「新月を見た」と思い込んだ者の話

『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

 「新月を見た」と思い込んだ者の話

かつてウマル1が統治していた頃のこと。ラマダンの季節も近づいたその夜に、幾人かの者達が、新月の出現を見て幸運にあやかろうと、小高い丘の上へと駆けて行った。そしてそのうちの一人が言った、「おお、ウマルよ!ご覧下さい、新月が出ています!」。しかしウマルは、空のどこにも新月を見なかった。彼は言った、「その新月は、きみの空想から昇ったまぼろしの新月だろう。

115. そうでなければ、きみよりも天空について良く知るこの私に、清浄なる新月が見つけられないはずがない。きみの手指をしめらせろ」、彼は言った、「その手指で、きみの眉を撫でつけろ。それから再び、新月がどこにあるのかを指し示してくれ」。男は手指で眉をしめらせ、再び空を仰いだ。すると今度は、新月は見当たらなかった。「おお、王よ」、彼は言った、「月がどこにも見当たらない。どうやら、消えてしまった様子」。「その通り」、ウマルは言った、「君の眉の毛が弓となり、誤解という名の矢を、きみの瞳めがけて射ったのだよ」。たった一本の眉の毛が、天空の全てを彼の視界から遮った。たった一本の眉の毛が、誤解を生じせしめた。そのために新月を見たと勘違いした男は、無駄な自慢話をするはめに陥ったのである。

120. ねじれた毛の一筋が、空の全て、大局の全てをヴェイルで覆い見誤らせる。もしもその場にいる全員が、同じように見誤ったたら何となろうか。正しき人の助けを得よ。正しき人の助けによって、あなたも、あなたの仲間も正しく導かれることとなろう。正しき道を歩む者よ、正しき人の住まう家の扉をたたけ。正しき人の住まう家から、あなたの顔を背けてはならない。目方を正しく計るのも秤なら、目方を損ねるのもまた秤だ。誰であろうが、正と不正を計るのに同じ秤を用いる者の考察には欠落が生じる。その理解も、薄ぼんやりとしておぼつかぬものとなる。 - 行け、不信の輩に甘い顔はするな。厳正にしておれ、一線を引け。得体知れずの者達に振りまく愛想など、塵と一緒に掃き清めてしまえ。

125. 門外漢どもの、頭上に吊るされた剣となれ。キツネのように、小賢しく立ち回るような真似はするな、むしろライオンのようであれ。おもねるな、むしろ怖れおののかせておけ。棘を去って薔薇(神の友)を取れ、そうすれば、神の友が羨むことも、あなたを去ることも無いだろう - 悪知恵を働かせる者達こそは、薔薇に仇をなす棘だ。彼らはオオカミ、ヨセフの敵だ(コーラン12章13節〜17節)。オオカミ共に火を放て、後悔の種子を植えてやれ。イブリースはあなたを「愛しきわが子よ、わが魂よ」と呼ぶだろう - 用心せよ!呪われの悪魔は常にそうした手口を用いて近づいて来る。自惚れ心をくすぐる言葉を振りまいて、気分良くさせておく。父の名を騙り、油断させたところであれこれの詐欺を働くのだ。黒々と煤けた顔を持つこの者は、かつて同じ手口を用いてアダムを王手詰みに追い込んだ。

130. このカラス、チェスの盤上で目まぐるしく策を弄じている - こいつとチェスをするならば、半分閉ざされた眠気まなこでは勝負にならぬ。こやつはあなたも知らぬうちに、あなたの喉に藁を詰め込む恐るべき手口の数々を熟知しているのだ。あなたの喉を見よ、もうずいぶんと長い間、詰まったままの藁があるではないか。藁とは何か?地位と財産に対する執着だ。おお、ふらふらと腰の定まらぬやつめ、か弱きやつめ - 財産とは喉に詰まった藁だ、喉に詰まって、生命の水が通るのを妨げる。そしてもしもあなたの財産を、巧妙にも盗み出す者があったとしても、知れ、それは実のところ、盗人と盗人が互いに奪い合っているだけの話に過ぎぬのだということを。

 


*1 「ウマル」
ウマル・イブン・ハッターブ(592-644)
ムハンマドの教友で側近の一人。第2代正統カリフ(在位634〜44)。マッカのクライシュ族の氏族であるアディー家の出身。イスラームの迫害者であったが、改宗と共に熱心な信徒となったことで知られる。
(『岩波イスラーム辞典』p202. 岩波書店)