書道について、思うところを
『科学の一さじめは苦いが、二さじめは蜂蜜よりも甘い』
クーフィー書体:トランスオクサニア出土、10世紀
「書」については、辞書など引くと以下のようにあります。
1. 文字を書いたもの。「良寛の書(=筆跡)」
2.文字の書き方。書法。「書を習う/書を善くする/書家・書画・書道・楷書・草書」
3.本。書物。「座右の書/書庫/書籍/蔵書/良書/辞書」
4.用件を書いたもの。「書(=手紙)を呈す/書状・書類・信書・封書・遺書・報告書」
5.文書・手紙などを算(かぞ)える語。「習字」「書法」
などなど、それぞれ調べてもほぼ上記のように収斂されるのですが、「書道」と言った場合には、「精神を集中し、心を込めて文字を書き習うことによって形象美を追求する一種の実技。(以上、新明解国語辞典)」となります。また、「書」とだけ言った場合、それは写経を指す場合もあります。日本にも書道文化がありますが、近頃では日本国内よりも西洋での方が、日本の書道に対する関心が大きいみたいなことを言われています。
毛筆による習字や書道は、明治の頃までは必須科目として学校で教えられていましたが、第二次大戦後、連合軍の指導によって、精神鍛錬あるいは芸術としての書は、実用的ではないとの理由で、毛筆習字と書道の授業は指導要領から外され、必須科目ではなくなってしまいました。こうした独特の文化というのは、悪しき意味でのナショナリズムを高揚するものとして警戒されたのかも知れません。きれいだったらそれでいいじゃん、というわけにはいかんのがおとなのせかいというやつなのらしいな。
カリグラフィーとはもともとギリシア語で「美しく書く」の意味で、西洋にもカリグラフィーもしくはレタリングと呼ばれる芸術分野がありますが、文字を書く「書」という行為に「道」という精神的価値を付与するのは、どうも東洋の方が盛んのように思われます。どちらがいいとかわるいとかいうことではありません。
もちろん、「書」とはあくまでも「書」であり、精神的鍛錬とはなんら関連がない、とする書家も多くいますが、精神的な意味合いをそこに見出すひともまたそれと同じく多く存在しますし、アラビア書道でもその事情は同じようです。
アラビア書道がこれほどまで発展したことの理由として、アラビア書道が多く書かれている地域が、現在イスラム化している地域でもあることから、ハディースと呼ばれる伝承の中に造形芸術を禁止した項目があることや、またイスラムの教義が偶像崇拝を禁じていることなどをあげ、それが書道ひいてはイスラム書道芸術の発展を促した、とする説明を眼にすることがしばしばあり、どうやらこれが相当に一般的に信じられているようです。
一般的なようではありますが、個人的にはこの説はあまり信用していません。それに加えてこの説は、根拠は弱くプロパガンダ的な匂いが非常に強く、そういうわけであまり好きではありません。
逆さまから考えて、では偶像崇拝が禁止されていなかったら、書道は発達しなかったでしょうか?
学研の「イスラーム美術」(大系世界の美術 第8巻 イスラーム美術)における「イスラーム美術の特徴と変換」の章で、深井普司氏が「偶像崇拝禁止」と、特に項目を設けてこのように指摘しているのは興味深いです:
偶像崇拝禁止
マホメットが偶像の崇拝禁止を唱えたかどうかは、古来より問題が多く、現在でもその論争はつきない。偶像崇拝禁止を説く一小節をコーランの中に見出しうるが、これはマホメット以前の土着宗教への傾斜を諌めた意と解するのが適当と思われる。もちろん、ハディース(聖伝)には、はっきりと偶像崇拝を禁止しており、また、植物文様以外の生物の描写を厳しく排斥した時代もあった。しかし、このような時代においても、カリフや有力者の私邸には、人物像が描写されており、イスラーム教義の表明を画一的にとらえるのは正しくない。詳細は絵画の項にゆずるとして、ここでは、偶像崇拝禁止の一つの原因であるイスラーム世界における美術家の社会的地位を考えよう。
イスラーム時代の書家はコーランを書くということから、その社会的地位は非常に高かったが、他の分野の美術家と比較すると、これは全く例外的なことであった。古代より、西アジアにおいては美術家の社会的地位は一般に低く、奴隷に近い状態であった。イスラーム時代になっても、王朝により程度は異なり、次第に地位は高くなるとはいえ、その底流を常に流れる精神には変りなく、一部の神学者たちが、美術家が神の創造した人間を再創造するという聖なる職を遂行するにふさわしくない、と考えたのも当然である。
もうひとつは、岩波のイスラーム美術 (岩波 世界の美術) :
西洋美術の主要な形態は、建築を除いては、礼拝に用いられた宗教絵画及び彫刻である。イスラーム美術においても西洋美術においても建築は類似の役割を果たすが、イスラーム美術には大規模な絵画や彫刻はほとんどない。
こうした絵画と彫刻の欠如は、イスラームにおける人物像の表現の禁止のためだと考えられることが多いが、これから見ていくようにこの説明は誤りである。むしろ、イスラームの宗教美術においては神の表現が存在しなかったと考えるべきである。
中国などを見てみると、生物をかたどった意匠や彫刻、偶像制作が盛んであったのと同時に、書道やカリグラフィーも多いに盛んでした。アジア・アフリカなどの地域の、イスラーム以降の美術工芸品を見ても、ミニアチュールとして知られる人物像や風景画、生物画、建築物や布類などなど、何らかの具象物や事象をかたどった意匠や表現作品は、実際のところ多数存在しています。偶像崇拝の禁止が、全く関係ないとは言わないまでも、それが書道の発展の理由であると断言することは出来ないし、現代に残されている歴史的な美術作品の数々がそれを証明しているのです。
ところで古代オリエント、例えばエジプトでは多くの神像や王像などが作成されましたが、それらに並んで、パピルスと葦筆を手にした書記像もまた多く作成されています。
参考:書記のみなさん
文字を書いたり読んだりといったことは、職能として社会的認知度の高い技術の一種でした。王様などの権力者と、実際に対等であるとまでは言わずとも、わざわざこうした像を作成される程度には、尊敬と崇拝の対象でした。つまりイスラム化以前から、書道が発達する素地はすでに用意されており、偶像崇拝を理由に表現手段に制限がかかっている/いないに関わらず、アラビア書道は発展を遂げたであろうと考えるのが妥当かと思われるのです。
かれらは、かれ(スライマーン)のためにその望む高殿や彫像や池のような水盤、また固定した大釜を製作した。(それぞれの持場で)「あなたがたは働け、ダーウードの家族よ、感謝して働け。」だがわれのしもべの中で感謝する者は僅かである。
(コーラン 34章13節)
個人的には、アラビア書道がこれほどまでに発展した理由は『偶像崇拝が禁止されているから』ではなく、
慈悲あまねく御方が、このコーランを教えられた。
(かれは)人間を創り、物言う術を教えられた。
(コーラン 55章1-4節)
と、コーランにもある通り、人間というのは表現せずにはおられない生き物であり、何故?と、あえて問うとするのなら、だってそのように創られたから。
そんなふうに考えています。