目次
ふくろ
ある日のこと、ムッラーは道ばたをとぼとぼと歩くしかめっつらの男に出くわしました。「いったいどうしたのかね?悩みがあるなら言ってごらん」ムッラーはそうたずねました。
男は持っていた袋をムッラーの眼の高さまで持ち上げて、 –– 「世界はこんなにも広くて,空はあんなにも高いというのに、私が手に入れたものと言えば、みじめさがいっぱい詰まったこのおんぼろのズタ袋ただひとつだけなのですからね」 –– そう答えました。
「そいつは残念」ムッラーはそう言うと、男の手から袋をひったくり、一目散に道を走り去ってしまいました。全てを失ってしまった男はぼろぼろと大泣きしました。以前よりさらにみじめなありさまで、男はとぼとぼと歩きました。その間にも、ムッラーは大急ぎで走って先回りし、少し曲がったところで、道のまんなかに男からひったくった袋を置きました。
後からとぼとぼと歩いてきた男は、道のまんなかに自分の袋がぽつんと置いてあるのを見つけて大喜びしました。「私の袋!私の袋!ああ、もう何もかも無くしたとばかり思ったのに!」
道ばたの茂みの中で,こっそりとその様子を見ていたムッラーは、「ま、これもまた誰かを幸せにする一つの方法というものだよ」と忍び笑いをもらしました。
2003.**.
※ムッラーとは、イスラームで言うところの「お坊さん」のこと。
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三人の旅人の物語
身も心もくたくたになるような長旅を続けていた三人の旅人がいた。三人は旅を通じてお互い知り合いになり、仲間となって一緒に旅をすることになった。それからというもの、三人は楽しみもまた悲しみも共に分かち合った。そればかりではない。財布も共有するようになった。
それからしばらく旅を続けているうちに、財布の中味もすっかり空っぽになり、しまいには、お互いに持ち合わせているものはパンがひとつと、コップ一杯分の水だけだということに気付いた。
このとぼしい食料について、誰がそれを所有するか三人は激しく議論した。ついにはつかみ合いの喧嘩となったが、それでもこの問題については全く解決の見通しがたたない。そこで三人で分け合おうという結論に達したものの、どのように分配するかでさらに議論は白熱した。
そうこうしているうちに夕闇が彼らを包み込んだ。旅人のうち一人が、議論をいったん終了して眠りにつくことを提案した。そして三人が目覚めたとき、彼らのうち最も注目に値する夢を見た者が今後どうすべきか決定することでお互いに同意し眠りについた。
翌朝、太陽が昇り三人は目覚めて起き上がった。「私の見た夢はこうだ」一人めの旅人が言った。「私は不可思議の力で、ここからはるか遠くの国に連れて行かれた。私はその国を見て言葉を失った、なぜなら言葉では言い尽くせぬほどに素晴らしかったからだ。私はその国で物腰おだやかな賢者に出会った。賢者は私に、『そなたこそは食物の所有者に値する、なぜならそなたは過去も未来も、賞讃に値する素晴らしい人物だからじゃ』と言った」
「なんと奇妙なことだ」二人めの旅人が言った。「私は夢の中で、実際に自分の過去と未来を全てこの眼で見て来ました。私の未来に、偉大な賢者が現れてこう言いましたよ、『そなたの旅仲間よりも、そなたこそはパンと水にふさわしい。なぜならそなたの方が賢く、また忍耐強く、優れているからじゃ。そなたこそ旅仲間たちを指揮するのにふさわしく、そのためにも栄養をたっぷりと取っておく必要がある』と」
三人めの旅人が言った。「夢の中で、私は何も見なかったし何も聞かなかった、何も言わなかった。すると私に目覚めるよう強く促す何か不思議な恐ろしい力を感じた。その力は私を目覚めさせると、食物を探すよう命じた。そこでパンと水があったので急いで食べ、飲んだ。するとその力は去って行った。それで私は安心して再び眠りについた」
それを聞いた残る二人は激怒し、不思議な恐ろしい力に襲われたときに何故二人を呼ばなかったのかと問いつめた。
「呼んだとも!」三人めの旅人は答えた。「だがおまえはここからはるか遠くの国に行っていたし、またおまえは今よりもずっと昔の方へ行ってしまっていたんだ。私がおまえたちを呼ぶ声なんか、聞こえなかったのだろう」
2007.08.
※シャッターリーというインドのお坊さんが最初に語ったお話とされている。ムガール帝国のフマユーンという王様の先生だったひと。1563年没。
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豆と酢のスープ
ある靴屋がひどい胃痛に悩まされていた。そこで彼は地元の医者のところへ駆け込んだ。医者は注意深くありとあらゆる診察を施したが、靴屋を助けることのできる治療法を、全く見つけることができなかった。
「先生、私の胃痛を直す方法はありますか?」靴屋は心配になり医者に尋ねた。「悲しいことに、」医者は言った。「今の病状を楽にするための治療法も薬も、全く見つかりません。そもそも何が原因の胃痛なのかも分かりません」
重苦しい空気が診察室に漂った。靴屋は深くためいきをつき、こう言った。「さて、手の施しようがないと言われてしまっては仕方が無い。家に帰って、死を迎える準備をしましょう。ところで私にはひとつだけ望みがあるのです。大きな鍋にレンズ豆を2ポンドと酢を1ガロン入れたスープをたっぷり作って、それを一人で全部たいらげたい。これがこの世での、私の最後の晩飯です」
医者は肩をすくめて言った。「その考えにはあまり同意できませんね。だがそうすることが良いとあなたが思うのなら、どうぞ試してみてください」
その夜、医者は一睡もせずに、危篤の状態に陥った靴屋がかつぎこまれてくるのを待っていた。ところが翌朝、すっかり回復して元気いっぱいの靴屋を見て医者は驚いた。医者はその日の日誌に書き付けた。
「靴屋が重病を抱えてやって来た。治療法も薬の処方箋もなかったが、レンズ豆2ポンドと酢1ガロンのスープによって彼は奇跡的に回復した」
それから数日後、仕立て屋が重病を抱えて医者のところへやって来た。今度も手の施しようがなく、あきらめた医者は何の治療法も薬もないことを仕立て屋に告げた。「先生、頼みますよ!本当に他に何か考えられる手当はないんですか?」仕立て屋は痛みのあまり泣きながら大声で叫んだ。
医者はほんの少し考えてからこう言った。「いいえ。ただ、先日も同じような痛みを訴えてここへ来た靴屋がいました。彼の場合は、レンズ豆2ポンドと酢1ガロンのスープで回復しました」
「そんな奇妙な治療法ってあるんですかね?聞いたこともありませんが、でもまあとにかく試してみます」仕立て屋はそう言って、その夜レンズ豆と酢のスープを食べたが、残念なことに、翌日彼はさらにひどい痛みに苦しんだ。医者はその日の日誌に書き付けた。
「仕立て屋が重病を抱えてやってきた。治療法も薬の処方箋もなかったが、レンズ豆2ポンドと酢1ガロンのスープによって症状はさらに悪化した。靴屋に効果があっても、仕立て屋にも同じ効果があるとは言えない」
2007.08.
※ペルシアの昔話。
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あかりはふたつ
昔々、どこか遠くの土地にネルという名の娘がいた。ネルは生まれた土地を遠く離れて、あちこちの村を旅していた。博識で名高いとある賢者を探して旅をしていたのだった。
ネルがある村にたどりつくと、目当ての賢者はその村近くの山の中に住んでいるとのはなしだった。すでに夜も更けあたりは真っ暗闇だったが、ネルは山を目指して歩き始めた。ちょうど山の中腹あたりに、確かに明るい光が見える。そこに賢者がいるに違いない、とネルは思った。
彼女がようやく光のところまで登りついたとき、そこには煌々と燃えるランプがひとつと、その周囲を飛び回る蛾たちの姿があるだけで、他には誰もいなかった。ネルは驚いたが、そのうち周囲の暗闇にも眼が慣れてきた。あたりを注意深く見渡すと、ランプから離れたところに、もうひとつ、こちらはランプよりもはるかに弱々しい微かな光があることに気がついた。ネルがその光の近くまで歩いて行くと、そこにはろうそくを灯して書物を読む賢者の姿があった。
ネルは彼にお辞儀をし、それから質問した。「なぜこのような暗がりに座っていらっしゃるのですか?あちらの方が、よっぽど明るいのに」
賢者はネルの質問にこう答えた。「見ての通り、明るい光は蛾たちのために置いてある。それで私がろうそくの光でこのように学んでいる間も、決して邪魔はされない」
2003.**.
※「光」と「蛾」を題材にした物語は沢山ある。
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玉ねぎ泥棒
はるか遠くの土地に、レザという名の男がいた。ある晩、レザはたまねぎをいくらか盗んで地元の市場で売りさばき、ちょっとした金を稼いでやろうと決めた。暑過ぎず寒過ぎず、ちょうど心地よいぐらいの夏の夜のことだった。月のおかげで、夜だというのに視界ははっきりと鮮やかだった。レザは大きなかごをひとつどこかから拾ってきて、隣り村の農家まで馬にまたがって駆け込んだ。
農家につくと、レザは周囲に誰もいないことを確認し、それからたまねぎをひとつひとつ選別し始めた。良いたまねぎだけ選んでかごに入れてゆき、とうとう100個集めた頃にはかごもすっかりいっぱいになった。そこでレザは再び馬に乗り家に帰ることに決めた。レザが重たいかごを馬に載せると、馬は驚いて大きくいなないた。
家の中で寝ていた農夫の妻は馬の声を聞いて眼を覚ました。そして起き上がり、音の正体を見てやろうと窓の外を見た。農夫の妻は馬とレザを見て、急いで夫と息子たちを起こした。泥棒が馬に乗って逃げ出す前には、農夫のマフムード一家全員が外に出ていた。こうしてレザはあっけなく捕えられた。
朝が来るとすぐに、マフムード一家はレザを村長のところへ連れて行き、たまねぎを100個盗んだ泥棒を裁いてくれるよう訴えた。村長はレザに三つの選択肢を与えたー100枚の金貨を支払うか、100回の鞭打ちか、あるいは彼が盗んだ100個のたまねぎを食べるか、このうちどれかを罰としてレザに選ばせた。
レザは即座に100個のたまねぎを食べることに決めた。食べ始めると、レザの眼からは涙がぼろぼろこぼれた。レザはすっかりみじめな気持ちになってきた。25個めのたまねぎをようやく飲み下したとき、まだ75個も残っていることにレザは愕然とした。そこで100回の鞭打ちに替えてくれるよう村長に願い出た。村長は同意し、レザは鞭打ちの痛みを覚悟した。鞭打ちが10回を数えたとき、この拷問に耐えられなくなったレザはやめてくれるように懇願した。結局、レザは100枚の金貨を支払うことにした。そこで村長は彼を釈放し、レザは自由の身となった。
最初から100枚の金貨を支払っていたら?たまねぎを食べさせられたり、鞭で打たれたりすることもなかっただろう。だがレザは『遠回りの道』を選んでしまった。ある点からもうひとつの点へと移動する際に、二つの点を結ぶ最短距離の直線というものが存在する。だがジグザグや三角や円、その他の多角形を好むとなると、・・・目的地に到着するのはより困難になってしまう。
2004.**.
※パンジャビ地方の昔話。
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タムルの物語
タムルはモンゴルの草原に住むとある部族に生まれた。十六歳の頃には、「恐れ知らずのタムル」と呼ばれるようになっていた。どこまでも続く草原を、縦横無尽に馬を駆って進み、自由自在に剣を操る勇猛な戦士としてその名を知らしめた。
二十歳の頃には、父親に付き従って戦いに明け暮れ多くの敵を殺した。戦いにおける大胆さ、刺すような視線、予測のつかない素早い動き、中でもとりわけ、状況をとっさに判断する彼の鋭い知性を、誰しもが賞讃した。人々は好んで彼を取り囲みその後を追った。タムルは、モンゴルに栄光をもたらすために神に使わされたのだ、という噂が広まっていった。誰もがタムルを愛したが、部族の長はタムルを恐れ、彼を殺すことに決めた。
そしてとうとうその日の真夜中、部族の長と側近達はタムル暗殺を実行に移した。穏やかな夜空に、満月が懸かっていた。
広々とした平原にある丘の上に建てられたタムルのテントに、刺客達はそれぞれ四方から近づいた。厩舎を通り過ぎ、食べ尽くした鍋や皿が積み重ねられたままの炊事場を通り過ぎてタムルの寝間に近づいた。
タムルはその夜、気配を感じて目覚めた。そしていくつもの影が動いているのを見て起き上がり、父の寝間へと向かったが、父は血の海に横たわりすでに事切れていた。それを見たタムルの心にも、たちまち血の海があふれた。タムルは短剣を口にくわえてかがみ、そのままの姿勢で厩舎へと素早く走った。
「タムルを殺したか?」影のうち一人が、その他の影に向かって尋ねるのが聞こえた。外を伺うと、剣をぶらさげた刺客の一団が厩舎の方へ向かって来るのが見える。厩舎の一隅には、馬を養うための麦を入れた大袋が積み重ねられていた。タムルは反射的に大袋のひとつに潜り込んだ。刺客達が厩舎に入り込んで来た。
刺客達はタムルを探しまわった。タムルは大袋の中で動かずに息をひそめていた。刺客のうち誰かが、タムルの馬が厩舎から走り去っていった、と叫んだ。夜明けはもうそこまで来ている。部族の長は、大袋のひとつひとつを剣で差し貫くよう刺客達に命じた。タムルは動かず、ひたすら息をひそめた。やがて剣が大袋に差し込まれ、タムルのひざとふくらはぎを貫いた。タムルは衣服越しにそっと剣をつかみ、彼の血を静かに拭い去った。剣はそのまま大袋から抜き取られていった。再び静寂が訪れた頃、タムルは足をひきずりながら大袋から這い出した。
それ以来、彼は「片足のタムル」と呼ばれるようになった。
翌朝、部族の長が発した「タムル暗殺令」はあっと言う間に平原中に広まった。自分が殺されることを恐れた兵士達は、こぞってタムルの首を部族の長に捧げることを誓った。
タムルは数少ない仲間達と共に、平原を去ってアフガニスタンへ逃れた。アフガニスタンからハイバル峡谷を越えてインドへ渡ろうと試み、盗賊に襲われ仲間達を失った。彼はさびれて無人のキャラバン宿に逃げ込み、屋根も朽ち果てた宿の壁際に座り込んだ。
タムルが壁に眼をやると、そこには麦の粒を背負って伝い歩く一匹の蟻がいた。壁を半分ほど登ったところで、蟻は地面に落ちた。蟻は再び壁を登り始めた。ようやく壁のてっぺんまで届くかというところで、蟻はまた地面へと落ちてしまうのだった。タムルは腰を落ち着けて、蟻を見守ることにした。蟻は何度も何度も壁から転げ落ち、タムルはそれを数えた。九十九回目に、ようやくてっぺんに辿り着きそうだったのが、再び蟻はタムルの足元まで転げ落ちてきた。だが百回目に、蟻はとうとう壁のてっぺんにうまく辿り着いたのだった。タムルは驚き、そして自分にこう言った。「私は戦いの一つに負けた。そして、戦いはまだ九十九も残されているのだ」
タムルはモンゴルに還り、新しく自分の一族を興した。そして「片足のタムル」は、「片足の覇者タムル」と呼ばれるようになったのだった。
2007.11.
※作者不詳の、口頭伝承。
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王様の指輪
昔ペルシャのある王様が、非常に稀少な宝石をはめ込んだ指輪を持っていました。ある日のこと、王様はお気に入りの廷臣たちと連れ立ってシーラーズへと出かけました。シーラーズに到着すると、王様はモスクの尖塔の一番上に、あの指輪を置くように命じました。そして「あの指輪の中心に矢を射通すことが出来た者に、指輪を与えよう」と言いました。
400人を超える弓の達人たちが列を作って並び、指輪に狙いを定めて次々に弓を引き絞り矢を放ちましたが、誰ひとりとして成功する者はいませんでした。
たまたま、モスクの隣りの建物の屋根の上で、ひとり弓矢の練習をする少年がおりました。何かのはずみで放った少年の矢は、何かのはずみで吹いたそよ風に乗り、みごとに指輪の中心を射通しました。王様は少年を誉め称え、約束通り指輪を少年に与えました。廷臣たちも、それぞれ少年に手に余るほどの贈り物を与えました。
贈り物を受け取った後で、少年は自分の弓と矢を火にくべて燃やしました。それを見た王様は不思議に思い、なぜそうしたのかを少年に尋ねました。少年は答えてこう言いました。
「私の初めての名誉と栄光を、不変のものとするためです」
2007.08.
※サアディーが語った物語。
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おしゃべりなきこり
はるか遠くの地にとあるきこりの男が住んでいた。村から離れたところにある大きな森で、きこりは毎日木を切り倒していた。一日の終わりには切った木を背負い、村へ持って帰ってそれを売るのだった。
そうやって木を切る生活を20年も続けると、きこりもさすがに疲れてきた。ある日彼は森の中で、全ての木に向かって大声で叫んだ。「もう飽きたぞ!こんなこと、これ以上やっていられるか!これから最後の薪を切る、そして荷造りを済ませたら、わしら人類のご先祖様であるアダムを探しに行くのだ。わしらの苦労と困難の原因を作った張本人の骨を探して、そいつを薪がわりに燃やし尽くしてやる」
神はそれを聞くやいなや、女性の姿を借りた天使をきこりの許へ行かせた。天使はきこりに何をしているのか、と尋ねた。「アダムの骨を探している」きこりは答えた。「苦労と困難の原因を作った張本人の骨を探して、燃やし尽くしてやりたいのだ」
「もしも誰かが、あなたを苦労と困難から解放するとしたら?」天使が尋ねた。「1000回でも感謝するとも!」きこりは嬉しそうに答えた。「それではあなたを楽園の庭へご案内しましょう。あなたは二度とつらい仕事をしないでもよろしい。ただし、一つだけ約束して下さい。そこではあなたは何を目にしようとも、一言も口をきいてはいけません」
きこりはそれに同意した。そこで天使は一度だけ手を叩いた。まばゆい光が二人を包み込んだ次の瞬間、きこりは高い木々と、清らかな小川の流れと、おいしそうな果物がたわわに実る美しい庭にいた。
しばらくして、きこりは一人の男が黙々と木を切っているのを目にした。男は、枯れた枝は幹に残して、育ち盛りの若い枝ばかりを切り落としていた。きこりは天使との約束について考えはしたものの、その男の仕事ぶりを見ているうちに、ついに言わずにはいられなくなった。「だんな、枯れ枝を切り落として若枝はそのままにしておいた方が良くはないですかね?」
その男は動きを止めた。そしてこう言った。「ここの住人かね?」次の瞬間、きこりは彼の斧を手に自分の村の近くに帰されていた。きこりはわあわあ泣きわめき、身もだえて自分の胸を打ち始めた。再び天使が彼の許に訪れ、何があったのかと尋ねた。きこりが一部始終を語ると、天使は言った。「私はあなたに、一言も口をきいてはいけない、話をしてはいけないと言いませんでしたか?」
「約束します、あそこに連れ帰ってくれたら二度と口はききません」きこりは言った。そこで天使は手を叩いた。きこりは再び楽園の庭にいた。
それから少しして、きこりは庭を軽やかに走り回るガゼルと、足を引きずりながらその後ろを追いかける老人を見た。きこりは考えもなしに大声で言った。「じいさん、ガゼルならあっちの方で跳ね回っているぞ。そんな足では追いつくわけがないだろう」
老人は動きを止めた。そしてこう言った。「ここの住人かね?」次の瞬間、きこりは背に薪を目いっぱい背負わされて村外れのしげみの中に放り出されていた。きこりはまたしても泣きわめき、うめき声をあげた。もう一度、天使がやって来た。「お慈悲を」と、きこりは言った。「もう一度だけでいいんです。今度連れて行ってくれたら絶対に口をきいたりしません。もしも約束を破ったら、好きなだけ罵ってくれて構いませんから、もう一度だけお慈悲を」天使は同意し、手を叩いた。きこりは瞬く間に楽園の庭に戻っていた。
自分の過ちに気付いたきこりは、それから三日間はじっと黙って過ごした。だが次の日、きこりは、男たちが四人がかりで油を絞る巨大な石臼を必死で動かそうとしているところに出くわしてしまった。四人の男が片側から石臼を持ち上げる。すると石臼は反対側にひっくり返ってしまう。それをまた全員で、反対側から持ち上げる。すると石臼は元通りの位置にひっくり返ってしまう。四人の男は汗まみれになって、同じことを繰返しているのだった。話しかけるべきだろうか?きこりは彼自身に問いかけた。どう考えてもこの男たちのしていることは馬鹿げている。きっぱりと言ってやるべきだろう。「あんたがた、石臼を持ち上げたいのなら片側からだけではなく両側から支えなくちゃ」
男のうち一人がきこりの方へ振り返り言った。「ここの住人かね?」次の瞬間、きこりは村から離れたところにあるいつもの大きな森の中にいた。きこりは泣いて泣いて、泣き叫んだ。再び、天使が彼の前に現れた。きこりはどうにかして楽園の庭へ連れて行ってもらおうとあれやこれやと言い訳をし懇願した。だが天使は言った。
「あなたがたの父アダムは、かつてたった一度だけ過ちを犯した。おまえは過ちの上に過ちを重ね、さらにその上に過ちを重ねた。おまえの居場所はここに決まった。この先の与えられた時間の全てを、ここで薪と共に過ごすのだ」
2007.12.改訳
2007.08.
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お茶の物語
古い時代、お茶というものは中国でしか飲まれておらず、他では全く未知のものであった。だがそうしたものが存在するという噂は、時が経つにつれ諸外国にも広まり始めた。賢い者も愚かな者も、それぞれにそれが彼らが望むものであるか、あるいは彼らが想像した通りのものであるか、はたまた想像した通りのものに違いないという思い込みから、それについて知ろうと動き始めた。
インジャの国の王は中国に使者を送り込んだ。彼らは中国の皇帝からお茶を振る舞われたが、中国の農夫たちもそれを飲んでいるのを見た。そのためこれは自分たちの王にはふさわしくないと判断した。さらにまた、中国の皇帝が本当にお茶なるものを自分たちに振る舞ったのかどうかも怪しい、実は何か別のものを飲まされているのではないかとさえ疑った。
アンジャの国の最も偉大な学者は、お茶についておよそ可能な限りの情報を集めて研究した。そしてそれが植物であり、液体であり、色は緑、赤、黒、そして時には苦くまた時には甘いと言われることから、それが非常に珍しいものであると結論した。
マズハブの国の人々は、彼らの宗教的戒律を遵守する。それでお茶は小さな袋に詰められて、彼らの宗教儀式の先頭を飾るものとなり、人々はうやうやしく運ばれるお茶の袋の後に付き従って行列を作り通りを練り歩いた。誰ひとりとしてそれを味見しようなどとは思わず、またその方法など知りもしなかった。全員が、お茶には不思議な力が宿っていると信じていたのである。それを見た賢者が「それは熱湯を注いで飲むものだ、無知の人々よ!」と言ったことがある。彼はたちまち殺されてしまった。人々にとってお茶に熱湯を注ぐということは、すなわちお茶の殺害を意味し、それは宗教的に受入れがたい冒涜であった。賢者は彼らの宗教を害する者として処刑されたのだった。
賢者は死の前に、ごく少数の弟子たちにお茶の秘密を明かした。残された弟子たちは苦心の末にやっとお茶を手に入れ、ひそかにそれを飲むようになった。誰かにたずねられた時には、「これは師直伝の秘密の薬です。ある種の病気に効果があるものです」と言ってごまかした。
そういうわけで世界中において、お茶はそれがそうとも知らない人々の手によって栽培されたり、また飲むものとも知らない人々の手によって運ばれたり売られたり、あるいは人類共通の飲み物であると思われていた。また誰かによって独占されたり、あるいは崇拝されたりもしていた。中国の国外で、実際にお茶を口にした者というのはほんのわずかであった。
そこへ知識ある者の登場である。彼はお茶を扱う商人、それを買って飲む者、あるいはそうでない者など、全てに向かってこう言った。「味わう者はこれについて知っている。味わったことのない者はこれについて無知である。天より与えられたこの飲み物についての無駄話はもう結構。つべこべ言わずにお茶を振る舞え。好む者は二杯めを所望するであろう。好まぬ者は立ち去るであろう。議論と神秘の茶店を閉め、経験の茶店を開くのだ!」
お茶はシルクロードを通ってこの町からあの町へと運ばれるようになった。そして翡翠や宝石細工、絹などを運ぶ商人たちが旅の中休みをするときはいつでも、お茶についての憶測とは無関係に、たまたま手近にあったという理由からさまざまな人々にも振る舞われるようになった。これが北京からブハラ、果てはサマルカンド、はるばる遠くにまで確立された茶店というものの始まりであった。そして味わった者こそが、お茶について知ることとなった。
最初に茶店を訪れた客は、「天の飲み物」を探求しているという知識人を自称する類いの人々だった。彼らはお茶が振る舞われている間にも、「なんだ、この枯れ葉は」とか「私が欲しているのは天の飲み物だぞ?水を沸騰させてどうするというのだ」とか「これが何であるか、どうして私に知ることが出来よう?これが天の飲み物であるという確かな証拠は?金色だと思っていたがこれは銅の色ではないか」などといちいち叫んだ。
そうこうしているうちに時は過ぎ、お茶に関する真実が知れ渡るようになった。ついにお茶がそれを味わう者全ての手元に行き渡るようになった頃には、役割は逆転していた。つまり、それについて最初に知的であるかのように振る舞った者は愚者と断定されたのである。そしてそれは今日まで真実とされている。
2007.08.
※トルキスタンのハマダーニーが語った物語。1140年没。
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カエルの群れ
森の中、カエルの群れが池を目指して移動しているときのことである。群れのうち二匹が、誤って深い窪みに落ちてしまった。運良く地上に残ったその他のカエル達は、窪みをぐるりと取り囲んで中を覗き込んだ。窪みの深さが尋常ではないことを見てとったカエル達は、不運にも窪みに落ちてしまった二匹が二度と地上には戻って来られないだろうと考え、そのように述べた。哀れな二匹のカエルは、仲間達の言葉には耳を貸さず窪みから脱出しようと必死に飛び跳ねていた。
地上のカエル達は飛び跳ねるのをやめるように言った。窪みはあまりにも深く、お前達は死んだも同然なのだ。窪みに落ちた二匹のうち一匹は、地上のカエル達の言葉を耳にして、全てをあきらめてしまった。そしてその場に崩れ落ち、あっけなく死んでしまった。
もう一匹は力の限り飛び跳ねることをやめようとはしなかった。カエルの群れは口々に叫んだーわざわざ苦しむ必要はない、無駄にあがいて苦痛を引き延ばすぐらいならあきらめて死を受け入れよ。群れが叫べば叫ぶほど、窪みの中のカエルはますます力強く飛び跳ね、とうとう窪みの外に脱出することに成功した。他のカエル達は口々に尋ねた。「なぜ飛び跳ね続けたのだ。我々が言ったことを聴かなかったのか?」
カエルは自分の耳は遠いのだ、と言った。そして飛び跳ねている間中、仲間達が何か叫んでいるのは知っていたが、それは自分を励ましているに違いないと思った、と言った。
この小咄に含まれる教えは以下の通りである。
舌は、時に生かしまた時に殺しもする力を秘めている。適切な時に放たれる適切な言葉は、弱っている者に力を与え、その者自身の力を引き出すことができる。適切ではない言葉は、その者の生命すら奪ってしまう。あなたが道で出会う全てに対し、生命を与える言葉を以て語れ。
言葉には力がある。たった一言がどれほどまでの力を秘めているかを理解するのには、時の経過を待つ以外にはないこともある。言葉を発するならば誰しもが、誰かの力になる言葉を与えることは決して不可能ではない。素晴らしきは、自分の限られた時間のうちわずかでも、誰かの生命となり得る言葉をつむぎ出す者である。
2007.09.
※語り手不詳。
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四人の男と仲介者
四人の男が金貨を一枚与えられた。
一人めのペルシア人が言った。
「この金貨で、アングールを買うとしよう」
二人めのアラブ人が言った。
「いやいや、私はアイナブが欲しい。アイナブを買おう」
三人めのトルコ人が言った。
「アイナブなんてやめてくれ。私はウズュムを買いたい」
四人めのギリシア人が言った。
「私はスタフィルを買いたいのだが」
それぞれの呼び名の背後に何が控えているのかも知らず、四人の男は喧嘩を始めた。情報だけが先走りし、肝心の知識を得ていなかったためである。
そこへ賢い仲介者が現れ、四人を和解させた。仲介者は言った。
「あなた方四人全員の必要を満たして差し上げましょう。私を信頼して、一枚の金貨を預けて下さい。四つのものを、一つにして差し上げましょう」
賢い仲介者は、それぞれの呼び名の背後に控えているものについて知っていた。一枚の金貨で葡萄を買い、四人に与えた。それで初めて、四人は自分達が欲していたものが全く同一であったことを知った。
2007.09.
※「われらが師」、メヴラーナ・ジェラールッディーン・ルーミーによる小咄。
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居眠りアミーン
昔、アミーンという名の善良な男がいた。彼は、やがて天国の住人となるにふさわしいとされる徳性を深めることに生涯の全てを費やした。貧しい者を見れば惜しみなく与え、親類縁者たちに対しては愛を注ぎ、人々に尽くした。よく耐え、よく忍び、また自分以外の者のために大きな犠牲を払い、想像を絶する困難をも乗り越えた。彼はまた、知識を求めて旅をした。謙虚さや見習うべき振る舞いの数々により、賢人として、また市民の良き模範としての彼の評判は東から西へ、また北から南へとこだまのように響き渡った。
それを忘れていない間はいつでも、アミーンはこれらの徳性を磨き上げることに熱心だった。だが彼には一つ欠点があった。それは彼がわずかに不注意であることだった。しかし彼自身は、その他全ての彼の良き徳性が、この小さな欠点を補ってくれるだろうと考えていた。目くじらを立てるほどではない、ほんのわずかな疵に過ぎないと思われた。
アミーンは睡眠を好んだ。彼が眠っている間は、知識を探しそれを理解する好機や、良き振る舞いの好機、謙虚さを披露する好機は全て彼の前を素通りしていった。彼もまた、不注意にもそれらが素通りしていることに気付かなかった。
そうこうしているうちに時も過ぎ、アミーンは死んだ。現世での人生を振り返り眺めつつ、アミーンは天国の門を目指して歩いて行った。天国の門に辿り着くと、門の前でアミーンは自分の良心に問うためしばし立ち止まった。彼は、自分が天国に入るのに十分ふさわしい資格を有しているものと確信した。
門は閉まっていた。「心せよ!門は百年に一度だけ開かれる」アミーンは門がそう叫ぶのを聴いた。アミーンは興奮したが、ともかくも心を落ち着かせ、その場に座して時が満ちるのを待つことにした。彼の徳性なるものはかつて現世においては他者にもてはやされたものだった。しかしその徳性を、彼自身の成長のために働かせることについて彼は全く無関心だったし、またそれを働かせる可能性について思いを巡らせるということもなかった。
自己と向き合うということに不慣れなアミーンにとって、永遠とも思われるほどの時間が過ぎ去った。やがて甘い眠気が訪れた。アミーンはうとうととし、頭部をかしげた。彼のまぶたがゆっくりと閉じたその瞬間、天国の門が開かれた。そしてアミーンのまぶたが開かれた次の瞬間には、天国の門は再び閉じられていたー全ての死者を目覚めさせるのに十分なほどの轟音を響かせながら。
2007.10.
※17世紀の修行者、アミール・ババが「この物語の真の語り手とは無名の誰かであるー真の教えとは、教わる者と教える者の間に立ちはだかる者なくして伝えられるものだからである」という前置きと共に語った物語。
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魔法の木馬
その王には二人の王子がいた。一人目の王子は、誰が見ても理解できるやり方で働き、そうすることで人々を助けた。二人目の王子は、誰が見ても夢想家としか思われず、そのため「怠け者」と呼ばれた。
一人目の王子は、その国内で大きな名声を得た。二人目の王子が得たものは、とある慎ましい大工が作り献上した木馬だけだった。二人目の王子は何の疑いもなく木馬にまたがり座ったが、それは実に不思議な木馬だった。乗り手の心が誠実である限り、その木馬は乗り手の望みの全てを叶えるのだった。
乗り手の心の赴くままに、ある日を境に木馬は若い王子もろとも姿を消した。それから長いこと、王子は帰らなかった。数々の冒険の後に、王子は光の国の美しい王女を連れて国へと帰還した。父王は王子が無事に戻ったことに大喜びし、魔法の木馬の物語に聞き入った。
魔法の木馬は、欲するならば誰でもが利用できるよう、その国の全ての人々に解放された。しかし誰の目にも木馬は使い古しのおもちゃにしか見えなかった。また多くの人々は、一人目の王子が与えたような、誰にでも分かりやすく眼に見える利益の方を好んだ。彼らは木馬の向こう側にあるもの、木馬のその先にある未知のものには思いも及ばなかったし、また関心もなかったーただの「おもちゃ」から得られる利益など何ひとつないと考えていたのである。
やがて父王は老いてこの世を去った。「おもちゃの木馬で遊ぶのが大好きな王子」は、この時も魔法の木馬にまたがって望み通り王の座につき、光の国の王女も女王の座についた。だが一般大衆はこの新しい王を軽蔑した。彼らにとっては、一人目の王子の「現実的」な行動の方がより好ましく、関心と興奮を覚えるのだった。
「怠け者の王子」の話に耳を貸さない限り、彼がどのようにして光の国の王女を得たのか私たちには知る由もないし、「魔法の木馬」の真に意味するところも知ることはないだろう。
また仮に私たちが「魔法の木馬」にまたがる機会を得たとしても、「魔法の木馬にまたがる」という表面上の行為のみが、私たちを真の目的地へと導くのではないことは明らかである。
2007.10.
※語り手不詳。インドのお話らしいが……
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図書館にて
三人の修行僧が図書館で出会った。
一人目が言った:「私はこの図書館に収められている、神秘道に関する書物の全てを読破するつもりだ。それから、それら書物の意図するところを考え、またそれらが私にどのように馴染むか試してみようと思う」
二人目が言った:「私は書物を全て自分の手で書写しようと考えている、その方が教えを良く吸収できるだろうから。その上で、それらの重要性を内側からも外側からもよくよく吟味するのだ」
三人目が言った:「読んだり書いたりするだけで、知識が身に付くはずがない。私は稼ごう、全ての書物を買い占められるほどに。読むのはそれからだ。その上であなた方二人に質問をしよう、あなた方二人の言葉にも行為にも、知識の片鱗すら伺えぬことを証明するために」
「ならば私は」、通りすがりの四人目の修行僧が、三人のやり取りを耳にして立ち止まりこう言った。「三人目の修行僧をじっくりと観察することにしよう。『うぬぼれ』という名のやっかいな病が、書物と、書物という名の商品に何を期待するのかを見極めるために」
2007.11.
※巡礼から戻ったばかりのファリードゥッディーン・アッタール(1142-1220)が、乞われて説教を行った際に語ったとされる。
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