『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
「人を探す修道僧」1
晴れた日の真昼に、灯した蝋燭を片手にバザールを歩き回る修道僧の姿があった。彼の心は、愛と情熱であふれんばかりだった。
世話好きな連中が彼に話しかけた。「やあ。あの店、この店と全ての店を見て回っているようだが、何をお探しだね?見て回るのは結構だが、何と言うか、その、灯した蝋燭は何なのだね、こんなに日差しも明るいっていうのに。それとも、何かの冗談でやっているのかい?」。
修道僧は答えた。「人を探して、あるとあらゆるところを尋ね歩いているのだ。私が探しているのは、言うなれば精神によって生かされているような人、霊的な糧によって生きる人だ。果たしてここに人は存在するだろうか?」。
「何だってまたそんなことを」、別の者が言った。「人、人、人。ここのバザールは人で一杯ですよ、尊い賢者どの」。
修道僧は言った。「人には二つの情熱がある。ひとつは憤怒、もうひとつが色欲だ。私が探しているのは、今は憤怒だ、今は色欲だ、と自分で自分を熟知する人だ。自分から目を逸らさぬ人だ。要するに、正直な人だ - そのような人を探して、私は通りという通りを歩き回っている。一体、どこへ行けばそのような人が見つけられるだろうか?見つかれば、私は私の生涯を捧げて尽くすだろうに」。
*1 5巻2887行目より。ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(”Lives of the Philosophers”)』には、ディオゲネス・キュニコス(犬儒学派)に関する同様の話が収録されている。またファエドルスの著作においても、同様のモチーフが『イソップ物語』として描かれている。