第43話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「サバアの人々」1

 

サバアの人々の物語2は、忘れようとして忘れられるものではない - うららかな『saba』が、愚か者達の言葉によって『waba』に変えられてしまったあの物語を。

サバアの王国というところは、子供同士のおしゃべりにでも出て来そうな「広くて大きい、すごい都」に良く似ている。子供というものは、決して全てを理解した上でおしゃべりをしているわけではない。しかし子供の言葉にこそ、耳を傾けるに値する数多くの秘密と教訓が含まれている。子供のおしゃべりというのは他愛も無いもの、筋も通らず意味も無い、と打ち捨ててしまって良いものではない。そのようにして打ち捨てられた荒れ地の中にこそ、探し求めていた宝が隠されているものだ。

 

昔々、あるところに広くて大きい、すごい都3があった。どのくらい広いかというと、そう、ちょうどチャイグラスの受け皿一枚分ほどの広さだった。その都は大きかった。すごかった。どのくらい大きく、どのくらいすごいかというと、そう、ちょうどタマネギ一個分ほどの大きさ、すごさだった。
その他の都の十倍ほどの数の人々が、その都には住んでいた。しかしそれほど多くの人々が住みながら、全体としては、顔も洗わぬ不衛生な男が三人ほど住んでいるに等しかった。

一人目は、非常に優れた視力を持ちながら盲いていた。彼にはアリの脚は見えても、近づきつつあるスライマーンの姿は見えなかった。4二人目は、非常に鋭い聴力を持ちながら耳が遠かった。大麦ほどの重さの黄金も無いところにさえ、宝の鳴る音を聞いた。そして三人目は、丸裸の上に裸足でありながら、その衣は裾を引き摺るほどに長いのだった。

一人目の、目の見えぬ男が言った。「見ろ、軍がこちらへ向かっている。どのような兵か、何人くらいいるのか、私には良く見える」。「その通りだ」、耳の遠い男が言った。「兵達が、声を張り上げおおっぴらに話していることも、ひそひそ声の内緒話も、私には良く聞こえる」。丸裸の男が言った。「心配だなあ。私の着ている衣の裾を、切り取るつもりなのだろうか」。

目の見えぬ男が言った。「見ろ、どんどん近づいているぞ!ぶたれたり、鎖につながれたりして苦しむ前に、立て、そして逃げよう」。「その通りだ」、耳の遠い男が言った。「喧噪が、ますます近くで聞こえている。さあ、行こう、わが友よ!」。丸裸の男が言った。「ああ、私の衣の裾を切り取りにやって来たに違いない。そして私には、守ってくれるものも何もないのだ」。

三人は揃って都を出発した。歩きに歩いて、逃げ延びたその先で、彼らはある村5に辿り着いた。その村で彼らは、まるまると肥え太り、ダニの一匹すら寄せ付けない家禽を見つけた。それは浅ましくも哀れな光景だった - 干からびて死んだ家禽達は、肉も骨も、まるで糸くずになるまでカラスの群れにつつかれ、食い荒らされているのだった。

彼らは、獲物を食べるライオンのようにむさぼり食べた。それぞれ、まるで象のように際限無く食べた。三人が三人とも、食べれば食べるほど、際限無くまるまると肥え太り、やがて三頭のおそろしく巨大な象のようになった。あまりにも大きく太ってしまったため、三人の若い男は、三人共に世界には収まり切らなくなってしまった。
そこで彼らは、とてつもない巨体であることも顧みず、ずんぐりとした七つの突起6を振り立てつつ、扉にあった小さな割れ目をくぐり抜けて飛び出し、その場を立ち去ったのだった。

- 生物の、死へと至る道というものは決して目には見えない道である。視覚は、死を捉えることが出来ない - それは素晴らしい出口であり、素晴らしい出発の地である。そら、そこの扉の、視覚から隠される小さな割れ目をくぐり抜け、次から次へとカラヴァンが通り過ぎて行く。割れ目は、探そうとして見つかるものではない。数えきれぬほどのカラヴァンが、行列をなして通り過ぎるのにも関わらず、それは決して見ることが出来ないのだ。

 

『耳の遠い男』は、期待や願望の象徴である。私達は日々、他人の訃報を耳にする。だが彼にとり、自分の死は例外となる。自分の死については耳に入ることもなく、自分も必ず死ぬ時が来るのだ、ということには、全く注意を払うことがない。

『目の見えぬ男』は、貪欲の象徴である。他人の犯した過誤については、髪の毛一筋も見逃さず、通りという通りを大声で言いふらしてまわる。しかし他人のあら捜しにかけては人一倍も目ざとい者が、自分の過誤についてはとたんに見えなくなり、塵ひとつ分さえも認めようとはしない。

『丸裸の男』は、自分の衣の裾を切り取られるのではないかと不安がっている。丸裸の男から、誰がどのように衣の裾を切り取ることなど出来るだろうか?彼は俗物の象徴である。自信過剰で臆病で、貧しく不自由。所有するものなど何ひとつ無いのに、それでも泥棒に対する恐怖だけは持っている。裸足のままでやって来て、丸裸のままで去って行く。その間じゅう、彼の心は泥棒への恐怖に苦しみ血を流し続けるのである。

 


*1 3巻2600行目より。サバアとは、聖書におけるシバにあたる。

*2 サバアの人々の物語 - 習慣に対する頑迷なまでの執着や、恩恵を享受する生活を送りながらも恩恵に対する感謝を忘れ、それゆえに訪れる破滅 - については、この小話に先じて3巻282行から語られている。『saba(サバア)』はのどかなそよ風、『waba(ワバア)』は感染性の悪疫の意。

*3 これは『子供達のおはなし』である。『都』とは、大宇宙(マクロコスモス)に繋がる小宇宙(ミクロコスモス)である人間の性質を象徴している。

*4 コーランの章句を参照。コーラン27章18節:「・・・一匹の蟻が言った、『蟻どもよ、ソロモンとその軍勢が、不注意にも諸君を踏み殺すやもしれぬ。みな住まいの中ではいれ』」

*5 現世、世界を指す。

*6 身体の七つの部位を指す。すなわち、頭部、胸、腹、二本の腕と二本の脚の意。