信仰と努力

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

信仰と努力 1

 

神はわれらの目の前に 一条の梯子を置きたもう
ゆえにわれらは梯子を昇る 一段、また一段と
足のある者はただ歩め
手のある者は指を開いてつかめ

自由意志もて努力に努力を重ねること
これこそ、神の恩寵に感謝することの本当の意味である
宿命論とは、その恩寵を否定することに他ならない

自由意志もて自由にふるまえること、
この恩寵に感謝をすれば感謝をするほどに
人はより自由になり、より深く感謝するようになる
宿命論とは、神の下されしこの恩寵を遠ざけるものに他ならない

道には夜盗が隠れている。ゆえに眠ってはならぬ
かの門扉に辿り着き、その敷石を踏むまでは2
神に委ねるその前に、神を信じて自らの仕事にはげめ
種子を蒔け、全能の神に委ねるのはその後だ3

 


1. 『精神的マスナヴィー』1-929. 静寂主義とタワックル/神への信頼、神に一切を委ねること( tawakkul )の解説、ならびにそれに対する反駁を、ライオンと、ライオンの獲物である小動物たちの対話の形式をとって進めている部分である(『マスナヴィー』1巻900-991行目)。もちろん、タワックルが原則であることは疑う余地がない。しかしそれは、神に関する真の知識を私たちが獲得できるようにと神が私たちに授けた心身の能力を、最大限に活用することを控えねばならないという意味ではない。それどころか、授けられた手段( asbab )を軽視しおろそかにすることは、むしろ不敬かつ忘恩とみなされる。神が命ずる聖なる義務とは、神の定めた摂理を妨げるような無駄な悪あがきを遠ざけ、ひたむきに精神的な戦い( al-jihad al-akbar )に専心することであり、またそれこそが、全ての預言者たち・聖者たちが繰り返し説くばかりではなく、自らも実践していたことなのである。

  1. 神を目指して旅する「旅行者( salik )」には、一瞬の休息も許されない。「睡眠」、すなわち静寂の神秘階梯を味わうことができるのは、目的が達成された時のみである。

2. ラクダの世話を神に一任するべきかを問われた際に、預言者は以下のように助言した:「ラクダをつなげ。それから、神に委ねよ」。