十. シェイフ・ムフイッディーン・イブン=アラビーに関する論争

『真理の天秤』
著 キャーティプ・チェレビー
訳と解説 G. L. ルイス

 

十. シェイフ・ムフイッディーン・イブン=アラビーに関する論争

1. 彼の生涯
名はムフイッディーン・イブン・ムハンマド・イブン・アリー・ムハンマド・アラビー・アル=ターイー・アル=ハーティミー、スペインはムルシア生まれのマーリキー学派の徒である。彼は五六〇年ラマダン月第二十七日(1165年8月7日)、スペインの地中海岸の町ムルシアでこの世に生まれ、六三八/九年ラビーウ月第二十二日(1240年11月9日)、ダマスカスのサーリヒーヤ地区でこの世を去った。七十八歳であった。彼は学問を得るために西方を放浪し、理性と理解の力を磨いた。彼は精神の道に従い、精神の努力を重ねることで最も高い階梯に達した。その後に、彼はヒジャーズへやって来た。聖都での長い滞在の後に、彼はシリアへ行き、この世を去るまでその地に留まった。多くの著作と神通力により生涯に渡ってその名は知れ渡り、「最高のシェイフ」と呼ばれて名声を博した。彼は約およそ六百冊の本と小論を書いた。彼に存在の絶対的一性理論を選び取らせたのは、彼自身の洞察力であった。FususFutuhat といった著書において、彼はその理論に特有の用語をもって神秘的体験を記述している。アルファベット文字の秘教的科学については Jafr kabirMiftah al-jafr を執筆し、これによって彼は当代きっての並ぶ者なき人物となった。コンヤのサドルッディーン1のような、偉大なシェイフたちが彼を訪れてその足許に座した。彼はほとんどの作品において、神性の厳しい面よりも穏やかな面を強調した。そしてそのことがかつてなかった大論争を巻き起こし、そして一般の人々の意見も様々に割れた。

2. 彼に賛同しない人々。
彼の死後、浄化を是とする徒の一部と思弁を是とする徒の大部分が、存在の絶対的一性理論に基づき、浄化の理論における語彙を用いて執筆された彼の著作を、思弁の徒の視点から検分してこれを拒絶した。この拒絶の反応は極めて不当であるが、思弁の教義にはそれが適っていると考えられたのである。

一部の者はこれらを明確に論破することなく、単に受け入れを拒否するに留まった。その他の者は受け入れの拒否を、反証と風刺の文章を書き、シェイフに異教徒の烙印を押すといった極端なふるまいに発展させた。狂信者たちの一部は彼の「最高のシェイフ」の名称を、「最低のシェイフ」などと歪めるまでに過激化したほどである。しかし既に述べてきたように、この議論も諍いも不安定な土台の上に載せてあったので、彼らの野蛮に過ぎる攻撃も異端宣告も、扉のきしみや蠅の羽音ほどにも重みのないもののように思われた。公正な人々は、注意も払わず耳も傾けなかった。だが一部の、自分の右手と左手の区別もつかないような愚か者たちが喧騒に吸い寄せられ、悪しき判断に引きずられ、重大な罪に落ちていった。「最初に始めた者こそが最大の責任を負う」という格言があるが、彼らを煽動した者たちは何の痛みも感じておらず、更に重大な罪についても全く見えていなかった。罪を招くこともせず、むしろおそらくは益を得た人々というのは、自らの信条が命じる規律に基づいて反対した人々である。こうした人々は彼の意見を認めることをただ穏やかに拒絶し、そうすることで自らの従う学派に対する義務を果たしたのだった。

3. 彼に賛同する人々。
シェイフの理論の起源と原理を理解したか、あるいは彼の外面的な状態から正しい判断をした浄化を是とする徒の大部分と、思弁を是とする徒の一部は、決して彼を拒絶せず、彼の言葉をすべて受け入れた。ある者などは、「彼こそは聖者の封印であり、ムハンマドのカリフ位の後継者だ」とまで発言した。彼らは、彼を非難したり中傷したりした人々に対する反証を書き、彼らを愚か者であるとして知らしめた。

いずれの党派もやり過ぎるか、あるいはやらな過ぎるかのどちらかに囚われていたが、しかし後世になるとほとんどのスーフィーのシェイフたちは、存在の一性に関する問題について彼の論に従うようになった。傑出した真実の探求者メヴラーナ・ジャーミー2は、思弁と浄化の方法論を融合させた人々の一人であるが、彼は解説を書き、この問題について詳細を明らかにした。望む者はこれを学ばれたい。

4. 彼について判断を保留する人々。
どちらの党派の人々をも含む、あるひとつの党派がある。シェイフについての判断を保留し、彼の著作にも目を通していない人々である。彼らは拒否にも承認にも傾かず、口論の落し穴にはまるよりも、外側の安全なところで中立を守るのが最上である、と言った。彼らは正しくふるまい、害に苦しまずに済んだ。この見解は本質的には、コンヤのサドルッディーンの著書 Wasiyetname を暗示するものである。彼が書いた訓示には、以下の言葉が含まれている。「この先、皆が皆シェイフの著作や私のそれから学ぼうとする、などということのないように。何故なら大多数の者に対しては、その門は閉ざされているのだから」。

そのようなわけで、真理の後に続く探求者たちにとり最も優れた道とは、理性的であること、またシェイフの言葉の深遠さが理解の範疇を超えているようなら、それを話題にしてべらべらとしゃべったりしないことである。そうすることで疑念や不確実性、派閥に巻き込まれるといった深い陥穽に落ちることのないよう、自らの身を守るべきである。シェイフについては、熟考することが最上である。それをしないのであれば、シェイフを悪く考えるべきではない。これが大多数の信仰者の、本来あるべき態度である。神が彼らを、熟考において助けたまいますように。

 


1. サドルッディーン、コンヤ出身(1273没)。イブン・アラビーの娘婿であり、かつ弟子でもあった。

2. ジャーミーについてはアーベリー著 Sufism 参照。