I-VI. ロトと十字架の木

『聖地の民間伝承:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ』
著 J. E. ハナウアー

 

I-VI. ロトと十字架の木

われらが父アダムは、死の床にあった。臨終の瞬間など考えただけでも怖くなり、自分の息子で族長のセトに、楽園の門へ行き、門番の天使に頼み込んで生命の木の実をひとつだけ、分けてもらうよう言いつけた。天使はこの頼みを聞き入れるわけにはいかず、しかし追放された人類に対する憐れみを感じ、アッラーのお目こぼしもあって、生命の木の、三つの小さな小枝のついた枝を一本、はるばるやって来たこのお使いに与えることにした。

セトはこれを持って大急ぎで帰ったが、父アダムはすでにこと切れていた。彼はこの枝をアダムの墓の上に植えた。枝は根を張って木に育ち、何世紀にも渡って成長し続けた。あの大洪水の間も生きのびたが、人類はその木のことをすっかり忘れてしまった。

やがて族長ロトの時代がやって来る。ロトが使命に目覚めたとき、彼の妻は大いなる罪を犯した。それはロトには救いようのないもので、彼にはあきらめる他はなかった。彼の妻は巨大な塩の岩の柱に変えられてしまったのだが、驚くべきその光景は、彼の名が冠された海の南岸の、ジェベル・ウスドゥムで見ることができる。

この時のロトはひどく嘆き悲しんで、アッラーが遣わした天使が止めずにいたら、自らも命を絶っているところだったろう。天使はロトに、ヨルダンの川へ行って水差しに水を汲み、丘の上にあるアダムの墓まで運んで、墓の上に育つ小さな木に注いでやるように命じた。天使はまた、もしも彼がその木を大きく育てることができたなら、それは「すべての人間たちにとっての、大いなる慈悲」となるだろうとも告げた。このお使いは大いにロトを喜ばせ、彼は急ぎ足でヨルダンの川へ向かった。それはとても暑い日のできごとで、天使の言いつけ通りにロトが旅立ったときも、激しいシロッコの風が吹き荒れていた。

大急ぎで苦しいお役目をなし遂げ、ハーン(隊商宿)のひとつ –– 今では「良きサマリア人の宿」と呼ばれる宿がある辺り –– まで戻ると、彼は道の脇に、巡礼者(ある者は、これがロシアの巡礼者だったとも伝えている)が息も絶え絶えになって倒れているのを見た。ロトは心やさしい者であったので、ひざまずいて巡礼者を抱き起こし、一口、水を飲ませてやろうとした。ところが何を隠そう、その巡礼者の正体は、人間に変身した悪魔の王に他ならなかったのである。邪悪なるこの者、水を一気に飲み干して水差しをすっかり空っぽにしてしまった。あんまりと言えばあんまりなこの仕打ちにロトは仰天したが、しかし何も言わずに黙って再びヨルダンへ向かい、もう一度、水差しに水を汲んだ。

ところがその帰り道、今度こそ順調にものごとが運ぶと思いきや、またしても疲れ果てた巡礼者をよそおった悪魔が現れて、彼の親切心を踏みにじり、水差しの水をぜんぶ飲んでしまった。同様のことが三度も重なり、ロトのお使いはことごとく失敗に終わった。さすがに三度めともなると、悔悟した者とはいえロトもすっかり精根尽き果ててしまい、地面に身を投げ出してうめき声をあげた。「苦しんでいる者を助けなければ、私は更なる別の罪を背負い込むことになる。しかし喉の乾いた者に出くわすたびに、誰にでも水を与えていたのでは、一体いつになれば私の救いである生命の木に、水を注いでやれようか?」。疲れと悲しみからか、ロトは倒れ込んだその場でそのまま眠りに落ちた。すると夢の中、天使が再び彼の前に現れて、巡礼者のなりをした者たちの正体を教え、その上で、ロトの無私の親切はアッラーに受け入れられ、ゆえにロトの罪はすべて許されたともつけ加えた。そして生命の木についても、天使たちが水を注いだので心配には及ばない、とも告げた。

これを聞いてすっかり安心したロトは、そのまま穏やかな死を遂げた。その一方で生命の木も、ぐんぐん育って大きくなっていった。しかし悪魔は、この木を破滅させてやろうというたくらみを決してあきらめてはおらず、とうとうソロモンの時代、彼が神殿を建立しようという際に、この木を切り倒してソロモンに献上するようヒラムをそそのかし、そしてまんまと成功してしまった。こうして切り倒された生命の木は、丸太になってイェルサレムに運ばれた。ところが神殿の大工たちは、その丸太を神殿のどの部分に使えばよいのか見当もつかなかった。結局、丸太は役に立たないものとして扱われ、イェルサレムの東の谷に放っておかれることになった。やがて丸太はケドロンの滝を徒歩で渡るための橋として使われるようになり、それはシバの女王ビルキースがソロモンを訪ねてやって来るまで続いた。

ソロモンの都の近くまでやってきたビルキースは、この橋を渡る一歩手前で心の奥深くに天啓を授かった。それはこの橋の貴い素性に関するものだった。何と畏れおおいことかと感じ入ったビルキースは、橋を踏むのを拒み、その場にひざまずいて祈りをささげた。客人を出迎えに来ていたイスラエルの賢王ソロモンは、彼女のふるまいにたいそう驚いたが、丸太の出自と、いかなる天命をもって地上に与えられたものであるかを彼女が語って聞かせると、すぐにそれを取り払わせることに決めた。丸太はていねいに洗い浄められ、神殿の宝物倉に収められた。そして丸太は、やがて救世の預言者イエスが召される際の十字架を作るのに使われるまで、そのまま宝物倉に留め置かれることとなった –– こうして生命の木は、はじめに天使の告げた通り、「すべての人間たちにとっての、大いなる慈悲」となったのである。

誰でも見たいと思う者は、アブサロムの墓の近く、ケドロンを訪れるとよい。今では石橋がかかっているが、かつてこの丸太がその上に置かれていたという大岩がいくつか、まだそのままに残されている。