『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
「私の世界、私の魂」1
私は九層の天界にしばし遊んだ、それぞれを司る父達に導かれながら。2
長く星々と共に過ごし、彼らが作り上げる星座の一部ともなった。
姿を消していたこともある、「かれ」と対峙した時のことだ。
私は「近しく」王宮に侍り、見るべきものを見た。3
母の胎内に眠る赤児のように、「かれ」から直に知識を授かった。
誕生は一度きりとおまえは言うが、私は幾度となく生まれた。4
肉体という外衣の下で、私にはやるべきことが山のようにあった。
私はこの外衣を私自身の手に委ね、放り出すことさえ厭わなかった。
ある時は禁欲者たちと共に修道院で夜を明かし、
またある時は偶像崇拝者たちと褥を共にした ––
偶像が見守るその足許で。
羨んでいるのか? –– その妬心こそが私だ。
気分が悪いか? –– その病こそが私だ。
私は雲であり、同時に雨でもある。
憶えてはいないか ––
雨となり、草原に降り注いだ時のことを。
私は一度たりとも、ひとつ処に縛られたことはない。
世間の塵一粒さえも、私の裾に積もったことはない。
ダルヴィーシュよ!
見ろ、私が集めた財宝の数々を。
薔薇となって、永遠の庭に咲き乱れているのを。
私は火でもなく水でもない。
頑固な風でもなければ、沈黙する土でもない。
あれらに構うのは愚かなことだ。
もはや私はシャムスッディーンですらない。
私は純粋に光だ。
私を見たのなら、用心するがいい。
誰にも告げてはならない。
おまえが見た秘密の、おまえ自身が番人となれ。
*1 『シャムスィ・タブリーズィー詩集』331.
*2 『九層の天界』 宇宙は九層の天界から成り、それぞれを支配する知性が存在するとされる。ここではその知性を「父」と呼んでいる。しばしば惑星は「七人の父」と呼ばれたが、ある種の一派は天文学に倣い七惑星を竜に見立て、その頭と尾を加えて「九惑星」を数えたとも言われる。だがいずれにしても、「九」という数字の意味付けとしてはそれほど根拠があるものとも言えない。
*3 「かれは地平の最も高い所に現われた。それから降りて来て、近付いた。およそ弓2つ、いやそれよりも近い距離であったか(コーラン、星座の章7−8節)」。預言者ムハンマドの昇天におけるクライマックスとされる部分を下敷きとしている。
*4 現代において一部の解説者たちは、ルーミーが輪廻転生を支持していたと主張する。だが注意深く読めば、これがいわゆる輪廻転生を意味するものでないことは明らかである。スーフィーの文脈における誕生、死、そして再生とは霊的な人生を歩む道の途上における成長を指す。