安楽椅子解釈 – I
最近ちょこっと引用したこのひとはインド出身のムスリムで、なかなかおもしろいひとでした。ちょっとくせのある感じなのですが、これはどうやらこのひとのくせと言うより、この時代特有のものなのかなという気もします。
インド、と言えば、余談ですが、クルアーンにはアラビア語以外の言語を語源とする単語がいくつかあり、そのうちmisk、zanjbil、kafur、これらはサンスクリット語を語源としている、という解釈があります*。これら3つの品々自体も、もともとアラビア原産のものではないらしい。
これらの単語はすべて楽園(ジャンナ)に漂う芳香に関することばです。
かれらは、封印された純良な酒を注がれる。その封印は麝香(misk)である。これを求め熱望する者には熱望させなさい。
(83章25-26節)
(信者の)善行者は、カーフール(kafur)を混ぜた杯(の飲物)を飲むであろう。
(76章5節)
かれらはそこで、生姜(zanjbil)を混ぜた杯の飲物を与えられよう。
(76章17節)
カーフールというのは「樟脳」の一種、とムスリム協会のクルアーンに解説があります。
それにしても、ありゃ。
芳香には違いないんですが、どれも酒に関するものか、あるいは酒を連想させるものばかり(笑)
私はシラフ人生20年にならんとしてますが、もともとほとんど飲めないのでヨユー。そういうわけだもので、「イスラームの教えはすごい好きなんですけど、酒飲めないのはつらいっす」というようなおはなしを(ムスリム・非ムスリム問わず)聞くたびに、「酒飲む飲まないなんか本質とは関係ないってば」というか「酒飲めないぐらいがなんだあ」というか、(←バカ)「飲みたきゃ飲みゃいいじゃん」というか、
まあ要するにヒトのココロの痛みが全く分かっていないというか。
悩んでる当人の方にしてみれば切実な問題なのだろうな。現世の酒では一時のまぼろしとは言うものの、それにしたって何しろ「楽園」だからなあ。と少し反省しました。まあ何にせよほどほどにしとこうね・・・花見の季節、終わっちゃった後からで何だけど。
さてInayat Khanの書いたものには他にもいろいろあるのですが、「hu」という音についてのおもしろい一編もあります。神様の名前(Allah・アッラーフ)に関することなのですが、「hu」というのは呼吸、つまり生命維持の基本を意味する根源の言葉であり、ありとあらゆる言語の中に同じ意味で含まれている、というような文章です。
神の顕現については、日本にも「花鳥風月」という簡潔かつなかなかに大胆なコンセプトがあり、その中でも「風(ふう)」が取り上げられていますが、これもルーツをたどればそれは呼吸のことで、季節の移り変わりだとか音楽だとか、そういうのは全てこの呼吸に依拠していると考えるのは、日本人にとっても馴染みのあるものです。
言語専門で勉強しているひとから見ればまた別のご意見もあるでしょうし、こういうのは一歩間違えると、たい、へん、なことになっちゃうので、くれぐれも先生選びは慎重にやって頂きたいところですが、まあ何にせよ呼吸というのは、単に鼻や口から酸素を取り入れて二酸化炭素を吐き出す、というようなことでもない、と思うわけです。