「祈りの哲学」
アリー・シャリーアティー
1933年イランのホラーサーンに生まれる。マシュハド大学文学部を58年に卒業し、翌年渡仏。64年パリ大学(ソルボンヌ)にて文学博士号を取得。L.マッシニオンの研究助手生活やF.ファノンとの交流、J.P.サルトル、J.コクトー、A.カレル、M.プランクなどの研究から多大な思想的影響を受ける。64年イランに帰国するが、反体制運動に関わった罪で逮捕され、1ヶ月半投獄される。67年からマシュハド大学でイスラム史を担当するものの、71年に職を追われる。活動の場をテヘランに移し、勢力的に<抵抗と改革の実践>を提唱する講演を重ねるが、再び73年に逮捕、投獄(1年半)される。釈放後、77年にイギリスに脱出したが、わずか10日後に不可解な死を遂げる。(「イスラーム再構築の思想」 訳:櫻井秀子 背表紙裏より引用)
以下は『祈りの哲学』からの抜粋・訳出です。原文はこちらのAli Shariatiから。上に引用したバイオグラフィーでは「J.P.サルトル、J.コクトー、A.カレル、M.プランクなどの研究から多大な思想的影響を受ける」となっており、実際にサルトルをペルシャ語に翻訳したりもしているシャリーアティーだが(もちろん発禁扱いだったそうだが)、逆にサルトルに「私は無宗教だが、もしも選ぶとしたらシャリーアティーのそれだろう」とまで言わせるぐらいの影響を与えてもいる。
主よ、私に与えてください、
自分とは異なる立場の意見を受容する寛容さを。
主よ、私を賢く、注意深くあらしめてください、
彼または彼女やその意見を、正確かつ完全に理解する前に、
自分勝手な予断や憶測で裁いてしまうことのないように。
主よ、私に力を貸してください、
人々の違いや、思想の違い、あるいは関係性において、
様々な食い違いを受け入れることができるように。
主よ、私の信仰を通じて揺るぎなき使命を与えてください、
現世における私が、揺るぎなき反逆者でいられるように。
主よ、反逆者の信仰を私に与えてください、
課された使命の崇高さに、私がつまずくことのないように。
主よ、追従者の信仰を私に与えないでください、
孤独という名の一隅で、私が生を浪費せずにすむように。
主よ、憂いと困難と畏れによって、
満たしてください、私の魂を、
あなたの、何ひとつ持たぬ貧しきしもべに慰めを与えてください、
何ものにも代え難く尊い、悲哀と苦痛とを与えてください。
「性質」「歴史」「社会」「自我」という四つの牢獄から、
主よ、私を解放してください、
あなたが創った本来の「わたし」に、再び生まれ変われるように、
生態系に寄生する動物ではなく、
生態系に寄与する「わたし」であれるように。
主よ、「疑念」という名の聖なる炎を私の内部で燃やし続けてください、
他者が私に刷り込んだ「常識」を、焼き滅ぼしてしまえるように、
そして燃え尽きた灰の中から、曇りなき「確信」の光が放たれるように。
主よ、翻訳の拙さから私を救ってください、
古い伝統の型枠から自由になるために。
主よ、模倣の貧しさから私を救ってください、
西洋の猿真似から自由であるために。
他人の様子を盗み見しながら自分の口を動かすような人間に、
私が決してならないために。
主よ、感謝します、聖フセイン ー 彼に平安あれ ー も、
かつてそうしたように。
あなたはかれらを愚か者の群れから選び出し、私の敵と定めました。
愚かな敵を2-3人与えられるというのは、主よ、
あなたから特別なしもべへの、最上の贈り物です。
主よ、私に与えてください、
アリーのように偉大な魂と、全人類への愛に満ちた美しい心を。
それによって私を救い出してください、
卑小な魂と、それが作り出す好悪の入り交じる狭い世界から。
主よ、「進歩的」なる人物たちに知らしめてください、
経済とは本質へいたる手段に過ぎず、
経済活動そのものが目的ではないことを。
主よ、「敬虔」なる人物たちに知らしめてください、
経済もまた本質を形作る部分のひとつである以上、
背を向けてはならないと。
主よ、私に成功を与えてください、
失敗を重ねてなお奮闘努力するとき、
失意の底で忍耐するとき、
たった一人で立ち向かうとき、
武器を持たずに聖戦を行うとき、
報酬なしに労働するとき、
無言のうちに犠牲を払うとき、
この世界において宗教的信条を守るとき、
伝統にそぐわない思想を持ったとき、
見せかけの信仰に別れを告げるとき、
未熟さ故ではなく、成熟したが故に反逆するとき、
飾り気のない、秘められた美がそこにあるとき、
群衆の中で孤独なとき、
そして恋する人に想いを打ち明け、愛を交わすときに。
主よ、私に知識を与えないでください、
それが人類に良からぬことをもたらすようであれば。
無知で野蛮な現代美術から私を遠ざけてください、私は見たのです、
意気揚々たる自己陶酔の感情や、驕慢な衒学と高い理想の足下に、
踏みにじられた者たちの目の奥に隠された飢餓の苦しみを、
虐げられた者たちの目の下に浮かび上がった、青黒い痣の痛みを。
主よ、唯物論者達に知らしめてください、
人間は自然と歴史と社会の土壌にただ育つだけの植物ではないことを。
主よ、私の仲間達に知らしめてください、
地球の他に、あなたへと至る道などないのだということを、
そして私に教えてください、近道はどこにあるのかを。
主よ、私達の内部にいる宗教者達に知らしめてください、
アダムは泥から創られたのだということを理解させてください。
彼らに知らしめてください、不可知の目に見えないものと同等に、
現実に起きる出来事もまた、神の存在を暗示するということを、
神は来世のみではなく、現世にも存在するということを。
主よ、私に喜びを与えてください、
信仰が私を、名誉と富から遠ざけるように。
力を与えてください、私の信仰にかけて名誉と富とを望まぬように。
現世から富を稼ぎ、宗教でそそぐ者にならぬように、
宗教から富を稼ぎ、現世に費やす者にならぬように。
主よ、私に与えてください、
死の間際に、無意味であったと嘆かずに済む生を。
私に与えてください、有意義な死を。
それだけは私に選び取らせてください、
それに至る道については、あなたにすべてをゆだねます。
主よ、生きるすべを教えてください、
死ぬすべを私は学びましょう。