第30話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「バーヤズィードの巡礼」1

 

バーヤズィードはカアバへと向かう道の途上にあった。

バーヤズィードは時のハディル2に出会おうと、大真面目で彼を探し求めた。そしてついに彼は、まるで新月のような体躯の老人を見出した。彼の言葉には、聖者の威厳と高貴があった。彼は盲いており、その心臓は太陽のごとく内側から輝いていた。彼はまるでヒンドを夢見る象のようだった。閉ざされた目を通して、彼は百の歓喜を見ていた。だが彼の目が開くとき、彼が見るのは一切の無であった - 何と素晴らしいことだろう!

驚くべきことの多くは、眠りを通して明らかにされる。眠りの中で、心は窓となる。目覚めながら、駆け引きのない清廉な夢を夢見る者こそは神を知る者 - 彼の塵で瞳をぬぐえ!

バーヤズィードは彼の前に座り、彼の身の上について尋ねた。彼がダルヴィーシュであること、また同時に家族ある者であることも分かった。「バーヤズィードよ」、彼は言った。「おまえ様、どこへ向かっているのか?見知らぬ土地へ行くのだろう?旅の荷物を、どこへ運んで行くのだね?」。

バーヤズィードは答えた、「夜明けには、カアバへ向かって出立します」。「えっ」、彼は叫んだ。「おまえ様には、旅のための用意はあるのかね」。「銀貨で二百ディルハム」、バーヤズィードは答えた、「そら、ここです、外套の隅に結わえつけてありますよ」。

すると彼が言った。「私の周囲を、七回巡れ。その方が、わざわざカアバへ遠回りするよりも良いと思え。そしてそのディルハムをわしの前に置け、おお、寛大なるバーヤズィードよ。そうすればおまえ様は確かに大巡礼3を果たし、己の欲望に打ち勝った証しを得よう。同時におまえ様は小巡礼4をも果たし、永遠の生を得よう。サファーの丘5を駆けのぼり、全てから清められたのだ -

 

わしの魂が見た真実の、更にその真実にかけて。
わしは誓う、御方がわしを御方の館として選びたもうことを。
カアバが主に捧げられた崇拝の館ならば、わしが今在るこの姿は、
最も深くに隠された神の秘密の館として創られたもの。

神はカアバを創りたもう、だが神はカアバには住みたまわぬ。
そしてわが館に住まう者と言えば、神、
すなわち生ける者のうち真に生ける者を置いて他にはない。
わしを見た者は、神を見たのだ。

おまえ様は、真のカアバを巡ったのだ。
わしへの奉仕はすなわち神への奉仕、神への賛美。
用心せい!神がわしを離れて在るとは思うな。

おまえ様の目を開け、そしてこのわしをようく見よ。
そうすればおまえ様にも、
ヒトに宿る神の光を掴み取ることが出来るだろう。

 

- バーヤズィードは、明かされた神秘の言葉に耳を傾けた。そしてその言葉を黄金の耳環とし、彼の耳に飾ったのだった。

 


*1 2巻2231行目より。ビスターム出身のバーヤズィードは9世紀の高名なペルシャ人スーフィーである。

*2 スーフィー聖者の階梯は、ハディルをもってその頂点としている。ハディルはしばしば預言者エリヤと同一視される。「生命の水」を飲んだことにより不死を得たという謎に包まれた存在である。スーフィー達は、放浪の旅をすることにより彼に会えるか、もしくは彼のヴィジョンを見ることが出来ると信じており、深遠な知識を分け与えてくれる存在と考えている。

*3 イスラム教における宗教的義務のひとつで、巡礼月(1年のうち第12月に相当する)に行なわれるメッカ訪問を指す。ハッジと呼ばれる。

*4 巡礼月以外の期間に行なわれるメッカ訪問。ウムラと呼ばれる。

*5 サファーは「清浄」を意味する。巡礼の際にはカアバにおけるタワーフ(巡回)の儀式を終えた後で、巡礼者達はこの丘に登る。