声無き語らい、あるいは沈黙の雄弁さについて

『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

声無き語らい、あるいは沈黙の雄弁さについて

3625. おお、「偶像のごとき者」よ。あるいはまた、蛾とろうそくの間に生じる語らいに耳を傾け理解せよ ー それもまた「声無き語らい」のひとつである。言葉を伴わず、それでいて、魂の最も深きところより発せられる言葉がそこにある。来たれ、そして高く飛べ。フクロウのごとく低く飛ぶな。チェスに通じる者が言う、「ルークの館はここだ」。文法学者が言う、「館をどうやって手に入れたのか。相続したのか、それとも買ったのか」。打てば響くように意味を掴む者にこそ幸いあれ!文法学者が言う、「ザイドがアムルを殴った」。すると愚か者が言う、「いったいどうしてアムルは、自分の身を守ろうとしなかったのか。

3630. 乱暴者のザイドに奴隷扱いされたくなければ、アムルは策を講じるべきだった」。文法学者が言う、「いやいや、これは単なる構文であって…、言葉というのは単なる器に過ぎぬ。肝心なのは器に入った小麦の方だ。小麦を取れ、器は置いておけ。ザイドもアムルも、文法を教えるための方便であってだな。実際にこういうことが起きたと言っているわけではないのだから。文法を学び取れば他は気にせんでよろしい」。彼が言う、「そんなの、おれの知ったことか。いいか、おれが聞いているのは何故ザイドがアムルを殴ったかということだ。一体アムルに何の罪があってそんなことを」。文法学者は絶句する。そしてやけくそで冗談を飛ばす。「アムルがw(ワーゥ)の文字を盗んだからだ。やつは常習犯でな。

3635. それに気付いたザイドが、盗人に天誅を下したというわけだ。アムルの盗みは常軌を逸していたから、罰を受けても文句はあるまいよ」。


価値無き者の心は、価値無き言葉をすんなりと受け入れる。愚か者は言う、「それ見たことか!やはり、何かしら本当の理由というのがあるものだ。それだったら話は分かる、あんたの言うことはもっともだ」。間違った者には、間違った見解の方が正しく見える。歪んだものの見方をする者に「月は一つだ」と言ったところで、「何を言うか、月は二つだ。月が一つだなどという意見を誰が信じるものか」と答えるだろう。そしてもしも誰かが、内心では彼を見下しつつ「いや、その通り。月は確かに二つある」と言えば、「うむ、あいつこそは真実を語る者だ」と捉えるだろう。無知な者、頑固な者にはそれ相応のものが与えられるというわけだ。類は友を呼ぶ。嘘は、嘘を生きる者の周囲に集まる。「悪意ある男には悪意ある女(コーラン24章26節)」、この御言葉ほど、この有り様を明らかにするものはない。

3640. 真理を求めて広く心を開け放つ者ならば、その両腕もはるか遠くに届くだろう。しかし心の目を閉ざす者ならば、すぐ傍の、足元にある石にも気付かずに躓くだろう。