ジャーミイの擬宝珠(ぎぼし)

ジャーミイの擬宝珠(ぎぼし)

camii027

上の写真は東京ジャーミイの正面ホール壁を飾るタイルです。cintamaniもしくはcintaamaniと呼ばれるトルコの伝統的図案のひとつで、この意匠は、

cintamani00
参考その1:比較的新しいもの
cintamani01
参考その2:時代のかかったもの

検索すると色々なバリエーションを見ることができてとても楽しい。権力や富を象徴する意匠、とされているのだそうで、陶器以外にも絨毯やカフタンなどにも使われたりします。

cintamani02
これはチューリップと組み合わせてある?
cintamani03
これも植物文様と組み合わせてあるぽい

トルコの伝統的図柄、とはいうもののルーツを辿ればもともとヒンドゥスタンすなわちインドからトルコにもたらされたもので、仏教もしくはブッダを象徴する図柄でもあります。そうは言っても実際に現代のトルコにおいて、この図案を見て仏教を即座に思い浮かべるトルコ人がどれほどいるのかはよくわかりません。

ただ、例えば日本の「唐草模様」などもそうですが、もとを辿れば海の向こう、あるいは山の向こう、はるか遠くからやって来たエキゾチックな意匠ではあるけれども、ふだんはそれが外来のものであるなどとは意識していない、という感じで捉えられているのかなあなどとも想像します。

それでもこの意匠が何か「よいもの」を象徴していることには変わりがないわけで。それがわるいものでもよいものでも、わくわくしたりどきどきしたりするものは、いつでもどこでもどこかしらないとおくからやってくる、と思うこの感覚は、人類共通の「くせ」みたいなものかも知れません。

「チンタマーニ」と発語されるようですが、梵語では「チンタ・マニ」もしくは「チンター・マニ」と言います。「チンタ」「マニ」はそれぞれ「如意」「宝珠」という意味で、「チンタ・マニ」=如意宝珠には、それを持ったひとの苦しみを取り除き、望むままの栄誉や財宝を与える力があるとされています。

そんな宝珠が本当にあるのか?

cintaamanim parityajya kaacama nigraha nanyaaya

というインドの格言がありますが、これは直訳すると「宝珠(=チンタ・マニ)を捨てて水晶を取る」となり、来世での報奨を捨て、現世での利益を取ることを意味します。来世での報奨、とムスリムっぽい意訳をしてみましたが、宝珠とは神へと到る知識であるとか、あるいは悟りであるとか解脱といった意味だと考えてよいのでしょう。

ところで日本のお寺や神社では、擬宝珠(ぎぼし)という装飾をよく見かけます。

giboshi_02銅製亀甲花菱文様象眼擬宝珠

このたまねぎみたいな部分。この意匠も実はルーツをたどれば如意宝珠、つまり「チンタ・マニ」をかたどったものです。

そういうわけでイスラム装飾の粋を集めた東京ジャーミイには、擬宝珠もあるよ、というお話でした。