夜に読む章

安楽椅子解釈 – I

050330

 

3月最後のにちようびは、電車に乗って青梅までふらふら。TOTANという名の雑貨屋さんに立ち寄って、店主のAKANE嬢と作戦会議(?)。

以前から欲しかったランプを連れて帰ってきました。

ラクダの皮で出来ているという、パキスタン製のもの。一番最初にこのランプの存在を教えてくれたのは、このお店の近辺で働いている友人で、仕事中にこの店の前を通って偶然目にしたのだそうです。

「たぶんあれアラビア語だと思うんだけど、見に行ってみない?」

と、誘われてふらふら出かけていったのが去年のことで、書かれていたのは、確かに立派なアラビア語のコーランでした。決してきれいな字とは言えないのですが、色合いや風合い、そして何よりもこれを作った遠い国の職人さんが、この章とランプとを組み合わせたことがすてきだ、と思いました。

 

書かれているのはコーラン64章・at-Taghabun(アッ・タガーブン:「騙し合い」)と名付けられた章です。

この章は、Musabbihat(ムサッビハ:讃える章)と呼ばれる章のひとつです。バスマラに続く最初の一節がスブハーもしくはスブハーナ、=称賛・賛美、あるいは驚き・不思議、Amazing、Miracle、そうした感覚を表現する単語で始まるのでそう呼ばれて、とても大事にされています。そういう感覚それ自体が非常に貴重であり、実際にそうした感覚を持続させることが重要なことだからです。

at -Taghabunを例に取ると、そこに含まれる全18節のうち、神様について、その愛について知らせる冒頭の1-4節までがとても大切な節となります。

天国と地獄、信者と不信者、善行と悪行、現世と来世、…いわゆる「宗教」と呼ばれるものの、全てにあてはまりそうなキーワードが、その後に続きます。宗教には、守らなくてはならない一線があるのは確かなことで、もちろんそれを守るのも、大事なことではあります。

けれどそれよりも何よりも、もっともっと大事なことがある。樹を育てたかったら、良い土に太陽の光と、水とをたっぷり与えてあげる。愛すること、信じることの根がしっかりとしていないうちは樹は育ちません。何をしてはいけない・何をしなくてはいけないというような枝葉の部分を無理に伸ばそうとしてみても、根がしっかりと張っていなければ、ほんの少し風が吹いただけでひとたまりもなく倒れてしまう。

宗教の、「宗教」以前の、そういう当たり前に大切なこと、あまりにも当たり前過ぎて、つい忘れてしまいがちなことを、思い出させるために「讃える章」はあります。

 

64章のat-Taghabunの他には、17章、57章、59章、61章、62章、それから87章が「讃える章」にあたります。預言者ムハンマドは、「『讃える章』には、1000節にも勝る1節がある」と、夜の眠りに就く前に好んでそれらを読んだ、という伝承があって、だからランプには、この章はとてもよく似合っていると思います。

17章は「夜の旅」章と名付けられていて、それはこんなふうに始まります。

かれに栄光あれ。そのしもべを、(マッカの)聖なるマスジドから、われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに、夜間、旅をさせた。・・・

57章、59、61、62、64章は全て

天にあり地にある凡てのものは、アッラーを讃える。・・・

で始まり、そして一番最後の87章・至高者章は、

至高の御方、あなたの主の御名を讃えなさい。・・・

主の御名、それをどのように呼べばよいのかについては、最初の17章に答えがある。

・・・どの御名で呼ぼうとも、最も美しい御名は、凡てかれに属する。

 

主については、ちょうど100年ほど前のあるムスリムが、こんなふうに説明しています。

神はあなたを愛し給います。

あなたが世界のどこに産まれていようとも、またどのような姿をしていようとも、あなたの宗教や国籍の違いに関係なく、全てを、分け隔てなく公平に愛し給われるのが神です。

最も素晴らしい、この偉大な存在について、あなたが信じていても、あるいは信じていなくても。そのようなことはどうでもいいのです。

神とは、裁く方である前に赦す方。神の慈悲と端麗とは、敵と味方の区別なくあまねく全てに行き渡っています。
(Hazrat Inayat Khan)