確実に傷つきもろくなり、以前と同じ高さを飛ぶことは出来なくなってゆく。鳥に生まれながら、やがて地を這う者になってしまう。結び目に触れるな、関わるな。あなたの羽、あなたの翼を無駄にしてはならない。無益な努力を重ねるたびに、一枚、また一枚と羽を失うようなことがあってはならない。かつてどれほどの鳥たちの翼が折られたことだろう。かつてどれほどの鳥たちが、待ち伏せる罠の餌食になったことだろう。

3740. コーランを読むがいい、「地上を旅して(真理を)拒否した者の最後がどんなものであったかを見る(コーラン16章36節)」ために。そして知るがいい、「あなたがかれらを導こうと熱望しても、迷うに任せられた者を神はお導きになられない。かれらには援助者はない(同37節)」ことを。


アングール(angur)とイナブ(’inab)を巡る困難は、トゥルク人が、アラブ人が、ギリシア人が、…彼らが(その固有性を)誇示し合い争い合っても、解決されはしなかった。スライマーンの精神を持ち、言葉の技術に長けた者の仲裁なしには、こうした二元性を消し去ることはできない。ああ、相争う鳥たちよ!鷹となれ、鷹を呼ぶ王の太鼓の音を聞け。あらゆる場所から歓喜と共に飛び立て。多を去って<ひとつ>を目指せ。

3745. 「何処に在ろうと、汝の顔を向けよ(コーラン2章144節)」。いつどのような時であれ、御方がこれを我らに禁じたもうことは無い。我らは愚かな鳥である、無知であること甚だしく、ただの一度でさえスライマーンを知覚したことも無い。フクロウのごとく我らは鷹の敵となり、それゆえに廃墟に囲まれた巣の中に打ち捨てられることとなった。我らは極端な無知と盲目さゆえに、神より栄誉を授けられし者を傷つけようと常にそればかり考えている。スライマーンの知によって目覚めた鳥の群れが、罪無き者の翼を傷つけるだろうか?

3750. 否、彼らは小麦の一粒を、それを必要とする者の許へ運ぶだろう。彼らは心優しき鳥たち、争ったり、憎んだりすることもない。スライマーンの栄光を讃えてヤツガシラは、ビルキース(※シバの女王、コーラン27章15節以降を参照)を筆頭に、様々な処へと至る道を示した。カラスは、その外見はカラスであっても内奥においてはタカを目指している。彼らの瞳は吸い寄せられ(コーラン53章17節)、決して逸れることがない。コウノトリは「らく、らく」と鳴いて神との合一を宣言し、その炎もて疑念を焼き滅ぼす。ハトは鷹に怯えることもなく、鷹はハトにこうべを垂れて敬意を表する。

3755. 恍惚をもたらすナイチンゲールはその心中に薔薇園を持ち、オウムが砂糖欲しさに囚われの身となることもない ー 彼らの目は、彼ら自身の内側に永遠の甘き蜜を見出しているのだから。彼らと共に在るクジャクの足は、その他のどのクジャクの持つ羽よりも美しい。現世の王侯に飼われた鳥の議論は、まるでこだまのように虚しい。一体、スライマーンの鳥たちの議論は何処にあるのか?一瞬たりともスライマーンとの邂逅を果たさずにいる者に、どうして聞くべき鳥たちの言葉を分別することなどできようか?

3760. 我らの心を捉えて離さぬ、胸を打つかの鳥たちの翼は、東や西といった方角を超えたはるか彼方を羽ばたいている。彼らが何処を飛ぼうとも、その旅路は一様である ー 神の御許から地上へ舞い降り、地上から神の玉座へと再び還りゆく、まばゆい光と尊厳に満ちた旅路である。スライマーン(の精神)を持たずに飛ぶ鳥は、コウモリのごとく暗闇を愛する。ああ、迷えるコウモリよ!スライマーンと近しくあれ!ああ、コウモリよ。永遠に暗闇に留まるつもりか。肘ほどの長さでも後ずされば、いつしか肘ほどの長さも前へ進めなくなってしまう。

3765. だがたとえ無様にのたうち転げ回ろうとも、たとえ足を引きずりながらでも前へ進めば、いつしか転ぶことからも、足を引きずることからも自由の身となれるだろう。