『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
如何にしてイブリースはムアーウィヤ ー 彼の上に神のご満悦があらんことを ー を揺り起こしたか
伝え聞くところによれば、宮殿の一隅で、ムアーウィヤが眠っていた時のことである。
2605. 宮殿の扉は、内側から閂で堅く閉ざされていた。人々の、途切れることのない訪問に、彼は心の底から疲れ切っていたから。(それなのに)何者かが、彼を唐突に揺り起こしたのである。だが彼が目を開いたとき、その男はこつ然と姿を消していた。彼(ムアーウィヤ)は独り言を言った。「宮殿に入り込める者がいるはずはない。一体、このような無礼かつ大胆なことを仕出かしたのは誰だろうか」。彼は、視界から隠れた者の跡を見つけようと、周囲を一巡した。そして扉の背後に、扉と幕との間に顔を隠す、かの「運命に見放された者」を見出した。
2610. 「やや!」、彼は叫んだ、「きさまは誰だ、名を名乗れ」。「そう力むな」、男は言った、「わが名はイブリース。見ての通り、呪われし者」。そこでムアーウィヤは尋ねた、「何故に私を起こしたのか?本当のことを言え。嘘や、真実とは逆のことを言ったら承知せんぞ」。その者(イブリース)は言った。「祈りの時刻はとうに過ぎ、もはや終わる頃だ。急ぎモスクへと走らねばなるまい ー 『祈りを捧げよ、時が過ぎ去る前に』、ムスタファもそう言っていただろう?穴を穿たれた思考の真珠を、手渡されはしなかったのか?」。彼(ムアーウィヤ)は言った。「否、否。何であれ善へと私を導くことが、おまえの目的であるはずがない。
2615. 仮にわが住処に忍び込んだ盗人が、『あなたを見守って差し上げましょう』と言ったとして、どうして盗人を信用することなど出来ようか。応報と善行への報奨について、盗人に分かるはずが無い」。彼(イブリース)は再び言った。「かつて私は天使であった。魂の全てを傾けて神への服従の道を歩んだ。崇拝の道を歩む者たちの、私は良き助言者であり、腹心の友であった。神の玉座近くに侍る者たちの、私は親しき胞輩であった。 ー いったい、原初の呼び声を、心から消し去れるものだろうか?原初に差し出された愛を、どうして心から捨て去れようか?
2620. 例えばおまえが旅に出て、アナトリアやホータンをその目にしたなら、おまえの故郷へ対する愛は、おまえの心から消え去るとでもいうのか?私もまた、かの葡萄酒に酔った者。私もまた、かの宮廷において御方に恋い焦がれた者のひとり。御方の愛もてわが臍の緒は断ち切られ、わが心には御方への愛が植え付けられた。私は、運命により与えられた麗しき日々を過ごした。わが春の季節に、私は聖なる慈悲の水を飲みに飲んだ。植え付けたのは、御方の優しき御手ではなかったか?私なる者を無の底から引き出したのは、御方ではなかったか?
2625. ああ、私は幾度となく御方の慈しみを授かり、幾度となく御方の誉め言葉を頂戴し、賞賛の薔薇園を歩いたものだ。御方は、優しきその御手をわが頭上に置きたまい、私の内側から栄光の泉を引き出したもうた。幼き私に乳を与えたのは誰か?わが揺りかごを揺らしたのは誰か? ー 御方に他ならぬ。御方の授けたもう乳の他に、いったい私が、誰の乳を飲んだというのか。御方の摂理の他に、いったい何が、私を育んだというのか。授けられた乳と共に流れ込んだこの心持ちを、どうして差し戻すことなどできようか。たとえ恩寵の海が私を咎めようとも、恩寵の扉が閉ざされたことになるものだろうか。
2630. 恩寵の海が私を咎めたからといって、恩寵の扉が閉ざされたことになるだろうか。恩寵と恩恵、慈愛こそが御方の賜る金貨の本質。怒りなど、本質の上に重ねられたわずかな錆に等しい。御方は、慈悲もて世界を創造したもう。御方の太陽は、放つ光の微粒子ひとつひとつを愛したもう。御方との別離に、御方の大いなる怒りが注ぎ込まれるのは、御方との合一の価値を知らしめるためだ。御方との別離は、魂のとっては罰となる。そのようにして、魂は合一の日々の価値を知るのだ。
2635. 預言者が告げている、神はかく語りたもう、と ー 『創造の目的は、それにより善を施すためである。彼ら(被創造物)が、われから益を引き出せるように、彼らの手により、われから蜜を掬い上げられるように。(創造の目的は)彼らからわが益を得るためではない。施すは彼ら(被創造物)に非ず。われは、裸の者から衣を引きはがす意図を持たぬ』。御方が、私を御前から追い払いたもうその瞬間も、わが目は御方のかんばせに釘付けだった ー 美しき御顔が怒りに染まっている!ああ、何という光景!だが誰も彼も、御方のお怒りにばかり気を取られている。そんなことは二の次だというのに。
2640. 私は御方のお怒りなど気にも留めぬ、ほんの一刻、一時のことなのだから。そしてほんの束の間の何かが生み出すものなど、やはり束の間のうちに消えゆくものだ。そんな些細なことよりも、私は御方の永遠の愛にこそ忠誠を誓っているのだ。かりそめの出来事なぞ、真っ二つに叩き割ってくれよう。 ー 私はアダムに跪拝することを拒否した。嫉妬ゆえに、と言うならば言え(コーラン2章34節、他)。嫉妬も御方への愛あればこそ、決して御方に背いたのではない。愛すればこそ妬みもする、他の誰かが愛する者を奪いはしないかと怖れもする。当然ではないか。愛が深ければ深いほど、嫉妬の炎も燃え盛る。くしゃみをすれば、『お大事に』と声をかけるだろう?それと同じようなものだ。
2645. 御方は私を相手にチェスをなさった ー 他ならぬ御方のチェス盤だ、勝負は既についていた。御方が私に命じたもうたのだ、『汝、相手をせよ』と。いったい、私に何が出来ただろうか?私は戯れのお相手を務め、望まれるがままに一手を進めたまで。私は私の使命を果たし、お怒りにわが身を投じたまで ー これほどの憂き目を見せられてさえも、私は御方の歓喜に震えて愛を味わった。見るがいい、わが主の御手により王手を詰まされたこの私を ー 主に王手を詰まされたのだ!主に王手を詰まされたのだ!主に王手を詰まされたのだ!おお、貴人どのよ、おまえに問う ー 六の方角から成る世界にあって、いったい誰がシャシュダラ(六の扉)の外へ出られるだろうか?
2650. 六のうちの一つが ー 全体のうちの一部が ー 逃げ仰せることなど出来ようか?しかもその一部を過ちへと追いやったのは、他ならぬ全体を司る全能の御方である時に!シャシュダラの内に閉ざされれば、誰であれ炎に焙られる。内に閉ざされた者を解き放てるのは、シャシュダラを創りたもう者のみ。実際のところ、信も不信も変わりがない。いずれもが御方の織りたもう一枚の布地であり、等しく御方の御手の裡に在るのだ」。これを聞いてアミール(ムアーウィヤ)は言った。「その話は真実には違いない。だが続きがあるだろう ー おまえが一役買っていることについての話はどうした?おまえは、私と道を同じくする何百、何千もの者たちの道を誤らせた。穴を掘り、宝物蔵へと忍び込んだ。おまえは炎であると同時に燃えさかる油、ありとあらゆるものを燃やす。燃やす以外には何ひとつすべを持たぬ。いったい、おまえの手がふれて、衣を引き裂かれずに済んだ者があったろうか?
2655. おお、炎よ。燃やすことこそがおまえの性(さが)である限り、おまえは何であれ燃やさずにはいられない。これは神がおまえの上に定めたもうたこと。御方はおまえを燃やす者とし、おまえを全ての盗人どもの長とした。おまえは神と語らい、かつ神と対面してじかにその御言葉を聞いた者。そのような者の策略の前に、私に何が出来るだろうか、おお、仇敵よ。おまえが蓄えた知識は、まるで鳥撃ちの笛の音。それはあたかも鳥の鳴き声のよう、だが鳥にとっては罠となる。数え切れぬほど多くの鳥たちが、(鳥撃ちの)笛の音に惑わされた。いずれの鳥も、仲間が来たと思い込み欺かれた。
2660. 空高く飛んでいるところに、響く笛の音を聞き、空から降りてきたところを捕えられたのだ。おまえの欺瞞ゆえにノアの民は悲嘆に沈められた(コーラン7章59-64節)。彼らの心は千々に乱れ、胸は引き裂かれた。おまえは、風がアードの民を滅ぼすがままに見捨て、彼らを苦悩と悲痛の中へと投げ込んだ(コーラン7章65節)。おまえのせいで、ロトの民は石もて打たれた。おまえのせいで、彼らは黒き雨の水に溺れたのだ(コーラン11章77-82節)。ニムロードの頭脳が砕かれたのも、おまえのせいではないか。おお、幾千もの混乱を招いた者よ!
2665. おまえのせいで、ファラオが、賢者が、学者が、盲目となり分別を失った。アブー・ラハブが価値無き者となったのもおまえのせいだ。おまえの手にかかれば、アブー・ハカムもアブー・ラハブになり果てよう。この(現世の)チェス盤の上で、おまえは思い起こすがために ー おまえ自身の伎倆を忘れぬために ー 幾千、幾万もの導師たちを王手詰めにしてのけた。おまえが仕掛ける難局ゆえに我らの心が焦げつくほどに、おまえの心もますます黒くなる。おまえは奸計の太洋のよう、我ら被創造物全てを合わせても一滴に過ぎぬのに。おまえはまるで山のよう、我ら被創造物全てを合わせても一粒に過ぎぬのに。
2670. おお、わが仇敵よ。誰がおまえの策略から逃げ仰せることができよう?我らは全て洪水に飲まれた者、神が護りたもう者を除いては。おまえのせいで、数多の希望の星が燃え、おまえのせいで、数多の武器と軍勢が塵となった」。「こじれにこじれたこの結び目を解け」、イブリースは彼に言った。「硬貨の真贋を分かつ、私は試金石なのだよ。神が私を、獅子と野良犬を分かつ試しとされたのだ。神が私を、本物の硬貨と贋金を分かつ試しとされたのだ。いったい私が、いつ贋金の顔を黒ずませたというのか?あれらの顔を黒ずませるのは私の仕事ではない。私は両替商なのだよ。私は、ただ価値を見積もっているに過ぎない。
2675. 善良な者に対しては、私は案内役を務めさえする。枯れた枝なら、迷わずへし折るがね。私はヒトの目の前に、様々に異なった餌を置く。何故か?そのケモノが、どの種類に属するのかを見極めるためさ。オオカミとガゼルが連れ立って、互いの間に仔を成したとしたら?オオカミなのかガゼルなのか、仔の本性は分からないだろう。草と骨とを、そいつの前に置くといい。どちらの方へ駆け寄ってくるのかを見るといい。骨なら、そいつはイヌの類いだ。草なら、確かにガゼルの類いだ。
2680. 怒りと慈しみが交われば、別の新たな何かが生じる。これら二つが契り合ったところに生じたのが、善と悪から成る世界だ。草と骨を与えよう ー 肉体のための糧と、精神のための糧を与えよう。肉体のための糧を求めるようなら、そやつには価値がない。精神のための糧を求めるようなら、そやつは見所のあるひとかどの者だ。肉体を使役に捧げるものはロバだが、精神の海に潜る者は真珠を見出すことだろう。この一対 ー 善と悪 ー は異なってはいるが、どちらもひとつの行為に繋がれている。
2685. 預言者たちは信仰を差し出す。神の敵は獣欲をかき立てる。善人が悪人になったなら、それは私のせいだと言うのか?まさか。私は神ではない。私が彼らを創造したわけではない ー 私は、少しばかり背中を押してやるだけの者に過ぎぬ。美しき者を醜くするなど、どうして私に出来ようか?私は創造の主ではない。美しき者、醜き者を映し出す鏡なのだ。インドの民は腹立ち紛れに鏡を火にくべて言う、『この鏡は、人の顔を殊更に黒く見せる』。御方が、私を密告者とされ、真実を告げる鏡とされたのだ。醜き者が何処にいるか、美しき者が何処にいるか、私がお伝え出来るように。
2690. 私は単なる証人なのだよ。監獄は、証人にふさわしい場所ではあるまい?私は監獄に入るには及ばない。私の潔白については、神が証人となりたもうだろう。果実を実らせる若木を見れば、私は乳母のごとく世話をする。だが枯れて乾いた木を見れば切り倒す。麝香と糞便は分かたねばならないからな。枯れ木が庭師に言う、『おお、若人よ。何故に、罪も無い私の首を刎ねるのか』。庭師は言う、『黙れ、この邪悪な者め。実りもなく枯れること自体、おまえは十分に罪深い』。
2695. 枯れ木はなおも言う、『私は真っすぐであり、ねじくれてもいない。何故に切るのか、私は罪など犯してはいない』。庭師は言う ー 『おまえが清められし者ならば潤っていたはずだろう、たとえねじ曲がっていたとしても。自らの裡に命の水を吸い上げ、また命の水の裡に、自らを沈めていただろう。おまえの種も、おまえの根も悪きもの。その上、おまえは良き木々とも共にあろうとはしなかった。たとえ酸い枝、苦い枝であっても、甘き枝と共にあったなら、その甘さが酸い枝の質に刻まれて、甘き枝になっていただろうに』」。
2700. アミール(ムアーウィヤ)が言った、「おお、この悪党め!私を議論に引きずり込むな。おまえには、私を籠絡することは出来ない。策を弄するような真似はするな。おまえは悪党であり、私は異郷の者、異郷の商人だ。おまえが持ち込む衣裳など、どうして私が買い取るだろう?おまのごとき不信の者が、私の財の周囲をうろつき回ることは許さぬ。おまえは、誰の財をも買い取る者ではないのだから。悪党は、誰からも何も買い取りはしない。上客と見えてもそれは見せかけに過ぎず、狡猾な手口に過ぎないのだ。嫉妬深きこの者、瓢箪の内に何を隠し持っているのか!おお、神よ、この敵から我らを助けたまえ!
2705. こやつがもう一言でも戯れ言を口にすれば、私の外套(信仰)が剥ぎ取られてしまう。おお、神よ。彼の語る言葉はまるで煙のようだ ー どうか私の手を引いてくれ、私を助けてくれ。さもなければ、私の衣が黒く煤けてしまう!私には、議論によってイブリースを打ち負かすことは出来ない!何故なら彼は、高貴な者であろうが下賎な者であろうが、それぞれの誘惑へとそれぞれを引きずり込むのだから。『もろもろの名まえを全て教えたもう(コーラン2章31節)』高貴な者アダムでさえ、この野良犬の、稲妻のごとき突然の一撃にはなすすべも無かった。アダムは楽園から地上へと真っ逆さまに突き落とされた。彼はスィマーク(星々)の高みから(イブリースの)網の中へと落ちたのだ - まるで魚のように。
2710. (彼は)嘆き悲しんだ、『私たちは、われとわが身を害しました(コーラン7章23節)』と。彼(悪魔)の狡猾と欺瞞には終わりが無い。彼の言葉の全てが悪意に満ち満ちている。胸の内には数え切れぬ蠱惑を隠し持っている。一瞬のうちに男を不能に陥れ、その上で、一瞬のうちに男と女の欲情に火を点してのける。おお、イブリースよ!ヒトを食いつくす者よ、破滅へと導く者よ。何のために私を起こしたのか、真実を告げよ!」。「百のしるしを示されようとも」、彼(イブリース)は言った、「ものごとを悪い方へ、悪い方へと疑う者は真実に耳を傾けようとはしない。
2715. 誰であれ、疑惑という名の妄想を繰り出す心を持つ者は、ほんの少しでも試されれば、たちまち妄想の深みに自ら嵌まるものだ。そこへ確かな真実の言葉が送り込まれると、そやつらは病に陥る。取り乱し、自ら偽る。聖なる兵士の剣が、盗人どもの道具に成り果てる ー 故に(おまえの)問いに対する答えは沈黙と休息、これに尽きよう。分別無き者と語り合うなど狂気の沙汰だ ー ああ、そう泣くな、喚くな。愚かなやつめ。神に仕えるこの私について、神に訴えてどうなるというのか?嘆くなら、悪意に満ちたおのれ自身の我欲をこそ嘆け。甘いハルワを貪り食ったのがおまえなら、吹き出物に覆われ、熱にうなされ、健康を損なうのもおまえ自身であるのは当然ではないか。
2720. おまえは、このイブリースを呪詛する。罪はこのイブリースにあると言う。その欺瞞に、何故おまえは気付かないのか。その欺瞞が、おまえ自身から生じていることに何故おまえは気付かないのか。過誤はこのイブリースから生じるのではない。おまえ自身から生じるのだ。おお、道を踏み外した者よ。肥えた羊の尾を無我夢中で追いかける狐のごとき者よ、愚か者よ。緑の平野に肥えた尾を見たなら、教えてやろう、それは罠だ。そんなことも知らないのか、無知なやつめ。肥えた尾へのおまえ自身の欲望が、おまえを知から遠ざけ、(理性の)目と知性とを塞いだのだ。『形あるものへの執着は、おまえの目と耳を塞ぐ。おまえを低きへと導くのは、おまえ自身の我欲である(預言者の伝承)』。 ー 誰のせいでもない。おまえ自身のせいだ。
2725. 私に罪をなすりつけるな。私を逆さまに見るな。悪意、貪欲、敵意とは、私は無縁の者なのだから。私はかつて悪しき振る舞いに及んだ。そして私は、そのことを今でも悔やみ続けている。わが夜が明け、昼へと変わることを待ち望み続けている。私は人類にとり疑わしき者と成り果てた。男も女も、おのれの邪悪な振る舞いを私に負わせようとする。孤立無援のオオカミが、実際には腹を空かせていようとも、たらふく食っているのだろうとヒトは邪推する。衰弱し、足許をふらつかせて歩こうものなら、ヒトは言い立てるのだ、『血脂を食い過ぎて、腹のこなれが悪いのだろう』と」。
2730. 「おまえに救いなどありはしない」、彼(ムアーウィヤ)は言った。「おまえを救うのはただ真実のみ。正義がおまえに告げている、真実を語れ、と。真実を語れ、こじれた結び目をほどくために、我が手から逃れるためにも。おまえが狡猾な手立てを用いようとも、私はおまえに戦いを挑み続けるだろう」。イブリースは言った。「おまえごときが、どのようにして真実と虚偽を見分けようというのか?虚妄に満ちた者よ、私について、何ひとつ知らぬまま愚にもつかぬ空想に耽っていたくせに」。彼は答えた。「預言者がお示し下さっている。贋金を見分け、善悪を見分ける試金石をお与え下さっている。預言者は告げた、『虚言は心に混乱をもたらし、真実は喜ばしき安寧をもたらす』と。
2735. 苦難にあるとき、嘘は心の慰めにはならない。水と油を混ぜたところで、明かりを点すことはできない。心の平安は、ただ誠実な言葉の裡にのみ見出される。真実こそが、心を捉える良き麦(餌)となる。病と嗜癖は分別を失わせる。病んだ味覚では、これとあれとの味の違いも判断できない。苦悩や苦痛が取り除かれれば、癒された心は、真実と虚偽の違いを見分けられるようになる。アダムの心から健やかさが失われてしまったときとは、彼の、麦に対する欲が増したときだった。
2740. それで彼は、おまえの嘘と誘惑に耳を貸してしまった。彼は騙され、命を奪う毒を飲んでしまった。そのとき、彼にはkazhdum(蠍)とgandum(麦)の違いが分からなくなっていた。識別の力が、虚しき欲望に酔った者から遠く飛び去ってしまったからだ。人々は強欲と貪欲とに酔い痴れている。それ故に、人々はおまえの欺瞞を受け入れてしまう。しかし誰であれ、自らの欲望から解き放たれた者であれば、自らの(精神の)目もて神秘を見、神秘と親しむものなのだ」。
人々がある者をカーディー(裁判官)に任じた。任じられて、彼はさめざめと泣いた。補佐の者が尋ねた、「おお、カーディーどの。何故に泣いていらっしゃるのですか。
2745. あなたにとり、今は嘆き悲しむべき時ではありません。慶び、祝辞を受けるべき時です」。「ああ」、彼は答えた。「洞察力無き者が、どうして判決を下せようか?何も知らぬ者が、何があったのかを知る当事者二人の間に放り込まれるのだ。彼ら二人は互いに敵対し合い、彼ら自身の身の上に起きたことをそれぞれ知悉している。彼らの争いについて、哀れなカーディーは何をどう知り得ようか。カーディーには、彼らの間に実際に何が起きたのかを知る由もなく、どのような状況にあるのかを知るすべもない。それでいて、どうして彼らの生命や財産に関わる判断を下すことができようか」。補佐の者は言った。「対立し合う当事者たちは、確かに事の次第を知ってはいるでしょう。しかし知っているからといって、彼らを信頼することは出来ません。
2750. 知るが故に、彼らの視野は狭まっているから ー あなたは事の次第をつぶさに知っているわけではありません。しかしあなたの役目は、神の光として世の中全体を照らし出すことです。先入観は判断を誤らせます。偏見は物事の見極めを損ねます。あなたにはそれが無い。先入観や偏見から自由であることが、ものを見る目にとり光となるのです。当事者は二人とも何があったのかを知っている。だがそれぞれの利己心ゆえに、ものごとが見えなくなっている。先入観が、彼らの知識を墓の下へと連れ去ってしまったのです。先入観を捨て去ることにより、愚者も賢者になる。偏見は知識を歪め、目的を見失わさせる。あなたが贈賄と無縁である限り、あなたの目が曇ることはないでしょう。あなたが強欲に囚われるなら、あなたはもの見ぬ奴隷となるでしょう」。 ー 私は、私の性質そのものを虚しい欲望から遠ざけた。美食を避け、それらを味わうことを避けた。
2755. すると私の、心の味覚が研ぎすまされた。磨き抜かれて輝く鏡のように、善きもの、悪きものの味を鋭く感知するようになった ー 真実と虚偽との、区別をつけられるようになったのだ。
ー 「おお、この詐欺師め。何故に私を起こしたのか?そもそも、おまえは覚醒の敵ではないか。おまえはまるで阿片のよう、あらゆる者を眠らせてしまう。おまえはまるで葡萄酒のよう、理解と知識を取り去ってしまう。さあ、おまえを追い詰めてやるぞ。今こそ真実を語れ!私は何が真実かを承知している、言い逃れできるなどとは思うな。たとえ相手が誰であろうと、私が求めるのはその者の真実の姿のみ、その者自身が持てるもののみ。
2760. 酢の裡に砂糖を求めもしなければ、小姓を兵士に仕立てようとも思わない。偶像を崇める異教の者のように、偶像に神を求めることも無ければ、偶像の裡に神のしるしを見出そうとも思わない。糞便に、麝香のごとく芳しくあれなどと言うつもりもない。川の流れの中に、乾いた煉瓦を探したりはしない。 ー 悪魔を相手に、善き意図もて私を起こすことなど期待したりはしない」。イブリースは欺瞞と虚偽に塗れた多くの言葉を語ったが、アミール(ムアーウィヤ)は耳を貸さず、抗い、不屈の精神をもって立ち向かった。
2765. とうとう、音を上げたのはイブリースの方であった。歯ぎしりしつつ、悪魔は呻いた。「ならば聞くがいい、貴様を起こしたわが意図を。高き位階にある預言者のひそみに習い、ムスリム達は共に集って礼拝する。貴様をその集いに間に合わせようと、私は貴様を起こしたのだ。もしも礼拝の時刻に間に合わなければ、この世は貴様にとり暗闇となったことだろう。一筋の光さえも見つけられなくなったことだろう。そうなれば貴様は失望し、悲嘆に暮れただろう。貴様の両の眼からは、革袋から水が溢れるように涙が流れ出しただろう。何故なら信仰の行為に歓喜を見出す者は、ほんのわずかな間でさえも、それを取り上げられることに耐えられないのだから。
2770. だがそのような深い失望、深い悲嘆は、価値の上では百の礼拝にまさるとも劣らない ー 悲嘆と共に生じる慎ましやかな嘆願が放つ輝きに比すれば、定められた礼拝が何ほどのものであろうか?」。
人々がモスクを立ち去ろうという時に、ある男がモスクへとやって来た。男は尋ねた、「皆いったいどうしたというのか。どうしてこんな早いうちに、モスクを立ち去って行くのだろう?」。誰かが答えた、「預言者はすでに集まった人々と一緒に祈り、礼拝も終えてしまわれたよ。預言者が祝福の言葉を言い終えてしまってからやってくるだなんて、おまえさんも相当な間抜けだなあ」。
2775. 「ああ、しまった!」、彼はそう叫び、大きなため息をひとつ吐き出した。熱く焦げるため息が、煙のように立ちのぼった。まるで、彼の心が流す血の香りを漂わせているとすら思えた。「あんた、そのため息を私にくれないか。替わりに私が済ませた礼拝を、残らず全部おまえさんにあげよう」、集まっていた人々の一人がそう言った。「それなら、ため息はあなたのもの、礼拝は私のものだ」、彼はそう答えて礼拝を受け取り、申し出た者は悲嘆と憧憬のこもるため息を受け取った。その夜、礼拝と引き換えにため息を受け取った者が眠っていると、どこからか『声』が響いた - 「汝は今日、生命の水と救済を購った。汝の選択を嘉し、全ての人々の祈りは受け入れられよう」。
2780. 「おお、高貴なるアミールよ。おまえに対しては、わが策略を明かさざるを得ない」。そう語り始めたのはアザズィール ー かつて天使であった頃のイブリース。「もしもおまえが礼拝の時を逃したなら、心痛のあまり嘆き悲しんだことだろう。後悔、悔悟、悲嘆に満ちた懇願のうめき声は、二百のズィクル(唱念)、二百の礼拝よりもなお価値高きものとなったことだろう。私は、おまえのそのような悲嘆が、形式という名のヴェイルを焼き払うことを恐れた。そのような悲嘆をおまえが手に入れることを恐れた ー 何としてでも阻まねばならぬと。それで私は、おまえを揺り起こし目覚めさせたのだ。
2785. 私は嫉妬深き者。嫉妬ゆえに、私はこのように振る舞った。私は敵なる者。偽り、悪を為すのがわが役目」。ムアーウィヤは答えた。「今こそ、真実を語ったな。おまえは正直なやつだ。奸計はおまえより生じたもの、そしてそれがおまえには相応しい。おまえは蜘蛛だ。そして蜘蛛の獲物は蠅だ。おお、不埒なやつめ。私は蠅ではない、おまえの獲物ではない。私は白き鷲だ、私を狩るのは王の中の王だ。どうして蜘蛛ごときが、私をその網へと捉えることなど出来ようか? ー 行け、行って蠅を捉えたいだけ捉えるがいい。
2790. だが蠅を網におびき寄せるにしても、せいぜい『doghを飲ませてやろう』と言う程度に留めておけ。もしもおまえが『蜜を飲ませてやろう』などと言えば、それは大仰に過ぎる嘘でありdugh(詐欺)というものだろう。おまえは私を目覚めさせた。しかし本当のところ、おまえは私を更なる眠りに引きずり込もうとしていたというわけだ。おまえは船を指し示した。しかし本当のところ、おまえが指し示していたのは渦潮であったというわけだ。 ー おまえは私に、ひとつの善を指し示した。しかし本当のところ、おまえは私の目を、それよりも更に大きな善から逸らさせようとしていたというわけだ」。