“More Nuanced View”

4/19付 NYTの記事。「若い連中が過激化してる、過激化してると言ったって、よくよく見ると一概に『若い連中』とも言えないよねえ、というお話。
A Close Look at Brussels Offers a More Nuanced View of Radicalization

パリでもブリュッセルでも、それぞれで発生した大量無差別殺人に関連して検挙されている連中が全員、移民の家系出身の若いムスリムであったのは事実であるにせよ、注目すべき彼らの共通点は信仰ではなくむしろそのルーツにある –– ありていに言ってしまえば北アフリカ、特にモロッコ。

ブリュッセルが移民を引き寄せるようになったのは60年代、ベルギー政府が労働力として積極的に移民を誘致したのがはじまりで、その時に大量にやってきたのがモロッコ系とトルコ系。今ではどちらもがムスリム人口の二大マジョリティとなっている。そしてどちらの母国も、サウジアラビアやその他のアラブ諸国のような反動的教条主義国家ではなく、比較的”relaxed form”なイスラムを実践する国でもある。

では何故モロッコ系の若者だけがこうも怒りと疎外感を抱え、時として「過激化」するのか?これに対してモレンビーク市長のFrançoise Schepmans氏は、モロッコ・オリジンのコミュニティにある「倦怠感」だと述べ、テロは宗教の副産物、といった類いの議論を退ける。左翼系政治家やコミュニティ・リーダーたちは、若いモロッコ系ベルギー人たちを「成功のチャンスを持たない被害者」として扱うことで問題解決の機会を先延ばしに逃してきた。「強烈な被害者意識の感情が蔓延している」「トルコ人たちも同様に差別を耐えてきた。だが彼らのコミュニティ内には活力がある」。

この「活力」の大部分を担っているのが、トルコ政府管轄下にあるモスク。多くのトルコ系ベルギー人がここに集う。トルコ本国で訓練され、公費で派遣されてくるイマムと地元のリーダーたちによって確立されたネットワーク。コミュニティ内に少しでも不穏な要素がないか、常に目配りがされている。トルコ宗務庁が管理するモスクに行けば、(トルコ語しか話さない)イマムが出てきてテロを糾弾し、真のムスリムであれば過激思想とはなじまないはずだと述べ、信者たちには法を尊重し、法に従うよう強調する。

一方、モロッコ系で運営されているモスク近くでは報道陣は怒れる信者たちから追い払われる。「イスラムフォビア」とあおり立てられる。近隣一帯が、ジハーディストの温床とレッテルを貼られる。トルコ系と比較してモロッコ系のコミュニティははるかに分断されており、かつ反権威的。移民の第一世代は主にモロッコの君主制としばしば対立を繰り返したベルベル語族で、「彼らがモロッコから移民として出ていったとき、体制は大喜びだった」とは若いモロッコ系労働者の言。

もうひとつの要因として、トルコ系は仏語も独語もあまり話さず(どちらもベルギーの主要言語)、その意味ではトルコ・アイデンティティにしがみついているわけだが、モロッコ系はだいたいにおいて仏語を流暢に操れる。そのためトルコ系よりももっと差別を鋭く感じとれるし、特にここで対象となっている若者たちにしてみれば、社会システム全体が彼らを阻害しているように受け止めているとも考えられる。そういうわけで、「トルコ系はアイデンティティ・クライシスに苦しむことが少ない。自分たちのアイデンティティに誇りを持てている分、過激思想に誘惑されずにいられるとも言える」。

トルコ系やその他の移民は概して警察にそれほど敵意を持たない。警察署近くで雑貨屋 を営むあるトルコ人経営者は、警察は怖くないが北アフリカ系の若者は怖いと言う。彼らは店にやって来てアルコール飲料を販売するのは罪だ、おまえは悪いムスリムだと言う。だが彼らは窃盗を働く。窃盗も罪なのだが。

サン=ジョス=タン=ノード地区の市長でトルコ系ベルギー人のEmir Kir氏。彼の知る限り、シリアへ渡ろうと試みたトルコ系の若者はたった一人で、それもイスタンブルで発覚して未遂に終わった。この若者には恋人がいた。モロッコ系の少女だった。「あれは過激派の行為などではなく、単なるラブ・アフェアだったんだ」。

……と、いうような内容でした。過激化を促す/防ぐ要因は「宗教」ではなく「文化的なつながり」にあった(あるんではないか)。かなり乱暴に要約してしまったのですがそういうことです。

「イスラム」とか「ムスリム」とか、その主語は若干でか過ぎやしないか、ということはもうそろそろ周知、周知というか再確認され始めていい頃合い。アフリカ大陸からユーラシアまでを一括りにして「イスラム、イスラム」「ムスリム、ムスリム」と言い続けるのはかなり無理があります。