“A Handbook of Mohammedan Decorative Arts”より:書道の項

“A Handbook of Mohammedan Decorative Arts”より:書道の項

 

A Handbook of Mohammedan Decorative Arts

『モハンメド教の装飾芸術ハンドブック(仮)』より、書道の項を読み下しました。メトロポリタン美術館の出版物です。全文をPDFでダウンロードできます。1930年とありますから、Mohammedan という呼称もむべなるかなではあります。書道のみを扱った項は全体量からすると短めですが、書道の技法はその他の例えば細密画、製本、ガラス工芸やタイル工芸などなど、メディアをまたいで用いられているため、どの項を読んでも必ず書道芸術が目に入ってくる、という案配です。

挿絵はひとつだけ(「十三世紀あるいは十四世紀初頭の非常に精緻なコーラン」の部分のみ、モノクロ)でしたが、その他にも本文中で言及のある作品なり作家なり、メトロポリタン美術館から画像をひっぱってきました。


書道芸術、あるいは文字を美しく書く技法は、モハンメド教徒たちによりその最初期から深められ、絵画のそれと同じくらい尊ばれた。アラビア語の書道には、鋭角的な文字を用いたフォーマルな様式と、丸みを帯びた文字を用いた曲線的な様式という、二つの主要な様式が存在する。前者の書法はクーフィー体の名で知られ、メソポタミアに位置するクーファの町を発祥としており、おそらくこの地において初めて公的に使用されたものである。後者はナスヒー体と呼ばれている。

クーフィー体の文字はおよそ五百年の間、碑銘やコーランの写本製作といった目的に使用されていた。知られる限り、最古のコーラン写本はイスラム歴168年(784/85)のものである。それ以外には九世紀のものが複数存在し、そのいくつかには日付も残されている。それらは羊皮紙に黒のインクで書かれており、発音記号は赤で記してある。金彩を施した装飾が、各章の冒頭や余白部分にあしらわれている。

クーフィー体で書かれたコーラン、9世紀
クーフィー体で書かれたコーラン、9世紀 | Early Qur’ans (Eighth–Early Thirteenth Centuries) – Met Museum
11世紀の書道家ムハンマド・アル=ザンジャーニーのコーラン写本。ナスヒー体とクーフィー体 | Met Museum - search result of Al-Zanjani
11世紀の書道家ムハンマド・アル=ザンジャーニーのコーラン写本、ナスヒー体とクーフィー体 | search result of Muhammad al-Zanjani – Met Museum

ナスヒー体がエジプトに伝えられたのは11世紀のことであり、それ以降、しばしばクーフィー書体と組み合わせて使用された。その後クーフィー体は章の見出しに限って使用されるようになった。ナスヒー体の使用がより一般に広まるようになったのは、マムルーク朝の時代になってからである。当館の所蔵品には、十三世紀あるいは十四世紀初頭の非常に精緻なコーランが含まれている。金文字で書かれ、発音記号は赤と青で記されており、中でもとりわけ目を惹く装飾は、金と青で彩色されたアラベスク文様とクーフィー体の題扉である。本文の中も、頻繁に装飾が施されている。


コーラン写本(部分)、13世紀 | Met Museum
コーラン写本(部分)、13世紀 | Qur’an Manuscript – Met Museum

カイロのKhedivial図書館には、ふんだんに装飾を施された日付入りのコーラン写本の例が数多く保管されている。それらは十四世紀、マムルーク朝のスルタンたちのために書かれたものである。

スペインならびに北アフリカ(マグリブ地域)においては、曲線形のクーフィー体という特殊な書体が広く愛されていた。このマグリビー体を用いて、約十一世紀から十二世紀に書かれたコーランのページが複数、当館には所蔵されている。

「新クーフィー体(マグリビー体)」のコーラン写本、11世紀 | Western North Africa (The Maghrib), 1000–1400 A.D. - Met Museum
「新クーフィー体(マグリビー体)」のコーラン写本、11世紀 | Western North Africa (The Maghrib), 1000–1400 A.D. – Met Museum
マグリビー体のコーラン写本、14世紀 | Met Museum
マグリビー体のコーラン写本、14世紀 | Section from a Qur’an Manuscript – Met Museum

ペルシャでは十三世紀頃に、タアリーク体と呼ばれる書体が登場する。右から左へ進むにつれ、文字に傾斜がかけられた書体である。

タアリーク体 |  Letter in Ta'liq Script - Met Museum
タアリーク体 | Letter in Ta’liq Script – Met Museum

しかし宗教的文書には、より厳格なナスヒー体が使用され続けていた。ペルシャにおいて、書道が偉大な芸術として重要視されたことは、十五世紀から十六世紀にかけての、多くの著名な書道家たちの作品が物語っている。彼ら書道家の名は、頻繁に最終ページの奥付けに記されている。十五世紀の巨匠たちの中でも、最も有名なのはタブリーズ出身のミール・アリーである。彼はナスタアリーク体の発案者と考えられている。これはナスヒー体とタアリーク体の両方の特徴を組み合わせた、高度に洗練された書体であり、十六世紀に広く一般に使用された。ミール・アリーの初期の作品として美しい事例は、ヒジュラ暦七九九年(西暦1396年)と日付の記されたフワジュ・キルマーニーによる恋愛物語『フマーイーとフマーユーン』写本であり、これは大英博物館に保管されている。

十五世紀に最も賞賛された書道家は、ヘラートのフサイン・バイカラの宮廷に仕えたスルタン・アリー・アル=マシュハーディーである。彼の手によるミール・アリー・シール・ナヴァーイー『ディーワーン』写本が、当館において展示されている。

アル=マシュハーディーの『ディーワーン』写本 | Divan of Sultan Husayn Baiqara - Met Museum
アル=マシュハーディーの『ディーワーン』写本 | Divan of Sultan Husayn Baiqara – Met Museum

奥付けには書家の名と日付の両方が、次の通り記されている。「卑しき者スルタン・アリー・アル=マシュハーディー(神よ、彼の罪を浄めたまえ!)、九〇五年(西暦1499-1500年)、ヘラートの都においてこれを書す。」

その他、十五世紀の書道家で当館に展示されている作品は、フワーラズム出身のアブドゥル=カリームによるジャーミー『ディーワーン』写本がある。

アブドゥルカリームの『ディーワーン』写本 | Divan (Collected Works) of Jami - Met Museum
アブドゥルカリームの『ディーワーン』写本 | Divan (Collected Works) of Jami – Met Museum

この芸術家はフワーラズムの書道家アブドゥル=ラフマーンの二人の息子のうち一人である。父子はタブリーズで製作に勤しみ、多くの革新的なスタイルをナスタアリーク書体にもたらしたとされている。

また、当館に収蔵されている写本に、ヒジュラ暦八三〇年ラマダーン月四日(西暦1427年6月29日)と記されたコーランがある。

イブラーヒーム・スルタンのコーラン写本(部分) | Qur'an of Ibrahim Sultan - Met Museum
イブラーヒーム・スルタンのコーラン写本(部分) | Qur’an of Ibrahim Sultan – Met Museum

これはイブラーヒーム・スルタン・イブン・シャー・ルク・イブン・ティムール・グルガンによって書かれたものである。イブラーヒーム・スルタンは1430年または1431年に死没したタメルランの孫にあたる。彼は書道に対する大いなる後援者であり、六種類の異なる書体を書き分ける才能を有していたことでも知られている。

イブラーヒーム・スルタンのコーラン写本、内扉 | Qur'an of Ibrahim Sultan
イブラーヒーム・スルタンのコーラン写本、内扉 | Qur’an of Ibrahim Sultan

十六世紀の著名な書道家に、ヘラート出身のミール・アリーがいる。彼はおそらくスルタン・アリー・アル=マシュハーディーの門弟であったとされる。1533年、ミール・アリーはボハラを支配していたウズベグの宮廷に伺候した。彼の作品として、ヒジュラ暦九三〇年(1523/24年)に書かれたジャーミー『ユースフとズライハ』写本が当館に収蔵されている。

ミール・アリーのジャーミー『ユースフとズライハ』写本
ミール・アリーのジャーミー『ユースフとズライハ』写本

もう一人、十六世紀の偉大な書道家にスルタン・ムハンマド・ヌールがいる。

スルタン・ムハンマド・ヌールによる複数の書体(タアリーク、ナスタアリーク、シェキャステ、ムハッカク、スルス)を用いた習作 | Page of Calligraphy - Met Museum
スルタン・ムハンマド・ヌールによる複数の書体(タアリーク、ナスタアリーク、シェキャステ、ムハッカク、スルス)を用いた習作 | Page of Calligraphy – Met Museum

彼はスルタン・アリー・アル=マシュハーディーの息子であると同時に門弟でもあった。当館の収蔵する彼の作品として、ニーザーミー『五部作』写本がある。ヒジュラ暦九三一年(1525年)に書かれた美しい作品である。

シャー・イスマーイールやシャ=・タフマースプの時代における著名な書道家としては、シャー・マフムード・アル=ニーシャープーリーがいる。1539年から1543年にかけて彼が製作した『五部作』写本が、大英博物館に収蔵されている。