引用:ランダイ パシュトー語民謡集

「ランダイ パシュトー語民謡集」

 

ランダイとは・・・

アフガニスタンの一部にパシュトー語といふイラン系のやや古い形を伝へてゐる方言が行はれてゐる。「ランダイ」といふのはそのパシュトー語の二行連の定型詩で、第一行が九音節、第二行は十三音節からできてゐる。「ランダイ」は作者の分からない民謡で、相当多数のものが現在も歌ひ継がれてゐるやうであるが、採集されて書物の形にまとめられてゐるものは数冊に過ぎない。

今その数少ない中の一冊、ベーナーワ氏採集本(ペルシア語訳、英語訳付き)から興味の湧くままに民謡調を基調とする邦訳を試みたものの一部を発表する。原詩に近い味を出すためには余り癖のない口語で、しかも何らかの民謡らしさを匂はせる訳し方をしなければならないが、その方が難事業なので、今回は易きに就いた。この民謡集を貸与された縄田鉄男氏はパシュトー語に精しく、私の質した幾つかの疑問に答えて下さつたが、拙訳の自覚した病弊である原詩からの遊離・逸脱は英訳者(イブーラヒム・シャリーフィー氏)や縄田氏の解釈と無関係のものであることを同氏の名誉のために断つておく。
(訳者・森氏による解説 『森亮訳詩集 晩国仙果』1巻より)

 


アフガンの母の乳房で
育つた吾子(あこ)が
剣(つるぎ) 振るわで何振るふ

剣 打ち合ふいくさなら
後れは取らぬが
天命相手ぢゃ負け戦(いくさ)

原で摘んだ花
枯れよとままよ
遣りたいあの娘(こ)のゐない旅

赤いスカアフ映した池は
水の中から火が燃える

そなたのくちは薔薇の花
眼は夜のともし
蝶になりたや、そなたを追うて
いつそ蛾になり焦がれ死なう

いくらそなたが美しうても
花どき過ぎれば香は失せる
さりながら
おれの心に焼き付けられて
一生変わらぬ影がある

高い山々雪いただいて
裾は木の花、花盛り
神の恵みよ御山にみ雪
これも神慮か花笑ふ

春の花時、花より清い
いとしあの娘が散りもする

頬から黒子(ほくろ)が小刀で
ほじり出される責め苦さへ
おれの心を変えやせぬ
あの娘を思うて変りゃせぬ

花になりたや荒野の花に
いとしい人から吹く風に
かゆれ、かくゆれ

十一

「こころ」が「まなこ」に
言ふことにゃ
「眼(まなこ)見る役、わしゃ悩む役」

十二

「まなこ」の答へが面白い
「心が始めた色恋を
わたしゃ涙で後始末」

十三

変へてくだされこの身を花に
花は薔薇の花
はらはらと
散るはあの娘の胸のうへ

十四

とめてとまらぬからだの震へ
おこりのせゐではないさうな
あの娘の髪がひらひらと
ゆれるゆゑ、ゆれるゆゑ

十五

意地を張らずと
くちづけなされ
いくらそなたが若かろと
美しかろと
若い間がいつまでつづく

十六

花の蕾は目こぼしなされ
咲いて匂ふが花ぢゃもの

十七

川のほとりに咲く花に
あなたがなつてくれたなら
わたしゃ行きます水くみに
水を汲みにはちょと言ひ訳で
あなたの匂いをかぎにゆく

十八

わけが知りたい、お天道さまよ
花とひらいた女子(をなご)の中で
あたし一人がまだ蕾

十九

夫とあたしは切つても切れぬ
市に売らうと言はれたら
あたしは後からついてゆく

二十

散つたむら雲またあつまれど
掛けた情けはかへりゃせぬ

二十一

涙ながすも恥しながら
あの娘訪ねて会はれず仕舞ひ
おれの男も落ちたもの

二十二

身の衰へが顔に出た
暮れの入日のいふ声きけば
「老いと病(やまひ)は身のさだめ」

二十三

春をことほぐ世間をよそに
結ぼほれたるわたしの心
えい、なんとせう
花よ咲け咲け、この胸に

二十四

乳児(ちご)か若児(わくご)かわたしの心
人の庭から花欲しがって
声あげる声あげる

二十五

薔薇をわたしにそなたがそつと
投げたその手は嬉しいけれど
じろり見てゐた誰かの眼

二十六

いつそ空ゆく
月ともなつて
愛しい人が
羊飼ひ牛飼ふ
野らを照らしたい

二十七

これがまあ
見納めの顔になるやも知れぬゆゑ
ともし火よ
もいちどぱつと燃え上がれ

二十八

恋しいお方は遠い国
離れて顔も忘れたが
お名を慕うて生きてきた

二十九

あの娘たづねて旅立つわたし
思ひ立つたる旅なれば
道よちぢまれ、するすると

三十

もうし、もうし、旅の人
たんのされたかわたしの顔に
それとも、も一度そち向きませうか

三十一

さといわが眼は悲しみ招く
こはやこは
鷹の目隠し
倣うて閉ぢよう