蛇を呑みかけた男と、馬上の賢者

『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

蛇を呑みかけた男と、馬上の賢者

眠れる男の口の中へ、一匹の蛇が忍び込もうというまさにその瞬間、馬上の賢者が通りかかった。馬上の賢者はそれを見て、蛇を追い払おうとしたが間に合わなかった。

1880. だが彼には、豊かな知識と知恵があった。彼は眠りこけている男を、棍棒で何度も強く叩いた。棍棒で強く打たれた男は目を覚まして飛びすさった。そして馬上の賢者を怖れて、大木の下へと逃げ込んだ。大木の下には、沢山のリンゴの実が(幹から)落ちて腐れていた。彼(賢者)は言った、「それを食え、苦痛に捉えられし者よ!」。彼は男の口に、後から後から、腐ったリンゴの実を詰め込んだ。食い切れなかったリンゴの実が、男の口からあふれて転がり落ちた。「お大臣さま、旦那さま、後生ですから見逃して下さい」、男は泣いて叫んだ。「一体、私が何をしたっていうんですか?

1885. それほどまでに許し難い落ち度が私にあるというのなら、いっそのことその剣を抜いて下さい。そして私の血を流し、ひと思いに殺して下さい。ああ、あなたに目をつけられたことが、私の運の尽きだった。ああ、いっそまみえることが無ければ幸福でいられたのに!罪も無ければ咎も無い。大層なことを仕出かしたわけでも無ければ、小さなことを成し遂げたわけでも無い。異教徒ですら、このような仕打ちを受ける謂れも法も無いものを。私の口から、言葉と血が混じり合って流れる、ああ、ああ、神よ!願わくは、彼に懲罰を与えたまえ!」。

1890. 次から次へと、男が新たな呪いの言葉を重ねる間にも、賢者は構わずに男を打ち据え、それから言った、「さあ、野原に向かって走れ」。棍棒は嵐のごとく、そして賢者は風のごとく(敏捷だった)!男は逃げ出すことも出来ずに、(今度は大木の下から)野原へと追い立てられた。彼は野原を走り、顔からつんのめるように転がった。腹一杯に食わされ、意識は朦朧とし、眠気と疲労が襲いかかる。足も頭も、無数の傷で覆われてしまった。男の胆汁が、吐き気を伴ってこみ上げてくるまで、賢者は男をあちこちへと小突きまわした。やがて夕暮れ時になり、とうとう男は食べたもの全てを、良し悪しの別無く吐き出した。吐瀉物にまみれた蛇が、のたうちながら男の目の前に吐き出されたのを見たとき、男は恩人である賢者の前に跪いた。

1895. 黒々として醜悪な大蛇の恐怖を、その目に見た瞬間、男から恐怖が立ち去ったのである。「本当に」、男は言った、「あなたは神の慈悲が遣わしたガブリエルだ。いや、あなたが神だ、命の恩人だ。あなたにまみえたことの何という幸運、何という光栄。死んだも同然の私に、新たな命をお与え下さった。あなたは私を見つけて下さった、まるで子を探す母のように。それなのに、私はまるでロバのように逃げ出してしまった。ロバは愚かさゆえに飼い主から逃げ出す、飼い主は優しさゆえにロバを追いかけて連れ戻す。

1900. 真の飼い主は損得の勘定無しに、野のオオカミや獣どもに八つ裂きにされぬようにと、その一心でロバをつなぐのだ。ああ、あなたに見出されたことの何という幸運、あなたという光が差し込むことの何という幸運。それなのに、称賛されるべき精神の持ち主に対して、私ときたら何という愚かな言葉をぶつけてしまったことか!お大臣さま、王さま、旦那さま、どうかどうか(無礼を)お咎めになりませんよう。私の本心じゃなかったんです。あれは私じゃない、私の愚かさが勝手に口走ったんです。ほんの少しでも事のあらましを知っていたら、私だってあんな馬鹿なことは言いませんよ。素晴らしいおひとよ、ちょっとだけでもいいから教えて下さってたら良かったんです。

1905. そうしたら私だって、うんと沢山の誉め言葉を口にしていましたよ!それなのにあなたときたら、何も言わずに私の頭を殴りつけるんですから。話がこじれたのは、あなたが沈黙していたからですよ。そのせいで頭がふらふらになって、知恵もすっぽ抜けて働かなくなってしまったんです。普通にしていたって足りてないんですから、そのくらいは当然でしょう - ああ、これはこれは失礼しました、見栄えのする旦那さま、すばらしい振る舞いの旦那さま。つい口がすべってしまった、興奮しているんです、仕方が無いことと見逃して下さいよ、聞き逃して下さいよ」。 - 「教えてやったところで」、賢者は答えた、「おまえの厚かましさ、図々しさという洪水が、教えを忘却の彼方へと押し流してしまったことだろう。

1910. もしも私が、おまえに蛇の一件を先に伝えていたら、おまえは恐怖に囚われ、全てを放棄してしまっていたことだろう」。 - かつてムスタファはこう言った、「もしも私があなた方に、あなた方自身の裡に潜む敵について詳しく教えてしまえば、どれほど勇敢な男でも到底耐え切れないだろう。自らの裡に潜む敵について正しく知ってしまえば、(恐怖のあまり)その胆嚢は破裂するだろう。道を歩むことすらおぼつかなくなるだろう、働くことすら投げ出すだろう。その心は、祈り続けることにも耐えられなくなるだろう。その体は、断食へ向かう強さも、礼拝へ立つ力も残されないだろう。ネコの前に投げ出されたネズミのように取り乱すことだろう。オオカミを目にした子羊のように取り乱すことだろう。

1915. 何ごとかを為そうという気力も、何ごとかを動かそうという体力も残らず消えてしまうだろう。だから私は何も言わない。言葉ではなく、ただ行為によってあなた方に示そう。私は沈黙しよう、ブー・バクル・ラバービーのように。私は鉄をたわめよう、ダビデのように(コーラン21章80節)。私の手は、不可能と思えたことをも可能とするだろう。小鳥は、引きちぎられた翼を取り戻すだろう。『神の御手は彼らの手の上に置かれる(コーラン48章10節)』と、書物に記された通り、<ひとつ>なる御方は我らの手を御方の手と定めたもう。

1920. ならば私の手は、腕は、きっと七層の天にも届くほどに長かろう。いかに我が手が優れているか、かつて私は空に示した。おお、コーランを教える者よ、詠め、『月は裂けた(コーラン54章1節)』。私は沈黙する。何故なら(ヒトの)理解力はあまりにも脆弱だ。弱き者に、どうして神の全能について理解させられるだろうか?眠りから目覚めて頭を上げる時は必ず訪れる。その時こそ、きっとあなた方にも分かるだろう」。さて、これで私の話はおしまいだ。そして何が正しいかは神が最も良くご存知である。 - 「もしも私が蛇について、おまえに話してしまっていたら、おまえは食べることはおろか、吐き出すことも出来なかっただろう。(吐き出すという手段について)思いつきもしなかっただろう。私はおまえに災難が降り掛かっているのを知り、私がすべき仕事を為したのである。私は無言のまま繰り返し祈った、『神よ、わが為すべき仕事を容易にしたまえ!』と。

1925. 私には、おまえに理由を告げることは許されてはいなかった。そして私には、おまえを見捨てることも許されてはいなかった。私の心は悲しみで一杯になった、私は祈らずにはいられなかった、『わが民を導きたまえ!本当に、彼らは何も知らないのです』、と」。これを聞いて、災難から救い出された男はやっと全てを飲み込んだ。そして倒れ込むように跪き、言った、「ああ、私の幸福の使者よ、私の恩人よ、私の導師よ。あなたの上に、神の報奨がありますように!私のごとき弱い者には、あなたに感謝する術を持ちません。神があなたに感謝を示すことでしょう、私の導師よ。私は、あなたに感謝の言葉を伝える唇も顎も、声も持たぬ者なのです」。

1930.  - 賢者による、「知恵が示す敵意」とはおよそこのようなものである。彼らの使う毒は、魂に歓喜をもたらすものである。だが「無知より生ずる友誼」は、悲嘆と破滅をもたらすものだ。次はこれについての寓話を語るとしよう。