魂は唯ひとつ

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

魂は唯ひとつ 1

 

信じる者は数多くいても、信仰そのものは唯ひとつ
体は別々に離れていても、信じる者の魂は唯ひとつ

雄牛やロバのそれとは別に、人には人の知性と魂があり
加えて人の魂の中にも、聖なる吐息を得た者の魂がある2

けものの魂は合一を知らず、故に合一を恋い焦がれることもない
弱くはかなきものたちに、合一を理解せよと言うのは無理がある

けものの魂の持ち主たちは、誰かがパンを食べてもその隣人は満たされず
誰かが重荷を背負っていても、その隣人が手助けをするということもない

否、それどころか彼らのような者たちは、隣人が死ねば喜び
反対に隣人が財を得ようものなら、今度は死ぬほど嫉妬する

犬やオオカミどもの魂は離れている
けれど神の獅子たちの魂は唯ひとつ

魂という語が複数あるかのように扱われるのは
ひとつの魂に無数の体が連なり関っているから

天に唯ひとつの太陽の放つ光が
無数の館の中庭を明るく照らす

館の壁を全て取り去ってみれば
散らばった光も唯ひとつに還る

体という館を取り去ってみれば
信じる者の魂も唯ひとつに還る

 


1. 『精神的マスナヴィー』4-408. ルーミーが「信じる者」と言うとき、概して彼はこの語を「神の直観を授かった者」という意味で使用しており、直接的な神的経験を通じて信仰を得た者のみを指している。

2. ここでは、スーフィー達の心理学でいう三段階の魂の状態が説明されている。すなわち(a)官能に支配される獣的な状態、(b)推論を用いる理性的な状態、そして(c)超越した全的知性の状態であり、これは預言者たちや聖者たちを通じて顕現する。