コーランより
善と悪は、同じではない。よって、いっそうよきものでお返しするがよい。汝(なんじ)とのあいだに敵意をいだく者とも、やがて親しい友人となるだろう。(41章34節)
慈悲ぶかいお方の僕(しもべ)とは、もの静かに大地を歩み、無知な者に話しかけられても、「平安あれ」と言う者。(25章63節)
伝承より
預言者は言われた。「わたしは、あなた方の人格のうち高潔さを完成させるために遣わされたのです」。
預言者は言われた。「太陽が氷を溶かすように、善良な人格は罪を溶かしさります。そして悪しき人格は、まるではちみつに混じった酢のようにおこないを無益にしてしまいます」。
ある人が預言者のもとへ来てこう言った。「おお、神の預言者よ。もっとも優れた信仰を持つのはどのようなひとでしょうか?」。彼はこうお答えになった。「もっとも優れた人格を持つひとです」。
イマーム・アリーは言われた。「陽気であること、楽天的であることが愛の基本であり、過ちを葬りさる寛容さの基本であり、至らぬところには目をつむって不和を解消するための基本である。そしてそのためには、自らの善良な人格以上に優れた親類縁者はいない」。
作者のひとこと
無礼なひとに出くわしたとき、ぼくはいつもこの物語を思い出す。イマームの取ったアプローチはうつくしい。イマームは反論して状況をさらにわるくするよりも、むしろ他人の中にある善良さにのぞみをかけた。そうすることで神への服従心を示し、神のゆるしを信じることをあらわす機会にしたのだ。
訳者のひとこと
BAQIR=ムハンマド・バーキルさん。ひとつ前のお話「あやまちの正当化」に登場していたイマーム・ジャアファルの息子さんです。
バーキルさんが人格者であるのは大前提としても、バーキルさんにつっかかってきたこのひともこのひとでいいひとだと思いました。いったん口にしてしまったことを引込めたり、「ごめんなさい」ってしたりするのは実はなかなかできることではないものね。「いつもいつでもうまくゆくなんて保証はどこにもないけど」、それでも100回に1回でもこんなふうになれるなら、後の99回はわりとどうでもいいかもしれません。