われらの内なる悪について

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

われらの内なる悪について 1

 

ライオンが、うさぎを連れて出かけてゆきました。
ふたりは一緒に井戸まで走り、それから中をのぞきました。

井戸の中にライオンは、自分の姿を見ました。
水面に、まるまる太ったウサギを連れた
憎らしい面構えのライオンが映っていました。

敵が現れたと見るが早いか、うさぎをその場に残し、
ライオンはあっと言う間もなく井戸の中へと飛び込みました。

自分で掘った墓の穴に、自分から落ちていったのです。
自分の頭の中でこさえた敵に捉えられたのです。
そして自分から、すすんで自分の餌食となったのです。

 

 

他者の中に見出せる悪とは、多くの場合
他者を鏡として映し出された、あなた自身の悪だ。

あなたを取り巻く他者の中に、あなたの全てが映し出される ––
あなた自身の偽善が、不正が、傲慢が。

あなた自身の中にある悪を、はっきりと自覚せずにいては、
やがて知らぬ間に自らを、全身全霊で憎悪するようになるだろう。

水面に映る自分に飛びかかったライオンのように、
それは自らを傷つけるだけのことなのに。

井戸の底、自分自身の奥深くにたどりついたとき、
あなたは知るだろう、悪は自分の内にこそあったのだと。

 


1. 『精神的マスナヴィー』1-1306. インドの寓話をルーミーが語り直したものである。ここでは欲望(nafs) が、うさぎにおびき出されてやって来た深い井戸の底に映る自分自身の姿を、敵のそれと勘違いして飛びかかり、惨めな最後を遂げたライオンにたとえられている。教義上においては、いわゆる悪と呼ばれるものは、すべて神的属性の多様さ –– 美と威厳、慈悲と憤怒など –– が人間の性質上に反射した影であり、われわれ自身のエゴイズムが、いたるところに存在する「善なる魂」を見ることの妨げとなっているとされる。[神意の旗持つ者たちへ]ならびに[泥中の蓮]参照。非現実的な自我(nafs) を根源とする悪がわれわれ自身の中に存在する限り、われわれは神との分離の状態にある。心からこの「自我」を一掃することにより悪も消滅する。