サバアの人々

『精神的マスナヴィー』3巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

サバアの人々

あなた方は、サバア(シバ)の民の物語を読んだことはないのだろうか?それとも読むには読んだが、こだまの他には何ひとつ「聞く」ということをしなかったか。山はこだまを響かせる。だが山自身は、「こだま」とは何かを知る由もない。心がそうした山のようでは、意味なるものを捉えることは出来ないだろう。耳も心も持たないようでは、何もかもが乱痴気騒ぎの雑音に過ぎなくなる。あなた自身が静まれば、山も –– 耳も心も –– 静かになる。

285. 神はサバアの人々にあり余るほどの安楽を授けたもう –– 無数の城や宮殿、果樹園を。だが悪しき人々は、与えられた恩寵について感謝するということをしなかった。誠実さにおいて、彼らは犬に劣る者たちだった。扉が開き、パンが投げ与えられれば、犬は(パンの恩誼を忘れず)背筋を伸ばして扉の前に座す。扉を見張り、扉を護衛する番犬たらんと身構える。たとえ大変な目に遭おうとも、痛い目を見ようとも、それでも犬は扉の前から離れようとはしない。他の何かに心を移すのは忘恩のなせる業と心得ているからだ。

290. そして何処からかやって来た見慣れぬ犬が入り込もうとすれば、昼であろうが夜であろうがすぐさまこの新入りに教え込む –– 「おまえを最初に世話した者の家に帰れ。恩に報いて勤めを果たし、おまえの良心を取り戻せ」。彼らは噛んで教える、「おまえの持ち場へ去れ。親切に対する(未払いの)義務を果たさぬままにするな」。あなた方は魂の扉の前に座した。魂の人(精神的導師)の与える水を、与えられるがままに飲み続けた –– それを通してあなた方の目は開き、ものごとを学び取ったのではなかったか。魂の扉から与えられる食物を、与えられるがままに食べ続けた –– 陶酔と恍惚、忘我の境地を味わったのではなかったか。それをもってあなた方は、自らの魂を養ったのではなかったか。

295. にも関わらずあなた方は自らを貪欲の餌とした。散々に飲み食いした後でその扉を立ち去った。今のあなた方はまるで熊のよう –– 餌を求めて次から次へと、あらゆる店先を漁ってうろつきまわる。役にも立たぬサーリド1のおこぼれに預かろうと、価値も無き脂肪たっぷりの鍋を抱えた者、俗世の権威を握っていそうな者の扉にいそいそと駆けつける。知れ、真の「脂肪」とは魂を肥えさせるものであることを。真の「脂肪」とは胃袋のためにあるのではない。魂の飢餓に苛まれた者のためにあるのだ。

 


*1 サーリド アラブの伝統的料理のひとつで、野菜または肉の煮汁にパンをひたしたスープ 。サーリドは一般に預言者ムハンマドの伝承に何度となく登場する料理として知られているが、時を重ねるうちに「預言者の好んだ料理」として、その調理法も材料も豪奢で贅沢なものほど喜ばれるようになっていった。