「鳥の論攷」
スフラワルディー
(1) これは『鳥の論攷』、真実の舌が語るところを訳出したものである。世界の導師、時代の碩学、諸学者と哲学者の王シャイフ・シハーブッディーン・スフラワルディー - 彼の上に神の慈悲あらんことを - によって記された。
(2) 私の同胞の中に、少しばかり時間を割いて、私の話に耳を傾けようという者はいるだろうか。私が、私の悲しみについて語るのを聞いてくれる者、私の味方となってくれる者、友情によって私の悲しみを、いくらかでも共に背負ってくれる者。たとえそれが誰であろうと、不純物が混じることのないように努めて守り通さない限り、友情はたちまち濁ってしまう。いったい誠実な友人を見つけるには、私はどこへ行けばよいものか?近頃では、友情はまるで売り買いされる品物のようになった。友人が必要な事態に陥ると、人々はせっせと友情を育む。しかし一たび問題が取り除かれ、もはや不要となれば、彼らはさっさと友人を切り捨てる。唯一の例外は、神の御そば近くに絆を置く者同士の友情である。彼らの親交は天界より下されている。彼らは、お互いの心を真実の目で見る。そうして疑惑の緑青と、彼ら自身から生じる不確実性とを拭い去るのである。こうした人々を招集できるのは、ただ神の御使いのみだ。招集されれば、彼らは私が証言したことについて同意を示すだろう。
(3) 真理に住まう友人よ、ヤマアラシのようにあなた方自身を守れ。ヤマアラシは地面にその下腹を伏せ、棘をもって背を守る。それは神の御目にあなた方の内側をさらけ出しつつ、外側については隠しおおせる実にうまいやり方だ!
(4) 真理に住まう友人よ、蛇ののようにあなた方の皮膚を脱ぎ捨てろ。蟻のように歩め、誰もあなた方の足音を聞きつけることのないように。さそりのように、武器はあなた方の背後に握れ、悪魔は常に後ろから忍び寄るのだから。毒を飲み干せ、幸福な人生を送るために。死を愛せ、生き延びるために。絶え間なく飛翔を続けろ、決まりきった巣は持つな、鳥は常に巣にいるところを捕えられるのだから。飛ぶための翼を持たない者は地を這って進め、常に居場所を変え続けろ。駝鳥のように、熱い石を平然と飲み下し、禿鷲のように、硬い骨を平然と噛み砕け。常に炎の中に座し続ける火蜥蜴になれ、そうすれば、明日という日があなた方を傷つけることも無くなるだろう。常に昼を避けて過ごす蝙蝠になれ、そうすれば、敵に出くわすことも無くなるだろう。
(5) 真理に住まう友人よ、天使が罪を犯さなかろうが、けものや動物が淫らな行為に耽ろうが、驚くにはあたらない。何故なら、そもそも天使は堕落する手立てを持っておらず、またけものは、理性的に振舞うための手立てを持っていないのだ。真に驚くべきは、現世の欲望に従い、甘んじて情欲に身を任せることも可能であるにも関わらず、理性の光によってなされる人間の行為である。神の裁きの法廷に準ずれば、熱情のすさまじい攻撃に直面しながらも、変節することの無かった人間は天使よりも偉大である。その一方で、欲望の赴くままに行う者はけものよりも低いところにある。
(6) さて、本題に戻り私達の悲哀について説き明かそう。知れ、真理に住まう友人よ。
猟師の一行が野山へと分け入った。彼らは罠を仕掛け、餌を置き、おとりを立ててから、山と積まれた干し草の影に隠れた。私は鳥の群れの中にいて、そちらへと近づいているところだった。猟師は私達の群れを見つけると、魅惑的に私達を誘い込んだ。呼び声に惹かれた私達は、何とも素晴らしく心地良さそうな場所が用意されているのを見た。疑う理由は何ひとつ無かった。その場所へと向かうことを遮る疑惑の影が差し込むことも無かった。私達は罠へとまっすぐに向かい、そして捕えられた。気付けば、私達の首には網の目が巻き付いており、足には罠が巻き付いていた。災いから逃れようと、私達は皆必死でもがいたが、もがけばもがくほど、罠は私達をきつく締め付ける。なすすべもなく私達は、死を受け入れようと心構えをし、苦難に屈したのだった。それぞれ自らの苦しみにばかりかまけており、他の者に注意を払おうともしなかった。それからしばらくの間は、どうにかして自分達を救う手立てはないものか、思案しようと試みた。しかしいつの間にか、私達はその状態に慣れつつあった。そうしているうちに、かつて自分達がどのようであったかもすっかり忘れて、いつまでも罠の中に留まることになった。私達は足枷と格闘することをやめ、おとなしく檻の束縛に従った。
(7) ある日のことだ。私達は、格子窓のすき間から外をのぞいていた。すると私達の仲間のうち一つの群れが、自分達の頭と羽を狭い檻のすき間から外へ引きずり出し、今にも飛び立とうとしているのが見えた。彼らの足には、それぞれ足枷が残されていたが、彼らにとっては飛翔を思いとどまる理由にはならなかった。実際のところ、彼らは足枷など気にもとめておらず、皆とても幸福そうにしていた。それを見たとき、私は、以前の私がどのようであったかも、また私が、私自身を忘れていたことも思い出した。死を望んでいたことを私は恥じた。そしてこのまま彼らの旅立ちを見送るくらいなら、いっそ私の魂も、私の体を置き去りにすれば良いのにと思った。私は彼らに向かって叫んでいた。私のところへ来てくれるよう、私を憐れんでくれるよう、私を苦しみから解き放つ手助けをしてくれるよう、私を導いてくれるよう懇願した。何故なら、今こそ私は本当に死の淵に立たされていたからである。かつて猟師が用いた罠を憶えていたのだろう、彼らは怯えて飛び去ろうとした。私は、私達の過去の友情と親密さがいかに強かったかを訴え、それがいささかも古びてはおらず、また濁ってもいないことを誓ったが、私の誓いも虚しく、彼らは彼らの心に生じた疑惑を拭い去ることが出来なかったし、また私を助けるほどの強靭さも、彼らは持ち合わせてはいなかった。
私は再び、私達が昔お互いに結んだ誓いについて思い出してくれるよう懇願し、また私が非力であることを示してみせた。それで彼らは私に近づき、私は彼らに、どのように脱出したのか、またどうすれば残された足枷に耐えることが出来るのかを尋ねた。すると彼らは私を助けてくれた。彼らが用いたのと同じ方法で、私は自分の首と羽を罠から脱出させた。私が外へ出ると、彼らは言った。「せっかく抜け出せたのだから、この機会を最大限に活かそうじゃないか」。私は彼らに、足枷を外してくれるよう頼んだが、彼らは言った。「それが出来たなら、私達だってとっくに自分の足枷を外しているよ。病んだ医者に、治療や投薬を頼んで何になる。第一、そんな医者の差し出す薬を飲んだところで、何の足しにもならないぞ」。そこで私は、足枷をつけたままで彼らと一緒に飛び立つことにした。彼らは私に言った。「私達はこの先、とても恐ろしく、驚くべき長い道のりを辿ることになるだろう。誰もが安穏としてはいられなくなる。実際のところ、私達は今のこの状態すら保てるかどうか分からないのだ。再び罠に陥って、以前の苦悩に連れ戻されるかもしれない。しかしあのような呪わしい落し穴に、二度と突き落とされることのないように、正しい道から逸れないようにするには、私達はこれから新たな恐ろしい苦しみに耐えなくてはならない」。
(8) 私達は二つの山道の間にある、水と緑に囲まれた谷を選んで通り抜けていった。罠という罠から遠く離れるまで、私達はとても速く飛んだ。猟師の、どのような呼び声にも振り返らなかった。私達は山頂に到着し、周囲を見た。目の前には更に八つの山々がそびえ立っている。山々はあまりにも高く、頂上はすっかりかすんで見えない。私達は自分自身に言い聞かせた。「後戻りなど問題外だ。降りるという選択肢も無い。この山々を無事に通り抜けない限り安全な場所はない。何故ならあらゆる山には、私達めがけて襲いかかる者が隠れているのだから。それらに気を取られ、あちらやこちらに目を奪われ、快楽の束縛に引き留められてしまったら、決して目的地にたどり着けないだろう」。そこで私達は休むことなく六つの山々を渡り、七つ目の山に辿りつくまでの間、極度の疲労を耐え抜いたのだった。
「そろそろ休もう」、誰かが言った。「これ以上はもう飛べないよ。敵も追手もはるか後方だ、私達には追いつけないだろう。そしてこの先、乗り越えなくちゃならない道のりはまだまだ長い。小一時間も休めば、目的地にたどり着けるくらいには回復するだろう。けれどこれ以上ほんの少しでも無理をすれば、私達はきっと死んでしまうよ」。それで私たちは、たまたま足をとめたその山で休息を取った。そこには美しく飾られた庭園があった。心地良さそうな館とあずまやが配され、水が流れ、木々には果実がたわわにみのっている。それはとても美しい光景だった。私達の目はすっかり魅了され、心は今にも体を脱ぎ捨てて去って行きそうなくらいだった。聞いたことも無い鳥の歌が聞こえ、嗅いだことも無い香りや匂いが漂っている。私達は十分に水を飲み、果物を食べた。永遠にこの場に留まるかのようにすっかり落ち着いたちょうどその時、準備を整え、この場を去るように促す声が響いた。油断してはならない。あらかじめの用心抜きに得られる安心は無い。懐疑よりも優れた要塞は無いのだ。これ以上遅れれば、私達の生命を無駄に浪費することになる。私達の敵が、厳しい追跡の手を休めるはずがない。今頃は、私達が来たのと同じ道を急いでいることだろう。
(9) それから私達は、八つ目の山に向かった。頂上はとても高く、天に届くほどだった。近づくにつれて、小鳥たちの歌声が聞こえてきた。それは素晴らしく美しい旋律だった。私達は羽ばたきを緩め、ゆっくりと下降した。そしてあらゆる種類の善きものを目にした。楽しくも美しい姿かたちを目にして、ある者などは目をくぎ付けにされてしまうほどだった。私達は地に降り立った。彼らはとても親切で、歓待の心に満ちていた。彼らについて語ろうにも、どんな被造物とも比べようが無かった。
(10) 一帯を治める領主が、私達を自邸に招いてくれた。私達は、彼に全てを打ち明けることにした。苦悩を知ってもらおうと、私達の身の上に起きた出来事を彼に話すと、彼は大いに胸を痛め、また心からの同情を私達に寄せてくれた。それから彼は言った。「この山の頂上に、王の住まう都があります。かれが望めば誰であれ、不正に苦しむ者の重荷は取り除かれることでしょう。けれどまずはかれの許を訪れ、かれの信頼を得なくてはなりません。かれについて私がどう言葉で説明しようと、とても説明しきれるものではありません」。王の都の法廷を目指し、私達は出発した。ところが私達が到着するよりも先に、見張り番が王に知らせ、続いて新参者の群れを案内するよう命令が下され、私達は付き添われて王の眼前へと連れて行かれることになった。
法廷の中庭も、あちらこちらに配された館も、視界がかすんでしまうほど広大であることが見てとれた。私達が通り抜けるたびに、幕が一枚づつ引き上げられ、続いて次の中庭が見えてくるのだった。ひとつ進めば、その前に通り過ぎた中庭が色褪せて見えるほど、ますます美しく壮大な光景があらわれた。やがて私達は宮廷の最奥にたどり着いた。足を踏み入れると、彼方に王の輝きが見えた。その輝きに、私達の目は圧倒された。頭の中がぐるぐると回り、私達は意識を失ってしまった。王は丁重に私達を介抱してくれ、私達が話しやすいようにものごとを整えてくれた。私達は、私達の苦難の連続について話した。そして足枷の残骸を取り除いてくれるよう懇願した。これさえ無ければ、私達はかれの宮廷に伺候できる。しかしかれはこう答えた。「あなた方の足から足枷を取り除けるのは、それをあなた方に与えた者のみ。私は、あなた方と共に私の使者を行かせよう。そしてあなた方の足枷を取り除くように説得させるとしよう」。誰かが、私達は帰らねばならぬ、と大声で叫んだ。そこで私達は王の許を去った。今は王の使者と共に道を進んでいるところだ。
(11) 友人達の何人かは、王の美しさと輝きについて説明するよう私に求めた。かれについては、どう語ろうとも公正に語ったことには決してならないだろう。それでも、かれがどのようであったかについて想像するための、手がかりを与えるくらいのことは出来るだろう。微塵も醜さを寄せ付けない美、微塵も欠けるところの無い完全、そういった何かを想像することが出来るだろうか。もしも出来るようなら、全ての美が、実は彼によるものであることも同時に理解できるだろう。時としてかれは全ての美しい顔に在り、また時としてかれは全ての優しい手に在る。かれに仕える者なら、誰であれ永遠の幸福を見つけるだろう。またかれから去る者なら、誰であれ「この世でも、あの世でも失うだろう(コーラン22章11節)」。
友人達の多くは、この話を聞いて言った。「思うに、あなたは精霊に魅入られたか、あるいは悪魔に取り憑かれているに違いない。神かけて、あなたはどこへも飛んで行ったりはしなかった。飛んで行ったのはあなたではなく、あなたの精神だ。誰もあなたを狩ったりはしなかった。罠にかかったのはあなたではなく、あなたの理性だ。人間が空を飛んだり、鳥が言葉を話したりするはずが無いだろう。どうもあなたの気質に問題があるんじゃないか。胆汁が出過ぎて湿潤に傾き過ぎているか、あるいは乾燥に傾き過ぎて脳に影響しているかのどちらかに違いない。こういう時はタイムの花の汁が効くよ。それから風呂も。ぬるま湯を頭から注いで、睡蓮の精油をすり込んで、軽めの食事を取って。夜遅くまで起きているのは良くないね。物事を深く考え過ぎるのも禁物だ。これまで私達は、あなたはいつだって理性的で分別のある人だと考えてきた。しかし今のあなたときたらどうだろう。あなたが錯乱し、苦しみもだえつつ日に日に道を外れておかしくなっていくことを、私達がどれほどつらく悩ましく思っているか、神が証言者となって下さるだろう」。ほとんどの場合はこんな調子だった。分かち合えるものがごくわずかであることについて、私達は互いに同意した。こんなふうに、打ち捨てられて何の影響も残さないのを最悪な言葉というのだ。私の望みは神にある - それと誰でも構わない、私の話を馬鹿にしない誰かに。
「不義をなした者は、どのような転覆の仕方をするものか、いずれ思い知ることだろう(コーラン26章227節)」。
Mystical and Visionary Treatises of Shihabuddin Yahya Suhrawardi