この頃。あと御本のめもとか

先週?先々週?くらいから、若いひとが一人、拙宅に寄宿しています。子らの幼馴染です。
長女よりふたつ?みっつ?くらい年上でしたか。

おさななじみ。良い響きですね。

わたし自身は、彼ら・彼女らの年齢の頃には、いま数えてみたところ11回。11回のお引越しを重ねつつ育っているもので、おさななじみというのにまったく縁がありません。彼ら・彼女らがお互いに自分について何を説明する必要もなく「すうっ」とくっついたりはなれたり、絶妙な間合いで部屋の中を泳いでいる様子は眺めていてきもちが良いです。水族館の水槽の、砂の上に寝そべるなまずになった気分。うち、せまくてごめんね。

あとこの若いひと、気づくと部屋のあちらこちらをそっと掃除してくれてるんですよね。散らかしててごめんね・・・

先週?先々週?なまずになる前は何をしていたかというとパソコンを買い換えたりしてました。パソコンというかMacですけれど。画面おっきい。躯体うっすい。字がきれい。そしてはやい。どうにもやる気が起きなくって、依頼されてから1年近く放置の状態になっておった160何ページかの翻訳いっこ、1週間で片付いちゃいました。それ以前から、ぽつぽつやっては放りだしぽつぽつやっては放りだしを繰り返していたんですが。データの移行とか、そういうことと並行しつつやってたら終わった。終わった頃には新しい作業環境にも慣れてた。

他には何をしてましたか。なんか色々あった気がするんだけど。思い出せないものだなあ。

あっそうだ、何冊か本を読みました。そのうちの一冊はこれ。


ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ (岩波現代全書)

私としてはタイトルでもうほぼ満足な御本だったですよ。ものすごく単純なことで申し訳ないんですが、やはり「イスラム過激派」とかという言葉が根づいちゃったりするのはあんまりうれしいことではないものなんです。なので「あとがき」の冒頭で、

「ジハード主義」という耳慣れない語をあえてタイトルにしたのは、今思えば、個人的な思い入れが強かったのかもしれない。こちらとしては、今日世界のあちこちで発生しているテロなどの事象を説明するのに、今のところ一番適切な用語だと思っていたのだが、メディアでその語を使おうとすると、「聖戦主義」とか「過激主義」とかいいなおされたり、書きなおされたりしてしまう。すでに「ジハード」をタイトルに含む本は日本でも直木賞作品の『女たちのジハード』にはじまり、けっこうあり、それほど説明の必要もないと思っていたのだが、そうはいかないらしい。
中東研究の先輩たちがかつて「回教」を「イスラム」あるいは「イスラーム」に置き換えるためにした努力とは比べようもないが、本書がジハード主義の語を定着させ、イスラームとテロのあいだを分断する一助となれば、望外の喜びである。

と、あるのを読んでわーんそんなこと言われたら好きになっちゃうじゃん、ってなりました。

ふだん友人たちとおしゃべりをしていて、この御本の中で扱われているような集団や人物が話題になったとして、彼らを指すのに「ジハーディー」とは言っても「ムジャーヒド」とは言わないです。そのあたりの区別はなんとなくしている。その延長で、彼らが何を主張しているかとか、主張と目的、目的のための手段、実際の行い、などをこれも「なんとなく」おかしいとか矛盾しているとかこじつけてる、とかという感じでわれわれであれば片付けてしまうところ・目を背けてしまうところを、みっちりお話ししてくれている御本。

……もっとも、そもそもがネガティブなイメージの思想・運動なので、用語の定着はいいにしても、主義主張そのものが根づいてしまうのは願い下げである。

ごもっとも。

あとこれとかも。


暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

ドラッカーとかカーネギーとか、この頃だとなんですかねアドラー?とか、あの辺のbotとかmemeとかを全部足した数のひゃくまんばいくらいこれを読んでいたい、という感じでした。訳者あとがきまで含めて140ページの量だから、ひゃくまんばいくらいでちょうど良い。

あとこれとかも。


ヴェール論争: リベラリズムの試練 (サピエンティア)

読んでいる途中で「あれ、これっていつの御本なんだろ」と後ろの方を確認したところ、邦訳2015年ですが原著は2009年でした。2001年の「同時多発テロ」と2014年の「イスラーム国樹立」のちょうど真ん中あたりですね。振り返って帯には「増えるヨーロッパとイスラムの政治的・社会的軋轢。英独仏3か国による移民政策や受容と排除の現状を示し、アイデンティティを映す鏡としてヴェールを考察する」とありますが、そうだよなあ、イギリスがヨーロッパから抜けるだなんて誰も思わんかったよなあと思いました。いや、抜けたいと思っていた人たちはその頃からいたのでしょうが、その人たちに思い至るとか、その人たちと正面から向き合おうとかといった動きはなかったというか、少なくともその人たちが議論のメイン・ストリームではなかった。

個人的にはイギリスの章が読めて良かったです。「シャビーナ・ベーガム事件」。

ベーガム事件はイギリスのヘッドスカーフ論争の口火を切ったものであり、そのあらましは広く知られている(法律面での詳細な説明は、McGoldrick 2006, ch. 6を参照)。パキスタン系のシャビーナ・ベーガムは一九八八年に生まれ、ベッドフォードシャー州ルートンのデンビー高校の生徒であった。彼女は二〇〇二年九月までは、「サルワール・カミーズを喜んで身に着けていた」。サルワール・カミーズとは、ヘッドスカーフとともに着用する、ゆったりとしたチュニックとズボンのことであり、シーク教徒やヒンドゥー教徒など南アジア系マイノリティの女子生徒が、制服の代替として広く用いる宗教的な衣服である。新学期の初日である二〇〇二年九月三日に、彼女は副校長の眼には「長いスカート」に見える衣服、つまりジルバブを着用して現れた。彼女は兄とともに登校したが(この人物は急進派のヒズブアッタハリル〔国際的なムスリム政治団体で、その究極の目的はカリフ制とシャリーアの実施にもとづくイスラム世界の統一だとされる〕に近い者であるとの疑いがある)、彼は「脅迫まがいの常軌を逸した」とも取れる「激しい」調子で、「人権や裁判について語った」という。副校長はシャビーナに、帰宅して「きちんとした制服を着た上で学校に戻ってくる」ように言ったが、彼女はこれに従わなかった。代わりに彼女が裁判に訴え、あらゆる上訴を経て最終的にイギリス上院へと至る審判を戦ったのである。

なつかしい。続きは御本で。