『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
女性への敬愛 1
きみがきみの妻に対し、様々に求めて欲する限り、
表向きには、妻を支配しているのはきみの方でも、
本当のところ、きみを支配しているのは妻の方だ。
けれど同時に、それは人が人であることの証しだ。
預言者も言っている、婦人は賢者をも屈服させる、
だが愚かな男は、婦人を屈服させようとする、と。
内在する猛々しい獣性がそうさせているのだ、と。2
愛と優しさ。これらこそが人の資質、人の価値だ。
情欲と怒りにまかせた振舞いは、けものの属性だ。
女性とは、神からじかに降り注ぐ一筋の光である。
彼女は、地上に属する束の間の愛人などではない。
彼女は、決してそのように創られたものではない。
創られたというより、創るのはむしろ彼女の方だ。
きみだって、少なからず思ったことがあるだろう、
「何てことだ、この世のものとも思えない!」と。3
1. 『精神的マスナヴィー』1-2431.
2. 人間との比較においては、動物達の愛には欠落が多いと言うものの、それでも彼らとて「愛が何であるかを知」っており、故に「愛を軽んじる者は犬にも劣る(『マスナヴィー』5−2008)」。
3. 外見という名のヴェイルを取り除き、詩人は女性の裡に、全ての愛の導き手であり同時に愛の行く末である永遠の美を見出す。そして彼女の本質について、「美なるもの」がその存在を明らかにし、創造的活動を行う顕現の場であると見なした。イブン・アラビーはこれよりも更に直截的にこう述べている:「最も完璧な神のヴィジョンとは、女性の裡にそれを見る者によって味わわれるものである」。