『ロバは去った!』

『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

『ロバは去った!』

旅路の果てに、一人のスーフィーがダルヴィーシュのための修道場に辿り着いた。彼はその荷をロバから降ろし、厩舎へと連れて行った。

515. 彼は自らの手で、少しばかりの水と飼い葉をロバに与えた。そう、このスーフィーは、以前に語って聞かせた者とは違うのだ。彼は不注意と愚行から、その身を守ろうとする心がけのある者だった。しかし神の定めたもう運命が通り過ぎるとき、こうした心がけにどれほどの効果があるだろう?この修道場にいた他のスーフィー達はひどく貧しく、食べるにも困る有り様だった。貧すれば鈍す。貧困は魂を破滅へと至らせ、彼らはほとんど不信の徒と化していたのである。おお、十分な食事で腹を満たした金持ちどもよ!貧しさに苦しむ者が犯す過ちを、どうしてあざ笑うことなど出来ようか? - 窮乏ゆえに、スーフィー達は全員一致でロバを売り払ってしまおうと決めた。

520. 彼らは口々に言った、「必要とあらば、屍体も合法な食物1とされるではないか。多くの悪徳も、その必要ゆえに美徳とされるではないか」。彼らはためらう事無く小さなロバを売り、風味良い食物を買い求め、ろうそくを灯した。修道場に歓声が上がった。「今宵は」、彼らは宣言した、「美味なる晩餐、音楽、舞踏で無礼講といこうではないか。袋を抱えて歩きまわる托鉢の日々。三日間のはずが、いつ終わるとも知れぬ断食。私達とて神に造られし身、私達とて魂はあるのだ。今宵、幸運は我らのものだ。お客人にも楽しんで頂こうではないか!」。

525. そのようにして彼らは虚偽の種子を蒔いた。彼らは、魂ではないものを魂とみなしたのである。長旅に疲れていたスーフィーは、彼らが示す好意と歓待を喜んだ。旅人と、迎えるスーフィー達一人ひとりの間に、抱擁と接吻の挨拶が順繰りに交わされた。せいぜい愛想良くもてなして取り繕おうと、彼らは旅人をひたすら良い雰囲気で取り囲んだ。親愛の情を向けられているのを見て、スーフィーは思った、「このような機会は二度とあるまい。今夜は楽しまなくては損だ」。散々に飲み食いした後で、セマーが始まった。修道場の天井に、煙と塵がもうもうと立ちこめた -

530. 台所から煤が吹き上がり、踊る足元から埃が舞い上がり、そして魂から熱気と恍惚が湧き上がった。ひらひらと手を振ったかと思えば、どんどんと足を打ち鳴らし、礼拝の姿勢をとって腰を低くかがめ、床を掃き清めるように額をこすりつけた。運命のはからいにより欲するところを手に入れるまで、スーフィーは長い間ひたすらに待ち続けなくてはならない - それゆえスーフィーは大食漢である。ただし、これが肝心なのだが、神の光によって十分に満ち足りたスーフィーは別だ。彼らは托鉢を恥じることも無い。しかしそのようなスーフィーは大勢のうちごくわずかである。こうした完全なるスーフィーの王国の庇護の下、残りの多くが日々を過ごしている。

535. セマーが、始めから終わりまであるべき姿で執り行われた後で、楽人は力強く、深い音色の曲をか撫で始めた。「ロバは去った。ロバは去った」。彼はそう歌い、その場に居合わせた者達にも共に熱情を分かち合うように促した。興奮は夜明けまで醒めることがなかった。足を踏み鳴らし、手を打ち鳴らして彼らは歌い続けた。「ロバは去った!ロバは去った!おお、息子よ!ロバは去ったのだ!」。旅のスーフィーも遅れを取るまいと、彼らは真似て情熱を込め共に同じ歌を歌った、「ロバは去った!ロバは去った!」。やがて朝が来た。歓喜と興奮、音楽と舞踏の夜が去ると、「さようなら!」、そう言って全員がその場を去って行った。

540. 修道場はすっかりがらんどうになり、旅のスーフィーは一人ぽつんと取り残された。彼は自分の荷物を取り上げ、積もった塵を払い落とした。きれいになった荷物を、ロバの背中に積んで出かけよう。長い旅の道連れに会いに、彼は厩舎へと急いだ。ところが厩舎に来てみると、肝心のロバの姿が見当たらない。彼は言った、「きっと下働きの男が水を飲ませに連れ出したのだろう。昨夜は、ほんの少ししか水を飲ませていなかったからなあ」。そこへ下働きの男がやって来た。スーフィーは彼に尋ねた、「私のロバはどこだい?」。男は答えた、「何を分かりきったことを。あんたの髭は飾り物かい?」。こうして口論が始まった。

545. スーフィーは言った、「私は、おまえにロバを任せたじゃないか。面倒を見てくれるものと思って、おまえにロバを預けたのだぞ。ふざけていないで、筋の通った説明をしてくれ。言い訳は沢山だ。私がおまえの許に連れて来たものを、私の許に連れて来てくれ。私がおまえに託したものを、私に返してくれ。預言者も言っているぞ、『おまえの手が奪ったものは、いつかおまえの手で返さねばならない時が来る』と。もしもおまえが意地を張り、嫌だと言い続けるつもりなら、良かろう、さあ、出るところへ出ようじゃないか。(我らが)宗教に則って、カーディー(裁判官)に、裁いてもらおうじゃないか」。

550. 「脅されたんですよ」、下働きの男は言った。「あのスーフィー達が、揃いも揃って私めがけて突進してしたんです。殺されるかと思いました。だんな、あなたは猫の群れに肝や臓物を放ったらどうなると思います?影も形も消えちまうだろうってことくらい想像がつくでしょう?痩せっぽちの猫を一匹、百匹の犬の群れに向かって放り投げたらどうなると思います?」。「分かった、分かった」、スーフィーは言った。「あいつらが暴力をふるって、おまえさんからロバを奪ったと言いたいのだな。下手をすると、私だって哀れにも命を奪われるところだったのか。しかしおまえさんは私に一言も教えてくれなかったじゃないか、『おお、お気の毒に!あいつらは、あなたのロバを盗みましたよ!』と。

555. 教えてくれてさえいたら、ロバを買った者から買い戻すことも出来ただろうに。あるいは、奴らが私に支払うべきロバの代価を、山分けして隠し持っていたかも知れない。奴ら全員がここに揃っている間なら、方法はいくらでもあったのだ。しかし今となっては、奴らはそれぞれ別のところで別の悪事に手を染めていることだろう。一体、私は誰をとっつかまえれば良いのだ?一体、私は誰をカーディーの許へ連れて行けば良いのだ?…と、まあこのように考えてみれば、おまえさん以外には無いじゃないか。何故おまえさんは、私のところへ来て『旅の人よ、恐ろしくひどいことが起きました』と教えてくれなかったのだ」。「神にかけて!」、彼は言った、「何が起きたか、私は何度もあなたにお知らせしようとしたんですよ。

560. けれどあなたは、一晩中『ロバは去った、おお、息子よ、ロバは去った』と、他の誰よりもいきいきと楽しそうに叫んでいたじゃありませんか。それを見て私は思ったんですよ、『ああ、この人は気づいているんだな。神の定めたもう結末に、満足しているんだな。この人は本物のスーフィーだぞ』、とね」。スーフィーは言った。「皆が陽気に歌うものだから、私も一緒に歌ったら楽しいだろうと思ったのだ。つまり、盲信して真似をしたがために、破滅に追い込まれることになったのだ。ああ、いんちきの偽物の上に、二百の呪いが降りかかりますように! - 中でもとりわけ、役立たずの悪党への盲信よ、アブラハムの怒りによって沈められてしまえ!2

565. あの連中が、浮かれた気分を振りまいていたのだ。それですっかり影響されてしまい、ついつい私も一緒になって浮かれてしまったのだ!」。 - あなたが誰の助けも無しに、自分の力で海の水を汲み上げられるようになるまでは、善き友人達の助けを得たり、彼らの様子を見て真似たりする必要があるだろう。誰であれ、必ず誰かの影響を受けている。誰であれ、最初は模倣から始めるより他にない。しかし繰り返し続けるうちに、あなたの身についてくれば、やがて間接的な模倣に過ぎなかったものが、直接的な理解そのものに達するだろう。あなた自身の実質となり、あなた自身の理解に達するまでは、あなたを導く友人の傍から離れてはいけない。雨粒が、未だ真珠になっていないうちから、貝殻の外へ飛び出してはいけない。もしもあなたが、目を、耳を、理解を、純粋なものにしたいと望むならば、まずは利己的な欲望という垂れ幕を千々に引き裂いてしまうところから始めねばならない。

570. 旅のスーフィーを模倣に走らせたのは欲望であった。彼は自らの理解を、光と輝きから切り離してしまったのだ。贅沢な食物への欲望、他のスーフィー達が見せた陶酔や歓喜への欲望、そしてセマーへの欲望。こうした欲望が、現実に起きていることを正しく理解するのを邪魔したのである。もしも鏡が欲望を持ったならどうなるだろうか。鏡は私達に世辞を言い、偽善の敬意を映し出すようになるだろう。もしも秤が欲望を持ったならどうなるだろうか。秤が富への欲望を持ったなら、秤は真実を証明することも出来なくなるだろう。いずれの預言者も、誠実さと共に人々に告げた、「預かった啓示を伝えるのに、私はあなた方に報償を求めない。

575. 私は道案内に過ぎない。あなた方を買い求めるのは神である3。神は私に、(あなた方と神の)双方をつなぐ仲介の役目を果たすよう命じたもう。私の仕事への報償は何か?それはわが友(神)との逢瀬である。たとえアブー・バクルが私に四万ディルハム寄越そうが、彼の四万ディルハムは彼のもの、私の報償ではない。ガラス玉と、アデンの園の真珠が同じだとでも思うのか?」。私はこうしてあなた方に物語を話す。あなたは注意深く耳を傾けよ、そうすれば、利己的な欲望が耳に詰められた栓であることが理解出来るだろう。誰であれ、そうした種類の欲望を持つ者は倫理の混乱に陥った者。聞く耳を持たず、従って言葉も話せない。そうした欲望を持つ者の、精神の目、心の扉が、どうして明るく開けることなどあるだろうか?

580. 財産と権力を夢見ることは、ちょうど目の前に垂れ下がった前髪のようなものである。ただし神に酔い、神に満たされた聖なる人々だけは別だ。あなたが彼らの目の前に莫大な富を積もうが、彼らは自由そのもの、彼らを縛ることは出来ない。誰であれ(神を)その視界に迎えた者は歓喜の裡にあり、この世の全てが死肉のようにしか見えていない。しかしかのスーフィーは、そうした酔いからはるかに遠ざけられていた。彼自身の欲望ゆえに、暗闇の中で何も見えなくなっていたのである。貪欲さに酔う者は、百も二百も物語を聞きたがる。しかし欲望に塞がれた耳では、たったひとつの核心すら捉えることが出来ていない。

 


*1 「神はただおまえたちに死骸と血と豚肉、それに神以外のものの名によって屠られた<ほふられた>ものを禁じたもう。しかし、食欲のためでもなく、掟<おきて>にそむこうとしてでもなく、むり強いされた者には、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である(コーラン16章115節)。」

*2 「われらはアブラハムに、天と地の王国を見せ、確固たる信仰をもたせようとした。すなわち、夜の帳<とばり>が彼をおおったとき、彼は一つの星を見て、『これぞ、わが主』と言った。やがて、それが沈んだとき、彼は言った、『沈むものは好きでない』(コーラン6章75,76節)」

*3 「…『人々よ、私はおまえたちに代価として金をもとめているのではない。私の報酬はただ神のみもとにある。』…(コーラン11章29節)」、「まことに汝の主は彼らの所業にたいして十分に報いたもう。主は彼らの所業を熟知したもう(コーラン11章111節)」

 


*1 「神はただおまえたちに死骸と血と豚肉、それに神以外のものの名によって屠られた<ほふられた>ものを禁じたもう。しかし、食欲のためでもなく、掟<おきて>にそむこうとしてでもなく、むり強いされた者には、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である(コーラン16章115節)。」

*2 「われらはアブラハムに、天と地の王国を見せ、確固たる信仰をもたせようとした。すなわち、夜の帳<とばり>が彼をおおったとき、彼は一つの星を見て、『これぞ、わが主』と言った。やがて、それが沈んだとき、彼は言った、『沈むものは好きでない』(コーラン6章75,76節)」

*3 「…『人々よ、私はおまえたちに代価として金をもとめているのではない。私の報酬はただ神のみもとにある。』…(コーラン11章29節)」、「まことに汝の主は彼らの所業にたいして十分に報いたもう。主は彼らの所業を熟知したもう(コーラン11章111節)」