第8話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「三匹の魚」1

 

がんこ者に語って聞かせるのに、ちょうどいい話がある。これは大きな湖に住む、三匹の魚の物語だ。『カリーラ』2を読んだ者なら知っているだろう。ただし、あれは物語の殻に過ぎない。これから語るのは、物語の核だ。

ある日のこと。漁師たちが幾人か、湖のそばを通った。水底に魚が隠れているのを見つけた漁師たちは、急いで引き返して行った。網を持ってくるつもりなのだろう。水底から漁師たちを見ていた魚たちは、漁師たちの意図に気がついた。

賢い魚3は、住処を移すことに決めた。彼は非常に困難な、楽しくもありがたくもない旅に出ることを決意した。彼は言った。「誰にも話さず、ひとりで出かけることにしよう。話せば彼らは私を引き止め、私の強い決意を弱めるだけだろうから。彼らの魂は、生まれ育った住処への愛着にすっかり支配されている。相談したところで、彼らの怠惰と無知に私まで引き込まれてしまうだろうから」。

助言を仰ぐなら、善人であるのはもちろんのこと、精神生活を重んじる人に相談することが肝要だ。そうした助言者であれば、助言を仰ぐ者の精神生活も向上することだろう。では一体、どこへ行けばそのような人に会えるのだろうか。

旅人ならば、旅に関する助言は旅人に求めるのが良い。女に助言を求めれば、旅に出ないでくれ、去らないでくれと引き止められるだろう。故郷なるものはそうしたもの、しかし旅人たるもの、愛着は乗り越えねばならない。

見せかけの、外側の感覚に立ち止まっていてはならない。内側の感覚を呼び覚まさねばならない - 魂よ、おまえの真の故郷はここではなく、ここをはるか超えたところにある。真の故郷を目指すならば、河の向こう岸へと渡らねばならない。預言者の伝承の、真の意味を読み誤ってはならない。4

思慮深い魚は、胸びれを動かして泳ぎ進んだ。危険な住処を後にして、振り返らずに光の海を目指した。猟犬に追われ、長いこと走り続けた鹿のように、魚の身体の全てが、今や一点に集中した神経そのものとなっていた。

追われるウサギ5が、追ってくる猟犬と昼寝していて良いわけがない。それは罪だ。危ないと分かっていながら、その危ない者の眼の前で眠りこける必要など、一体どこにあるだろうか。魚は住処を離れて海を目指した。魚が選んだ道は遠くけわしかったが、それは果てしない広がり、無限大の可能性を約束するものでもあった。

二匹めの魚6は、苦しみの真っただ中にいた。賢く知的な魚が、彼を置き去りにして行ってしまった。自分を守る者はもういないのだ。

「彼は海へと去ってしまった。彼はこの悲しみから解放されたのだ。良き仲間と思っていたのに、彼は私のことなど全く気にかけもしなかった。しかし、もうそれについて考えるのはやめよう。今となっては、私は自分で自分の面倒を見なくてはならない。そうだ、死んでいるふりをしよう。背を下に、腹を上にして水面に浮かぼう。立派に死を演じ、その他は水に委ねよう。『死ぬ前に死ね』7と言うではないか。死は苦悩を取り払い、安寧をもたらしてくれるだろう」。

死ぬ前に死ねば、安寧がもたらされる。ムスタファ8もかつて私達にそう命じた、「汝ら、死ぬ前に死ね。苦悩の重荷を取り除け」。二匹めの魚は、教えに従い死ぬことを選んだ。腹を上に向け、後は全てを水に委ねることにした。浮きつ沈みつ、魚は水に流され運ばれて行った。

それを見た漁師たちは大いに苛立ち、声をあげた。「ああ、畜生。あんなにまるまると太った良い魚が、惜しいことに死んでいる」。二匹めの魚は、漁師たちの声を聞いて喜んだ。彼は思わずにはいられなかった、「私のたくらみは成功した。振り下ろされる剣から、どうにか身を守ったぞ」。

立派な漁師のひとりが、彼を掴んでぺっと唾を吐き、それからぴしゃりと地面に投げ捨てた。二匹めの、半分賢い魚はこうして九死に一生を得た。何度も地面を転がりながら、やがて水辺に辿りつくと、そのまま静かに水の中へ滑り込んだ。

その一方で、愚かな魚9は動揺のあまり興奮して闇雲に泳ぎ回っていた。おめでたいことにこの魚、自分が努力さえすれば自分の身を守れると考え、右へ左へ、ただもうめちゃくちゃに泳いだりはねたりしていた。そこへ漁師が網を投げると、魚はいとも簡単に網に引っ掛かった。思慮の無さが、彼を破滅の炎へ引き入れたのである。

鉄板の上で火に焼かれ、彼は罪人の仲間入りをすることとなった。渦巻いてごうごうと燃える炎の中で、彼は理性の声を聞いた - 「汝、警告者が訪れはしなかったか」。10

聞きしにまさる地獄の懲罰を受けながら、責め苦に喘ぎつつ、信じぬ者の魂がそうするように彼は答えた - 「然り」。

 


*1 3巻2202行目より。

*2 「カリーラとディムナ」を指す。サンスクリット語による著述「パンチャ・タントラ」のアラビア語版に相当する。8世紀、イブン・アル・ムカッファによって編纂された。

*3 神との合一を目標とするスーフィーを象徴している。

*4 「故郷への愛は信仰の一部である」という伝承。

*5 真の姿を見ようとせずに見かけで判断し、護衛してもらえるものと思い込んで注意を払わず無関心な様子を指している。

*6 預言者や聖者の知恵には及ばないものの、救済へと至る道の途上で精神的導師を探し出し、その後を追うには足る賢さを持ち合わせた者を象徴している。

*7 神秘道における自我の死(ファナー)を指す。

*8 第1話・註6を参照。(以降、当該用語については註を省略する)

*9 現世に執着する者を象徴している。内側に知恵の光を持たず、それでいて自分以外の者が光を持っていても、彼らを受け入れ、彼らに従おうとはしない。

*10 審判の日、不信の徒は地獄の番人の尋問を受ける。コーラン67章8節:「一群の者がその中に投げ込まれるたびに、番人は彼らにむかって、『警告者が現れなかったのか』と尋ねる。」