年表・The A to Z of Sufismから (10)

前回からの続きです。

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18世紀初頭/12世紀 ミールザー・ハーン・アンサーリー没。バーヤズィード・アンサーリーの子孫。アウラングゼーブ治世の末期における一流の神秘詩人。

18/12世紀 バドル・アル=ヒジャーズィー没。スーフィズムの堕落を風刺する作品を著した。イブラーヒーム・ハック・エルズルムル没。トルコのスーフィー、著述家。ハーシム・シャー没。ブッレー・シャーと同時代の人物。民話を用いて神秘主義を表現した。フワージャ・ムハンマド・バンガシュ没。神秘主義の教えをパシュトー語で表現した詩人。チシュティー教団に属した。

1700/1111~2 アブドゥルアハド・ギュル没。インドの指導者。サアドゥッラー・グルシャンの導師。モロッコの新スーフィー、アブドゥルアズィーズ・アッ=ダッバーグの活躍。

1707/1119頃 ワリー・デッカニー(ワリー・モハメド・ワリー)没。南インドの偉大な神秘詩人。

1717/1130 マフムード・バフリー没。インドのチシュティー教団に属した。ペルシャ語・ウルドゥー語詩人。

1718/1130 シャー・イナーヤト・シャヒード没。神秘家、指導者。多くの熱心なスーフィー志望者を惹きつけた。

1719/1132 祁静一(き・じんぎ)没。別名ヒラールッディーン。中国におけるカーディリー教団創始者。

1721/1133 ミールザー・アブドゥルカーディル・ビーディル没。絶えず食物の話題を持ち出すスーフィーを批判した詩人。

1724/1136~7 イスマーイール・ハック・ブルセヴィー没。トルコの神秘詩人。ルーミー『マスナヴィー』の注解を著した。

1728/1140~1 サアドゥッラー・グルシャン没。ペルシャ詩人。音楽を愛好し、デリーの音楽界の一端を担った。

1731/1143 アブドゥルガニー・アン=ナーブルスィー没。シリアのシャフィーイー派学者、詩人。イブン・アル=ファリード注解を著したスーフィー。ナクシュバンディー、カーディリーの両教団に属した。

1738/1151 スライマーン・ナーヒフィー没。ルーミー『マスナウィー』注釈をトルコ語に訳した。

1740/1153 ピール・ムハンマド・ズバイル没。四代目にして最後のインド・ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派カッユーム(高位者)。

18世紀中頃/12世紀 ディーワーン・ギドゥマル没。英国領シンドの説教師。ナーディル・シャーの侵攻に際し、土地の諸聖者たちの塵を献上した。

1747/1160 ナーディル・シャー没。アフガニスタンの軍閥指導者。1722年にペルシャを征服。

1752/1165 シャー・アブドゥッラティーフ・ビターイー没。シンド州ハイデラバード出身の神秘家・詩人。

1754/1167 ジャーナッラー・リズウィー没。シンド出身の卓越したペルシャ詩人。

1759/1172 ナースィル・ムハンマド没。インドのナクシュバンディー教団ムジャッディディー派に属した。ミール・ダードの父。アンダリーブ(ナイチンゲール)の筆名でウルドゥー詩を著した。

1760/1173~4 マクドゥーム・ムハンマド・ハーシム没。「素面(しらふ)」の神秘家。タッター郊外のマクリの丘などにおける舞踊など、宗教の感情的な側面を擁護するスーフィーを攻撃した。

1762/1175~6 デリーのシャー・ワリーウッラー没。インドの学者、改革者。コーランをペルシャ語に訳した。ナクシュバンディーとカーディーリーの両教団に属した。

1766/1180 馬来遅(ま・らいち)没。中国ナクシュバンディー派の著名な指導者。

1767/1181 ブッレー・シャー没。パンジャーブの最も偉大なスーフィー詩人。

1778/1192 アブドゥルラヒーム・ギルホリ没。スフラワルディー派の神秘家、宣教師。

1781/1195 マズハル・ジャーニ・ジャナーン没。ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派(改革派)。インド・シーア派とは軍事的に敵対した。馬明心(ま・めいしん)没。中国スーフィズムの主要人物。

1785/1199 フワージャ・ミール・ダード没。著名なインド・ナクシュバンディー派詩人、著述家。アブドゥルサマド・パリンバーニー(パレンバンのアブドゥルサマド)、スマトラで活躍。

18世紀終わり/13世紀初頭 ワーリス・シャー没。パンジャーブの詩人。

1792/1207 ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ没。 近代スーフィズム批判の中心的人物。

1799/1213~4 ガーリブ・デデ没。古典トルコ語詩人。マウラウィー教団に属し、イスタンブルのガラタ・テッケ(修道場)のシャイフをつとめた。

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いかにも知ってるもんね的な感じで項目と項目の間に埋まっている「ディーワーン・ギドゥマル」ですが、これ本当にまったく誰のことやら分かりません。なんとなく、賢者の逸話風に記憶されている出来事なのであろうとは思うのですが、まったくの初耳です。南アジア、本当に知らないことばかりだ。南アジアに限ったことではないんですが。うろうろしていて、こんなページを見つけました:Persian Literature in Translation – The Packard Humanities Institute ←ここに置いてあるA History of Sindに登場していました。それと、こんな記事も見つけた:Daya Ram Gidumal of Sindh — a silent servant, a silent sufferer

そうしたわけで、そろそろ植民地化の波がスーフィズム年表上でも表面化し始めました。前回、「淡々としたものですね」などと他人事のようにぬかしていましたが、イギリス東インド会社の設立は1600年ですから油断し過ぎです。第二次ウィーン包囲は前世紀末期の1683年。これが大失敗。1699年カルロヴィッツ条約。明けて1700年コンスタンティノポリ条約。18世紀のキーフレーズとなるのは「イスラム改革運動」というあれですね。試しに18th century Islamと検索窓に打ち込んでみたところ、reform movementとかrevivalとかといった単語をサジェストされました。

「マクリの丘」というのはこんな感じユネスコ世界遺産登録もされているムスリム世界では最大規模の墓所、だそうです。Makliというのは「小メッカ」くらいの意味合いらしい。ここでくるくる踊っていたんでしょうか。アブドゥルワッハーブさんが八つ当たりしたくもなったであろう、その心情は理解できなくはないです。