第19話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「賢いルクマーン」1

 

その昔、ルクマーンという名のたいそう賢い奴隷がいた。主人は誰よりもルクマーンを気に入っており、実の息子達以上に大事に扱った。何しろルクマーンは欲望に囚われるということがなかった。身分こそ奴隷であったものの、自制心にかけてはあたかも王者のようであった。

かつてある王が、聖人に向かって「褒美をつかわそう。何でも望みのものを言うがいい」と言った時のこと。聖人は答えた、「これは笑止!私にそのような物言いをなさるとは、王よ、あなたは恥を知らぬ。王たるもの、もっと誇り高くあらねば。私には奴隷が二人おります。いずれも卑しき者どもですが、実はこの二人こそ、王よ、あなたを支配しているのですぞ」。

王は驚いて言った、「して、その二人とは一体誰か?何かの間違いではないか」。

聖人は答えた、「一人めは怒り。そしてもう一人は欲望です」。

主人は、どのような食べ物を差し出されてもまずはルクマーンに与えた。ルクマーンがそれらに手をつけないでいると、主人も手をつけずに捨ててしまうのだった。それでルクマーンは、心ならずとも、あるいは食欲がわかずとも、少しは手をつけるようにしていた。いずれにせよ、それは終わりなき親愛の情の証しであった。

贈り物として、蜜瓜が届けられたある日のこと。「行け」、と主人は命じた。「私の愛するルクマーンをここに呼べ」。主人が一切れ、ルクマーンに蜜瓜を与えると、ルクマーンはまるで砂糖か、蜂蜜を食べるかのようにそれを食べた。ルクマーンが喜んでいるように見えたので、主人はまた一切れ、また一切れと与えるうちに、とうとう十七切れにもなった。

そして最後の一切れが残り、主人は言った。「どれほど甘い蜜瓜であったのか、私も一切れ食べるとしよう」。ところが一口、口に含むと、激しい酸味が舌を焼き、喉まで焦げるほどだった。しばらくの間、主人は我を忘れて呆然としていたが、やがて気を取り戻すと泣き出しそうになった。「ルクマーンよ、わが魂、わが世界の全てよ。一体どうして、何も言わずに耐えたのか。これはなんという忍耐か。それともおまえは、生きているのがそんなにも辛いのか」。

ルクマーンは言った。「あまりにも気前良く下されるので、ついついこんなに沢山の甘いものを食べてしまい、二重に恥ずかしく思っております。苦いと言って、あなたの手から下されるものを断るなど、恥ずかしいことと思ったのです、わが賢きご主人様。

私という者のあらゆる部分は、全てあなたの下された慈悲によるもの。たった一度でも苦いと不平を言えば、百の通りに溜まった塵が、私の全てを覆いつくしてしまうことでしょう。蜜瓜は、甘く優しい味でした。慈悲深いあなたの手から下されたものに、どうして苦みなど残りましょうか」。

 

愛により苦みは甘くなり

愛により銅は金にもなる

愛により澱は清い雫となり

愛により痛みは癒しとなる

愛は死者をも生き返らせ

愛は王さえも奴隷にする

 


*1 2巻1462行目より。ルクマーンは身分こそ低いものの、賢者・哲学者として高名だった人物。しばしばイソップとも同一人物視される。コーランには彼の名を冠した章がある。