『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
葦笛の歌 1
葦笛を聴け、それが奏でる物語を、
別離を悲しむその音色を。
葦笛は語る、
–– 慣れ親しんだ葦の茂みより刈り取られてのち、
私の悲嘆の調べには、男も女も涙する。
別離の悲しみに私の胸は引き裂かれ、
愛を求めて、痛みは隠しようもなくこぼれ落ちる。
誰であれ遠く切り離された者は切実に願う、
かつてひとつであった頃に戻りたいと。
どこにいようとも私は嘆き悲しみの調べを奏でる、
不幸を背負う者たちの、私は友となり慰める。2
それぞれの思いを胸に、誰もが私の友となるが、
私が胸に秘める思いにまでは、思いいたる者などいない。
私の音色は私の嘆き、胸に秘めるこの思い、
だが耳も眼も塞がれた者に、光が届くはずもない。
魂は肉体の覆いなどでは断じてない、
また肉体も、魂の錘などでは断じてないのだが。
それでも、未だ誰ひとりとしていないのだ、
魂をかいま見ることを許された者など。 ––
葦笛の調べは燃え盛る炎、それはそよ風などではない。
この炎を胸に持たぬ者など、一体何ほどの者であろうか!
これこそは愛の炎、これこそが葦笛の愛。
これこそは愛の熱、それは葡萄酒にも見出せよう。
誰であれ別離を嘆く者の、葦笛は無二の友となる、
葦笛に課された嘆きの深さが、我らの心の眼を開く。
葦笛を聴け、それが奏でる物語を、
別離を悲しむその音色を。
1. 『精神的マスナヴィー』1-1. この後に続く何万行にも及ぶ厖大な詩群の中で繰り返される基調音が力強く響く導入である。ペルシアの楽器である葦笛(ネイ、ナイ)は、音楽と舞踏に特徴付けられたメヴレヴィー教団においては常に神への奉仕と密接な関係にある。ルーミーは、葦笛を自己を消滅せしめ神的想念によって満たされた魂の象徴とする。祝福されたる魂は、かつて神との終わりなき合一の幸福のうちにあったことを記憶している。地上において、この魂は追放者のごとくである。そして生の続く限り、見知らぬ世界をさまよいながらも同じ記憶を持つ魂、神との愛に満ちた合一を知る魂を探し求めてやまない。
2. それぞれの魂はそれぞれの友を持つ。神秘道を行く者を理解し得るのは、同じく神秘道を行く者以外にない。
邦訳者註:『精神的マスナヴィー』の、あまりにも有名な冒頭部分。各国語では多くのバリエーションを見ることができるが、日本語ではなかなか見つからない。下記は井筒俊彦氏の部分訳。『井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録』より引用。
聞け 嫋々たるこの葦笛の語る言葉を
葦笛はしめやかに別れの愁いを語る根を切られ、故郷の川辺に別れを告げてきて以来
啜り泣く私の音色に、そも幾人の男、幾人の女が涙に咽んだことかああ 独り寝のやるせなさに
その胸を千々に裂かれた人に逢いたい私の胸に燃える恋慕をその人に
せめて語って聞かしょうものを