愛することと、恐れること

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

愛することと、恐れること 1

 

神秘主義者が玉座に昇るには ほんの一瞬で事足りる
これが禁欲主義者なら 一日の旅程に一ヶ月を費やす

禁欲主義者にとっての一日が いかに価値が高かろうと
かといってその一日が 五万年と同等であるはずもない2

けれど熟達の覚者が過ごす一日は
この世における五万年にも等しい3

愛も熱愛も いずれも等しく神に属するが
恐れとは 欲望や衝動の奴隷に属するもの4

愛に備わる五百の翼なら ありとあらゆる処に届く
下は地の最も低い処から 上は天の最も高い処まで

臆病な禁欲主義者が己の足で走れば
神を愛する者は稲妻よりも早く飛ぶ

きみよ 神の恩寵もて流浪より解き放たれよ
王の鷹のみが知る道を辿り 王の許へと至れ

 


1. 『精神的マスナヴィー』5-2180. 神秘主義者を一瞬にして目的地に至らしめる内的な至福 ( jadhabah )と、自己中心的な禁欲主義者の緩慢かつ苦痛を伴う進展 ( suluk )を対比させた詩句。[ソロモンの鳥たち]の註3参照。

2. コーラン70章4節からの引用。「天使や霊(註:ガブリエル)は、五万年に相当する一日のあいだに、それを登る」。スーフィーたちはこの章句を、神秘的復活と昇天に関するものと解釈する。

3. 「熟達の覚者が過ごす一日」とは完全に黙想に没入しきった ( musha-hadah )状態を指し、かつその「一日( ayyamu ‘llah )とは永遠に続く、真にかれを愛する者たちに対する神による終わりなき開示( tajalliyat )でもある。

4. mahabbat についてはコーランに属する根拠があるが、スーフィーが用いるエロティックなシンボリズムのの主要語彙である ‘ishq にはそれがない。しかしながらバスラのハサン(註:ハサン・アル=バスリー、西暦728年没)による以下の聖なる伝承には、これよりも更に強烈な語彙も見られる。「神は告げたもう、『われのしもべが、われへの賛美と想起( dhikr )に没入し歓喜に至るとき、われはしもべを愛し、しもべもまたわれを愛す( ‘ashi-qani wa-‘ashiqtuhu )』と」。