死せる者の嘆き

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

死せる者の嘆き 1

 

人の世の貴公子が語るには

この世を去りし者のうち
死せることを悲しむ者は一人としていない

否、彼らは悔やんでいる 惜しんでいる
数々の好機を逃してきたことを
死を生の目的とせずに過ごしたことを
死こそは財宝と幸運の宝物蔵であったものを2
現れては消え去る幻の数々に視線を注ぎながら
やがて訪れる終わりの時からは目を逸らし続けたことを

人の世の貴公子が語るには

死せる者の嘆きは死への嘆きではなく
それは幻と戯れて過ごした日々への嘆きであり
水面に浮かぶ泡に目を奪われ続けて
泡を生じせしめる海を見ずにいたことへの嘆きなのだ3

 

海が高く見える日 波が泡立つ日は
墓地へ行け 死せる者たちと語らいに

渦潮はあなたを飲み込んで
今頃はどこを流れているのだろう

すると沈黙の裡に彼らが答える

「我らに問うな 海にこそ問え」

波無くしては水面の泡も生じず
風無くしては塵も舞い上がりはしない

塵を見るな 風をこそ見よ
泡を見るな 海をこそ見よ

来たれ そして見よ
必要なことは見ること 見続けること
眼識さえあればそれで事足りる
それ以外は皆同じ
肉と脂と骨と皮ではないか

全身を解いて視覚そのものとなれ
見よ 見よ 見よ 見つめ続けよ

この道において ある者は
一歩 二歩ほど先を見る
ある者は道の彼方 魂の領域を見通し
その先に王の御顔を見続けている

 


1. 『精神的マスナヴィー』4-1450. [美しい死]参照。「人の世の貴公子」とは預言者ムハンマドを指す。

2. ここで語られる「死」とは「自我の消滅( fana )」を指している。預言者の言葉とされる「汝、死ぬ前に死ね」も参照。

3. 神のみが真の仲介者である。世界における全てのムーブマン、全ての生は神に由来している。