『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
「ブヨと風」1
庭の草木の茂みから、一匹のブヨが飛んできてスライマーン2に話しかけた。ブヨが言うには、 -
「王よ、スライマーン王よ。あなたは相手が誰であれ、公正明大に扱うと聞いた。たとえそれが悪魔であろうと、人の子であろうとジン3の子であろうと。鳥も魚も、あなたの正義によって守護されているとも聞いた。しかしあなたの正義から取りこぼされた哀れな者は、一体どこへ向かえば良いのだろうか?私達に正義の守護を与えてくれ、スライマーン王よ。私達がいかにみじめであるか、あなたは知っているだろうか。果樹園も追い払われ、薔薇園も取り上げられてしまった。
あらゆる弱きものに課された困難は、あなたによって取り除かれると聞いている。『正直者のブヨ』と言えば、弱きものを示すことわざだ、おお、スライマーン王よ。持てる限りの権能を持つ者よ。私達を救ってくれ、もはやこれ以上の落伍と破綻には耐えられぬ。あなたの手は神の手も同然、あなたの正義をその手に取り、この深い悲しみから私達を救いだしてくれ」。
スライマーンは尋ねた。「告発者よ。言え、あなた方が求める正義と公正とは、誰に向けられたものか?あなた方を痛めつけ、あなた方の顔に傷をつける虐げる暴君とは何者か?
喜ぶがいい!我らの生ある限り、捕えられもせず、我らの牢獄の鎖につながれないままの暴君など存在しない。我らがこの世に生を受けたその日に、不正は死に絶えたのである。以来、誰一人として不正を行う者が見過ごされたことはない。
神が一言、『在れ』と発すればそれは『在る』。神の御意志により、わが王国はわが掌中に在る。そしてわが王国においては、この世を悲しみ、楽園を欲して泣く者は一人もいない。神が、そのように定めたもうたのだ。
ここでは、誰一人として熱いため息をこぼすこともなく、空や星が揺るがせになることもない。孤児が嘆きの声をあげることもなく、従って最も高い天が怯えることもない。暴虐により損なわれぬ魂は無い、生けるものの魂であればなおさらのこと。
おお、虐げられし者よ、現世に絶望するな、楽園を仰いで夢を見るな。何故なら汝ら虐げられし者こそは、楽園を最も良く知る者。地上における楽園の、王者となるべき者なのだから」。
「スライマーンよ、私は訴える」、ブヨは言った、「荒れ狂う風を私は訴える。私達を虐げるために、彼はいつも両手を拡げて私達を待ち構えている。彼の暴虐のおかげで、私達は幾度となく生死の境目に立たされた。私達は唇を閉じて、自らの血を飲んできたのだ4」。
スライマーンは言った、「おお、小さき者よ、愛らしい声を持つ者よ。私も汝も、果たすべき義務はただひとつ、全霊を傾けて神の命ずるところに従うことである。さて、神は私にこう命じたもう、 - 『汝、心せよ!裁くとき、一方のみの話を聞いて裁いてはならない。必ず、双方の話を聞いてから裁け。双方が汝の前に揃って現れたとき、真実もまた明らかにされるだろう』。
さて、私は神の命令に背く蛮勇は持たぬ。ブヨよ、おまえの敵を私の前に連れてきてくれ。裁きを言い渡すのはその後だ」。
「お言葉ですが」、ブヨは言った。「私めと論争をなさりたいかのように聞こえますな。申し上げたでしょう、私の敵は風ですよ。そして風というのは、スライマーン王よ、あなたの命令であれば何でも従う、あなたの腹心ではありませんか!」。
「風よ、来たれ!」、王は叫んだ。「ブヨから、おまえの不正について申し立てがあったのだ。ここへ降りて来るがいい。汝の敵と差し向かえ。反論があるならば、存分に語れ」。スライマーン王の呼び出しを聞くと、風は素早く馳せ参じた。ブヨはすぐさま逃げ出した。
「ブヨよ、どうした」、スライマーンは叫んだ、「一体、どこへ行くのだ」。ブヨは答えた、「王よ、彼の存在そのものが、私にとっては死を意味するのです。本当に、彼の黒煙は私の日々を暗いものにしてしまう。彼と同席など出来ません、私は一体、どこに安らぎを見出せば良いものか。風は私の体から、生きるのに必要な息までも、残らず吸い上げてしまうのです」。
神の法廷における探求者も、これと同じだ。神が来たれば、探求者はたちまち無に帰する。神との合一こそは生の中の生 -
とは言うものの、その第一の段階において、生は「自我の消滅」を通じて自らを手放し、死なしめねばならぬ。主の光が満ちるとき、光を求める探求者の影はたちまち消融する。御方が「去れ」とお命じになった後に、何がどうしてその場に残るだろう?「全ては消融するのである - ただ御方の御顔を除いては5」。
*1 3巻4624行目より。
*2 第3話・註2参照。(以降、当該用語については註を省略する)
*3 精霊、妖怪、魔人など人外の存在を指す。
*4 「苦痛に悩まされてきた」の意。
*5 コーラン28章88節。