聖者は永遠を見る

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

聖者は永遠を見る 1

 

凡人が、磨きをかけた鏡越しに見るものであっても、
導師ならば、磨かれる以前の鉄塊にさえはるかに多くを見る。2

導師とは、天地の創造より以前の、
神的大海を泳ぐ魂を持つ者。3

身体の創造よりも先に、いくつもの生を生きし者、
種を蒔くよりも先に、小麦を収穫する者。4

かたちが造られるよりも先に、こころを授かりし者、
海が造られるよりも先に、真珠をつづる者。

その魂は葡萄の中に葡萄酒を捉え、一瞬の中に永遠を捉える ––
有限にして無限、鉱山の存在よりも先に造られた金貨。

 


1. 『精神的マスナヴィー』2-197.

2. 鉄の「塊 (khist) 」とは、研磨師 (saqqal) が鏡に仕上げる以前の鉄の板を指す。通常の人であれば、五感で認知できる側面のみを把握するところ、導師は遠く離れたところからでも、その本当の姿と性質を見抜く。神的な意識の器官として、「過去、現在、そして未来におけるすべてについて、それらがどのようにして生起し、また現在どのようであり、そしてどのように終わりを迎えるのかのあらゆる真意を知っている。つまり、あらゆる事柄について網羅的かつ分析的な知を得ているのである(ジーリー)」。

3. 換言すれば、彼らは純粋存在の普遍的な状態(ta’ayyunat)にあり、ムハンマドの光(ロゴス)とと本質において一化している。

4. 物事を観ずるにあたり、「完全な人間」は客観的な存在についてよりも、その最終的な目的の方を論理的に優先する。