試訳:「イエスの母マリヤ」


Classical Islam: A Sourcebook of Religious Literature
コーラン、ハディース、預言者伝、コーラン解釈に教義解釈、神秘主義といったテーマ別に、古典と呼ばれるイスラム原典文書群をきれい&ていねいにまとめたタイトル通りの御本です。とても便利だし、それにこの宗教の成り立ち・生い立ちをともかく「おおづかみ」につかむのには最適であるかと。

以下は「形成と蒐集の歴史」と題された第一部の”4 Religious history”から、”4.1 Al-Tarafi on Mary, the mother of Jesus”を。

 


解説
預言者達の物語については、ムスリム古典世界において多種多様のヴァージョンが入手可能である。しかし、全ては基本的に同じ目的に奉仕するためにある。それらはコーランだけでは十全に描写されていない物語の、間隙を満たすために用意されたものである。こうした物語のおかげで、ムスリムたちは聖書を参照したり、ユダヤ教徒やキリスト教徒に物語の説明を求める必要がない。アル・タラフィーが提供するのも、そうした文脈上にある物語である。

アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・アフマド・イブン・ムッタリフ・アル・タラフィーは、997年、コルドバに生まれた。宗教学者であったことと、コーランの異本・変形本の研究に勤しみ、それについて二冊の著作を書いたということ以外に、彼の生涯について知られている事実は少ない。彼と同時代の人々の間では、彼は著名であった。

アル・タラフィーによるマリヤとイエスへの言及については、以下の通りアル・タバリー、アル・サーラビー、アル・キサーイーらによるものと比較検討の余地があるだろう。いずれも翻訳での入手が可能である。

Arais al-majalis fi qisas al-anbiya, al-Thalabi, Cairo n.d., pp. 342–4.
‘A prophet story,’ in his A reader on Islam, Arthur Jeffery(trans.) S-Gravenhage 1962, pp. 560–9.
Tarikh al-rusul wa l-muluk, al-Tabari, ed. M. J. de Goeje, Leiden 1879–1901, vol.1, pp. 723–8.
The history of al-Tabari Moshe Perlmann (trans.), volume IV, Albany NY 1987, pp. 112–16.
Qisas al-anbiya, al-Kisai, ed. I. Eisenberg, Leiden 1922–3, pp. 301–4.
The tales of the prophets of al-Kisa’I, W. M. Thackston Jr. (trans.), Boston 1978, pp. 326–30.

アル・タラフィーの語り口は、一貫して訓詁学的である。彼はしばしば彼自身の語りを中断し、その合間にコーランを始めとする宗教的テキストをふんだんに挿入する。マリヤとイエスについては、コーランでも広範囲に渡る記述がある(第1部1.6を参照。その他、コーラン3章など)。このような中断・分断が、語り手の趣旨が物語そのものにあるのではないということを示している。書物全体に通ずることであるが、これは預言者達についての歴史的資料ではない。聖典解釈学の有用性を再確認するために構築されたテキストなのである。

最初に、コーランにその名が言及される預言者たち二十四名についての記述がある。次いで、古典に登場する七聖人について触れている。特記すべきは、イスナードという形式についてほとんど注意らしい注意が払われていないという点である。例えば、ある語りの帰属についても、「一部の解釈学者による」といった記述で十分であると考えていたように思われる。

 


「イエス誕生の物語」
一.天使達は「おおマリヤよ、神は汝を選び給うた」と言った。そして「汝を選び、汝を浄めた」。全女性に自然の性質として備わった月経と傷から解放され、全世界の女性の中から彼女が選ばれた(コーラン3章42節)のは、イエス誕生のためである。世界中に、彼女以外に誰一人としてイエスのような人を身ごもりはしていない。

二.全世界の女性の中から、彼女の時代において神が彼女を選んだのは、彼女の敬神の深さによるものだと云われる。

三.神の使徒は、最も素晴らしい女性とはイムラーンの娘マリヤであり、もう一人はフワイリドの娘ハディージャであり、彼女達は最も優れた楽園の女性達であると言った、と云われる。また、彼はアナス・イブン・マーリクに世界で最も優れた女性は四人いると言ったとも伝えられ、彼はイムラーンの娘マリヤ、ムザーヒムの娘アーシア(ファラオの妻)、フワイリドの娘ハディージャ、そしてムハンマドの娘ファーティマの名を挙げたとされる。

四.それから神は彼女に語りかけた。「おお、マリヤよ。神に専心し、平伏し、こうべを垂れる人々と共にこうべを垂れなさい(コーラン3章43節)」。足が腫れあがっても、彼女はひたすら礼拝に専念した。長時間立ち続けていたため、彼女の足からは膿が流れ出し始めるほどだった。神がイエスの誕生についてマリアに告げようとしたとき、彼女が親族から離れ、一人で太陽の沈まぬ東の地に居るのを見出した。これは神がその書物において、「彼女が家族から離れて東の場に引きこもった時(コーラン19章16節)」と語った通りである。

五.イブン・アッバースはしばしば、キリスト教徒達がなぜ東をキブラとしたのかについて自分は最も良く知っている、と語ったものだった。すなわち「彼女が家族から離れて東の場に引きこもった時(コーラン19章16節)」という神の言葉に従い、彼らはイエスの誕生した土地を彼らのキブラとしたということである。マリヤが太陽の昇る方向へ行ったのは、彼らにとって東と西では東に近い方が西に近いよりもなお善いと考えられたためであるという。

六.「彼女は、彼らから身をさえぎる幕を垂れた(コーラン19章17節)」が、幕とは椰子の葉を指す。椰子の葉の影は、彼女を太陽の熱から守った。それから、「その時われはわが精霊ガブリエルをつかわした。彼はひとりの立派な人の姿で彼女の前に現れた(コーラン19章17節)」。

それは彼女が彼女自身の月経から身を浄めた後の出来事である。彼女は、ひとりの完璧な男性が彼女と場所を同じくしているのを見た。「彼女は言った、『あなたからお守りくださいますよう神に祈ります。私に触れないで下さい、あなたが神を畏れるならば!』(コーラン19章18節)」。神を畏れる者ならば、神の禁じられたことを畏れて罪を犯すことを避ける。この時、彼女は彼が人間の男性であると思い込んでいた。そこでガブリエルは彼女に言った、「『私は、あなたの主からの使者にすぎません。主はあなたに清純な男の子を授けるでしょう』(コーラン19章19節)」。神が新しく創造し給うというのである。

マリヤは彼に言った、「『一体どうして、私が子を持つなど起こり得るでしょう?』(コーラン19章19節)」。夫を持ち、その上で子に恵まれるのが人間同士の法的な婚姻である。「『未だかつて、誰一人として私に触れたことなどありません』(コーラン19章19節)」。「『また私は、不貞でもありませんでした』(コーラン19章19節)」。密通者が違法な関係を持ち、身ごもることは起こり得るだろう。だがマリヤは不貞ではなかった。

ガブリエルは、その通りだと答えた。あなたの主にとって、「それはわれにとって容易なことである(コーラン19章21節)」。神にとり、彼(子)を創造し、男性抜きにマリヤを身ごもらせることは決して難しいことではない。「われらは彼を人々への印とする(コーラン19章21節)」。彼は神の創造の象徴であり証明そのものであり、またあなた(マリヤ)と彼(イエス)を信じ、彼を身ごもったことの真実について宣言する人々への「われからの慈悲とする(コーラン19章21節)」。それこそが、「神の命ずるところである(コーラン19章21節)」。これが神の定め給うたところである。事前に全てをご存知であり、全てをご判断される。

神は彼女の胎内に霊の息を吹き込み給うた。すると彼女は、イエスを身ごもった。あるいはまた、ガブリエルが彼女の着ていた外套を開き、彼女の子宮に息を吹き込んだとも伝えられている。その後、彼(ガブリエル)は彼女の許から離れた。

七.アル・スッディーの伝えるところによれば、マリヤは長いローブを着ていた。そこでガブリエルが彼女の袖を取って彼女を連れて行き、ローブを開いて胸に息を吹きかけた。そのようにして、彼女は身ごもった。

彼女の姉妹(ザカリヤの妻)が、彼女のところへ一晩を過ごしに訪れた。扉を開けると、彼女は彼女(マリヤ)にしっかりと抱きついた。ザカリヤの妻は言った、「おお、マリヤよ。私は身ごもりました」。するとマリヤも答えた、「実は、私も身ごもったのです!」。ザカリヤの妻は言った、「私のおなかにいる赤ん坊が、あなたのおなかにいる赤ん坊にお辞儀をしているのが分かります」。これこそ(ザカリヤの妻が身ごもった子について)神の告げ給うたところ、「その子は神の御言葉の実証者となるだろう、高貴、純潔な者となるだろう(コーラン3章39節)」の意味するところである。

八.数人の解釈学者は、マリヤがヨセフという名の甥と共に寺院(ミフラーブ)にいたと語っている。彼は彼女に仕えており、彼女とはヴェイル越しに話しをしたものだった。彼女の妊娠について、最初に知ったのは彼だった。

彼女の妊娠は彼の心をかき乱した。この出来事がどのように起こったのかについて、彼は理解していなかったのである。彼にとり彼女の状態は妨げとなった。彼の気は散り、他の何ごとも手につかなくなった。

彼は敬神の念あつい賢い人だった。彼が彼女とひとつところにいるときは、マリヤは常に彼女の身体にヴェイルを引きかぶっていた。蓄えておいた汲み水が残り少なくなれば、彼ら二人はめいめい自分の器を持って一緒に洞穴へ行き、それぞれの器を満たし、それからまた一緒に帰ってきた。以前にも、天使達がマリヤの許へやってきて、神が彼女を選んだこと、彼女を浄めたことを告げるのを彼は見聞きしていた。自分が耳にしたものについて、彼は驚いたものだった。

彼女の妊娠が彼の目にも明らかになったときも、彼はかつて神が彼女に授け給うた美点についてよく憶えていた。そのために、ザカリヤは彼女を寺院に匿ったのだから。悪魔が彼女につけいる隙など何もなかった。それでも、彼の心は不安でいっぱいになった。彼女の下腹が大きくなってゆく間も、彼は彼女と彼の間柄について考え続けていた。彼は罪が犯されることを畏れた。そこである日、彼は彼女に向かって言った、「マリヤよ。種なしに、育つ植物があるだろうか?」。

彼女は答えた、「ええ」。彼は言った、「では雨の降り注ぐことなしに、育つ木があるだろうか?」。彼女は答えた、「もちろん」。ヨセフはさらに続けて言った、「男が関わることなしに、生まれる子があるだろうか?」。「はい」と彼女は言った、「あなたはあの日、神が種なしに育つ植物をお創りになったことをご存知ないのですね。あなたはあの日、神が雨の降り注ぐことなしに育つ木をお創りになったことをご存じないのですね。神は雨と木を別々に創り給い、それから雨に、その生を木に捧げるようお命じになったのです。それともあなたは、神が木をお育てになるのに水の助けがないと不可能だとお考えですか?もしも水がなければ、神は木をお育てになれないとお考えですか?」。

「いいえ、そんなことは言っていません。私は、神がお望みであれば何ごとであれ為し遂げられるということを知っています。神がただ一言『在れ!』とお命じになれば、たちまちそれは在るのです」。そこでマリヤは彼に言った、「あなたは、神がアダムとイブを男も女もなしにお創りになったことをご存知ないのですね」。「いやいや、もちろん知っている」とヨセフは答えた。彼女が彼にそう尋ねたので、彼はようやく彼女の身ごもった子が神からの授かりものであることを理解した。そしてこの出来事について、自分が彼女を問い詰めるのは不当であることを知った。それはまた、彼女がこの状況を隠そうとしていることの意味を理解した瞬間でもあった。

九.彼女の陣痛が激しくなったとき、彼女は「寺院を離れなさい」という声に呼ばれた。そこで彼女は、神聖な館を出て遠くへと去った。彼女が歩く間にも、陣痛が絶え間なく彼女を訪れた。そこで彼女は、椰子の木の周囲に作られたロバのまぐさ桶の中へ逃げ込んだ。彼女はまぐさ桶のひとつを抱きしめた。天使達が彼女を取り囲んだ。高いところからも、低いところからも彼女を包み込んだ。

彼女は言った、「『こんなことになる前に、私は死んでしまうことを願っていたのに』(コーラン19章23節)」。生きながらえたおかげで、今日こうして人々の目の前に恥をさらすことになるとは、と彼女は思った。「『そして忘れ去られてしまえばと思っていたのに』(コーラン19章23節)」。塵か何かのように、思い出す価値もないほどのものとなって、忘却の彼方に置き去りにされたいと願っていたのである。

それを聞いて、ガブリエルが大声で彼女を呼んだ、「いいえ、どうか悲しまないで下さい」、彼は彼女よりも低いところにいた。「『あなたの主は、あなたの足許に流れる水を創り給いました』(コーラン19章24節)」。流れる水、すなわち小川である。彼女はとてものどが渇いていた。それで水が地から湧き出て小川となり、彼女の方へと流れたのである。すると今度は、時代を経た椰子の、葉も何もかも落ち切って乾いた木の株になっていたものがみるみる実を結び始めた。それはたちまち「新鮮な熟した果実(コーラン19章25節)」となった。汁気が多い、みずみずしいなつめやしの実だった。再びガブリエルが言った、「『なつめやしの幹を、あなたの方へ揺らしなさい。新鮮な熟した果実が落ちてくるだろう。椰子の木から食べ、小川から飲みなさい。それをなぐさめとしなさい』(コーラン19章26節)」。

彼女は言った、「誰かが私に『それらは一体どこから来たのか』と尋ねたら、私は何と答えれば良いのでしょう」。何と答えれば良いか、ガブリエルは彼女に言った、「『私は慈悲深い御方に斎戒を誓いました。それで今日は、どなたとも話はしません』(コーラン19章26節)」。つまり、誰に対してもイエスについては沈黙を守れということである。

十.寺院にマリヤの姿が無いことを知った人々は、彼女を探して外に出た。彼らは椰子の木の上でカササギが鳴くのを聞いた。その椰子の木の下に、マリヤはいた。カササギの声のする方へやってくる身内の人々を見て、マリヤは彼女の子を抱いて彼らの前に進み出た。「子を抱いて自分の人々の元に帰って来た(コーラン19章27節)」という神の御言葉の通りである。

彼女は彼らに対して、何の疑いも持っていなかった。彼女の甥達のうち、彼女が名指しで呼んだ者が彼女の許へやって来た。人々は彼にこう言った、「マリヤが身ごもったのは姦通の罪を犯したからだ!彼女は王に殺されるよ!」。そこで彼は彼女の許へ行き、彼女を連れ出して一緒に逃げようとした。遠く離れたところで、彼は彼女を殺すつもりでいたのだ。しかしガブリエルが彼に、その子が神聖な吐息によって生まれたことを告げたため、彼は殺すのをためらい、彼女の館にそのままとどまることにした。

十一.彼ら身内の人々が彼女を目にした時、彼女の父イムラーンは自分の外套を引き裂いて、自分の頭に塵を浴びせかけた。彼らは彼女に言った、「『マリヤよ、あなたはとんでもないことを仕出かした』コーラン19章27節」。つまり、普通ではないことをしたために、大変な出来事を引き起こしたと言うのだった。

それから彼らは、彼女を「『アーロンの姉妹』(コーラン19章28節)」とも呼んだ。マリヤと引き合いに出されたアーロンは、正しい人として知られていた。人々は、あらゆる正しい行いをする者を「アーロン」と呼んだほどである。アーロンについて、ある解釈者の著作では、四万人の男がアーロンの葬列に加わったが、全員がアーロンという名の持ち主であったと記されている。

マリヤの家族は彼女に言った、「私達はあなたをアーロンと同じく正しい人とみなしていたのに。「『あなたの父は悪人ではなかったのに、あなたの母も不貞の女ではなかったのに』(コーラン19章28節)」。イムラーンもその妻も、責められるべき密通者などではなかった。あなたの両親は正しい人であり、あなたの親族も正しい人ばかりだ。何よりもあなた自身が、アーロンのような熱心さで正しさを求め、正しさを欲していたではないか。それなのに、一体なぜこのようなひどい出来事が起きたのだろうか?」。

十二.彼らの非難はますます強くなるばかりだった。彼女は耐えていたが、やがて力も尽きてきた。「それで彼女は彼を指差した(コーラン19章29節)」。それ以上を知りたければ、イエスと話すよう彼女は彼らに示したのだった。そこで彼らは彼女に言った、「『どのようにすれば、ゆりかごの赤ん坊と話すことが出来るというのか』(コーラン19章29節)」。

これ以前に、人々はイエスについて何ひとつ知らなかった。ゆりかごの赤ん坊は、しゃべることが出来る年齢に達してはいなかった。彼らはマリアが、彼らを愚弄しあざ笑っているのだと思った。それは彼らをひどく怒らせた。「赤ん坊と話せ、とはどういうつもりだ。おまえは私達をからかっているのだろう。そんなふうにごまかせばごまかすほど、おまえの密通の罪が大きくなるばかりだぞ!」。

その瞬間、ゆりかごのイエスが、自分の左側の方へ身を乗り出し人差し指を立てた。それから彼の母について話し、彼について話した。「そのとき彼は言った、『御覧なさい。私は神のしもべです。神は私に書物を与え、私を預言者とされました。私がどこにいようとも、神は私を祝福し給います』(コーラン19章30-31節)」。彼が母の胎内にいたとき、神はすでに全てを命じておられたことを、イエスはこのようにして人々に知らせたのである。

 


参考文献
Gender and prophetic authority in the Quranic story of Maryam: a literary approach, Loren D. Lybarger, Journal of Religion, 80 (2000), pp. 240–70.

Chosen of all women: Mary and Fatima in Quranic exegesis, Jane Dammen McAuliffe, Islamochristiana, 7 (1981)

The Virgin Mary in Islamic tradition and commentary, Jane I. Smith, Yvonne Y. Haddad, The Muslim world, 79 (1989).

Women in the Quran, traditions, and interpretation, Barbara Freyer Stowasser, New York 1994.

 


コーラン引用:「コーラン」I・II 藤本勝次、伴康哉、池田修 中公クラシックス