神は賛美の彼方に

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

神は賛美の彼方に 1

 

ごらん、大地を。
知恵の光を吸い込んで、
胸の奥に種子を受け入れるのを。

やがて春が訪れる。
大地は、預かっていた信託を
自らの上に広げて見せる。

大地は誠実だ。
決して信頼を裏切らない。
その誠実さを、大地は学んだのだ、
永遠不変の御方から。

ごらん、大地を。
声も無く、動きもしない。
それでいて、われらよりも
はるかに多くの知恵を持っている。

ああ、慈しみもて土塊を賢者となさしむ御方よ ––
そして、ああ、われらヒトの心を、目を、
怒りもて塞ぎたもう御方よ。

神よ、全能の御方よ、讃えれば讃えるほど、
わたしはあなたから遠ざかる。
賛美の言葉は、生じたと同時に嘘になる。

何故ならあなたを讃えるということは、
未だ「賛美するわたし」が在る証し。
そして「賛美するわたし」なるものこそが、
全ての罪の根源なのだから。2

 


1. 『精神的マスナヴィー』1-508. 存在する全ては、神に従い賞賛している(コーラン17章46節、他)。ルーミーは、イブン・アラビーと同様に、無生物として創造されたもの全てにも潜在的な生命、認識、知識、理性が授けられていると考えた。

2. これらの詩句は、神秘主義者たちが、神への賞賛に始まりやがて賞賛の対象の裡へと「消滅」する過程( al-fana bi-‘l Madhkur ‘ani ‘l-dhikr )についての言及である。自分の存在を確信し、個としての行為を確信している間は、神的統一に背を向けているということになる。高名な神秘主義者ジュナイドの言を借りるなら、「汝の存在( wujuduka )は罪であり、その罪は他のどのような罪とも比較し得ない」。